(1)きょうは、下の地図の唐松岳ー五竜岳ー鹿島槍ヶ岳です。
唐松岳ー五竜岳は普通の山行でしたが、五竜岳-鹿島槍の間には、崩壊して岩場とキレット〔切れ込み〕といわれる難所があります。目のマークがある処です。
(2)唐松岳を越えて、13:40唐松山荘前に到着しました。
ここは、「不帰嶮〔かえらずのけん〕」を通過してきたものからすると、一瞬パッと開けた感じがします。おそらく、東の「八方尾根」から入ってくるハイカーの癒しの場所だからかもしれません。もちろん、八方尾根でも遭難事故を聴きますから、軽く見てはいけませんが、人の手が入ってきれいに整備された一帯は安心感を与え、あか抜けた感じがしました。
そして、ここからハイマツ帯の中を進んで、17:00に五竜山荘に到着です。
2日目は、白馬山荘を6:00に出発してざっと11時間、少し欲張りすぎました。
(3)五竜山荘を6:15分出発。6:50分五竜岳山頂。
下の写真は、出発時に五竜山荘前から見た五竜岳です。
山荘から頂上までは時間はわずかですが、上がって行ってちょうど最初の影になっている箇所などは道幅も狭いうえに、下の方へ崩れているので、踏みはずすと滑落事故につながる処です。
(4)五竜岳頂上を過ぎると、地図のG4・G5とある処を通過し、「赤抜」とある気の抜けないところになります。写真はその一帯を写したものですが、正確な説明ができません。
ただ、右上の尖った山頂が鹿島槍ヶ岳北峰、その右が南峰への吊尾根、左が東尾根です。ですから、そこを手前の下ってきて「八峰キレット」、手前へ一山越えて「口ノ沢のコル」、その手前が北尾根の頭、さらに手前の尖ったのがG5ということか・・・といったところです。
五竜岳を南へ下り始めてしばらくしてこの眺望を目にし、ここを通過するのかと思いながら撮ったという記憶があります。
それから、途中の「八峰キレット」の付近に「キレット小屋」があります。
「口ノ沢のコル」を越えて降った処に突然現れます。見ると、後ろに山を負い、前に谷を見晴るかすという位置の「猫の額」のようなところにあります。あまりの感動に、予定を変更してここに一泊しようかと思ったものです。
今でも、先を急ぎすぎたことを残念に思っています。
(5)ともかく、3大難所といわれるところを通過しました。
写真は、鹿島槍ヶ岳南峰〔2889.7m〕頂上です。なお地図には2889.1mとあります。誰かが60㎝分の石を積んだんですね。(ふふふ!)
(6)この日は、鹿島槍ヶ岳を下って、15:15分に布引山を通過し、16:30「冷池〔つべたいけ〕山荘」に到着しました。
下の写真は、翌朝見た鹿島槍ヶ岳南峰のモルゲンロート〔朝焼け〕です。北峰はにはまだ陽が当たっていません。双耳峰であることがよくわかります。
なお、左に見える山が布引山です。
続きは明日に。
【コレクション 57】
きょうは、『八王子の空襲と戦災の記録』です。
大きさはB5判、8㌻です。
全体は、横長のB4大2枚分の用紙を二つ折りし、さらにもう一度二つ折りするとできます。ですから、これを広げると、2~3㌻、もう一度広げると4~7㌻となります。
体裁は、
1㌻ 上掲 「八王子教育委員会」と「八王子郷土資料館」の連名になっています。
2~3㌻ 「あれから40年 いま明らかにされた 八王子空襲」のタイトルの下に推薦文
八王子市長 波多野重雄 平和を守るための尊さと強い信念を
「八王子の空襲と戦災の記録」
編集委員会委員長 俵田忠定 市と市民の手で綴る戦災史
八王子教育委員会教育長 瀬沼満 戦争を知らない世代に伝えるために
監修者 今井清一 斎藤秀夫 戦争の体験は日本の戦後のひとつの起点
4~7㌻ 目次 内容写真見本 組見本
8㌻ 装丁見本
出版要項 刊行予定昭和60〔1985〕年5月上旬
体裁 B5判 収録写真441枚
総説編約700㌻ 資料編約400㌻ 市民の記録編約400㌻
以上です。
この本は昭島市の図書館の郷土コーナーにも配本されていて、私も親族の被災について調べたことがあって利用しました。全市にわたってくまなく被災状況を調べあげられていて、たいへん貴重なものです。
長崎・広島の原爆の被害の大きさはいうまでもありませんが、この八王子市のような空襲による被害は全国に数かぎりなくあります。
いま、ウクライナやガザその他の係争地などを観るにつけ、「ひとたび戦争が始まった時のひどさを忘れてはならない」ということはだれも否定ないでしょう。
その場合、忘れてはいけないのは、「日本が戦争を引き起こした側だった」ということです。日本が戦争を仕掛けなければ、戦争を思いとどまっていれば、その前に、戦争を止める勢力が治安維持法などで弾圧されていなければ、あの戦争はなかった、防げたということです。
いま、日本は戦争を仕掛ける側にマタマタなろうとしています。
もちろん、日本の政府は戦争をやると言っていません。それどころか、「平和のため」といいながら、ずっと戦争準備をしてきたのです。ここが問題です。
「どこかが攻めてきたらどうする」ではなく、「日本がやらなければ戦争は起きない」、これが基本精神であるべきです。つまり、憲法9条の精神です。
きょうはここで。
「君の名は」、「岸・・・に住むチョウ」。
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