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健康な時には、あまり気にもしなかったこと、それほど強くは意識しなかったこと、思ってもみなかったことが、一気にあふれ出す時期があります。
それは、人が最期を迎える時期ではないでしょうか。
緩和ケア病棟では、ほぼ、残りの命が健康な時以上に「限られた命」と直面せざるを得ない方々をサポートします。
ですから、さまざまな人間関係に出会う機会が多いのです。
「私は、いままで1人で生きてきた。自分のことはすべて自分でやってきた。」
「私たち、夫婦は、お互いに夫婦なりに、誰の手も借りずにやってきた」
…と、言える人って少ないかと思いますが、こう思っている方も少なくはないようです。自分達の人生を、誰かに干渉されたくない、自分達の思うように、生きていく、それはそれで「生き方」としては、その人らしさとして尊重すべきものです。
だた、人が最期を迎える時は、そうはいかないものだと思います。
「自分ひとりでは生きてはいけない」、そう感じるのが最期を迎える時だと思います。
家族というものを見渡してみると、多くの家族が、患者さんの最期を迎えるにあたって、実に多くの「もやもや」を抱えていることがよくわかります。
患者さんをお世話させていただいていると、スタッフの誰しもが感じます。
「本当に、家族って、いろいろなことがあるな」
「どうして、こんなに家族って、いろいろなことが起こるのだろう」
いろいろなこと、というのは、単刀直入にいうと、「いざこざ」です。お互いをうまく受け容れることがでいない関係性です。
私たち、医療従事者は、とかく、苦しんでいる患者さんを守ってあげたくて、患者さんのケアにあまり積極的ではない家族に否定的な考えを抱きがちです。
でも、冷静に考えてみると、「本当にそうなのだろうか?」と思えてきます。
「人は生きてきたように、死んでいく。」
まさにこの言葉通りで、人の最期を迎える過程というものは、その人の人となりを表していると思います。
どんな最期であっても、いい、悪いという判断や批評をケアに持ち込むべきではないと思います。
できれば、1人の人の命が終わろうとしている時に、家族がいざこざなく、いい関係を持てて、関係を修復できればいい…、その思いを持つことは大切なことです。
でも、それを願う医療者が、家族にいい家族であることを強要してしまうことも多々あると思います。
家族の、家族なりの歴史やつながり、感情などをよく知らずして、「いい家族であってほしい」と思うあまり、家族の関係の修復をケアの目標にすると、患者さんも家族も、そして医療者までもが疲労してしまうことがあります。
そして、大切なことを見失うことがあるかもしれません。
私たち医療者が患者さんやご家族にかかわれるのは、その人たちの人生のほんの少しです。
これを心に留めて、まずは、患者さんや家族の在り様そのものをうけとめるべきだと思います。
すなわち、「どうして、この事態が起こっているか」を、ニュートラルに見つめることができること…。
「この家族って、本当にいろいろあるわねー」と、ため息をつきたくなるときこそ、ふと立ち止まってみたいものです。
それが、ケアのコツであるかもしれないと思います。
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