(1)29日、今日も多摩川へ行ってきました。
河川敷のグラウンドは満杯、その脇の駐車場も満杯、そのさらに脇の藪近くで、一人、化石の残骸を探して土工作業してきました。
今日は、100均に篩〔ふるい〕があったことを思い出して、出がけに手に入れて行きました。まるで子供の気分です。こういうふうにあれこれと考えるのは実に気分がいいものです。
行って、右手で土を掻いては左手で篩う。すると、細かいがポツポツと見つかります。今日の成果は下の写真をご覧ください。いままでに何回も動かした土の中からまだ出てきたのでびっくりです。うれしくて、夢中で作業を2時間以上もやったので、帰宅して片付けてからしばらくして放心状態になり、即座に寝込むありさまで、ひどいことになりました。
29日の成果
(2)今日はパピヨンを紹介します。
これは、表紙に「映画・パピヨンの原作」とありますが、映画を見た方もあることでしょう。私も見ました。
著者:アンリ・シャリエール 訳:平井敬之 発行所:タイムライフ 刊行年:1974年
上下2作からなっています。
まず表紙をお見せしましょう。
【上の表紙】
【下の表紙】
これは、表紙解説を要約すると、「身に覚えのない殺人の濡れ衣を着せられ、無期徒刑囚として、フランス領ギニアの流刑地に送られた男パピヨンの復讐劇」を書いたもので、著者アンリ・シャリエールの自伝です。
(3)もう20年くらい前のことです。
木下富市さんから、
『パピヨン』て、読んだことある。」
と聞かれました。
私が「パピオン」に反応して、
『西部戦線異状なし』?
と聞き返すと、
「それじゃなくて・・・。おもしろいらしいよ。
探してもどこにもないんだ。古本屋にでも行ったときに在ったら教えて」と。
(4)木下さんとは同じ1950年生まれで、彼の方がひと月上でしたが、彼は優秀だったようで、法政大学・同大学院と進んで、私が法政大学院へ来た時には2級上の人になってました。
当時、法政大学院の入学者は博士課程4人、修士課程10人でしたが、この新入の院生が自治会役員をすることになっていて、博士課程から委員長を決め、あとは全員が役員をするということになっていました。
委員長となった私の頃は、院生の就職先が問題化し始めていて、売り込みの名簿作成などやっていました。その中に、木下さんの名前もあって私は知っていました。しかし、学年が違い、専攻が違い、学派も違うので、まったく話をする機会がありませんでした。
しばらくして、ある予備校へ教えに行ったところ、そこに木下さんがいましたから、挨拶すると、それ以降は親しくしていただき、さらに法政大学の通信教育部で経済学や財政学を担当するようになって会う機会がふえてきました。そして、ひょんなことから、さらに法政のⅯさんが加わり、年に2~3回3人で会うようになりました。
上の『パピオン』の話は、そのころのことだったと思います。
(5)その後、立川市の古書店を見ているとき、店前の安本コーナーにきれいなまま上下セットで200円で転がっているのを見つけましたから、即買って送ってあげました。
あとから、「おもしろかった」と感謝されましたが、木下さんは、大腸がんのため、2016年5月に亡くなってしまいました。
いつだったか、東松山の赤ちょうちんで飲んだとき、「ここのレバー刺がうまい」といっていたのが忘れられません。
(6)木下さんとは、学派が違い、学問的方法論が違いましたが、お互いにそのことは触れずに、遠慮ではなく、一目置いて話ができました。
木下さんは出身地の宮崎県高千穂町に分骨されているので、必ずそちらもお伺いしたいと思ってきましたが、出不精なために、残念ながらまだ実現していません。
ここに、2010年に改訂刊行した著書を紹介しておくことにします。もうどのくらいの人が読むかわかりませんが、宇野派の人らしい本と思います。機会がありましたら、どうぞ。
【木下富市さんの著書】
時朝社 2010年7月刊
今日はここまで。
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