Sarabande - Georg Friedrich Händel - Organ solo - Alexander Jörk
ドイツ帝国の繁栄を
創った人である。
日本人は
いまだに
脱亜入欧なので
とりあえず
近代において
愚かな戦争に突入しなかった
ドイツの保守政治家を
取り上げたい。
彼は
労働者の社会主義化を防ぐためと
国費調達のために
社会保険というシステムを編み出した。
これは
日本がモデルとした社会保険の
原初形態である(介護保険も)。
また
かれは
自由主義者、共産主義者、カトリックといった政敵を次々に葬り去った(あるいは利用した)。
すなわち
地続きなヨーロッパは
権謀術数の混沌である。
しかし
彼の倫理観は
戦争は絶対悪と捉えたため
対外戦争にはのめりこまなかった。
のちに
第一次世界大戦をもたらした
ヴィルヘルム2世の愚鈍とは
対照的だ。
ぼく個人は
カトリックを文化闘争で
抑圧した人としてのイメージが強く
メルケルさんの
キリスト教保守のほうに
親和性があるが
とりあえず
今の自民党が
浅はかな対外戦争を起こすことは
避けたいのだ。
よって
真の保守政治家とは
斯くあるべしという
リアリストとして
今一度
ビスマルクの歩みを
辿って頂きたい。
何となれば
ヴィルヘルム2世の失政が
ナチスとヒトラーの独裁を準備したからである。
高橋
近代の
国家による集団教育が
終焉を迎えているとすれば
それに替わる
新しい教科書や
教育スタイルを
提案せねばならない。
ぼくの私案を
発表しておきたい。
特に
国語教科書は
一番面白いものに
改善できる余地がある。
ぼくは
基本的に西欧近代から発せられた
思想については
愚かな無神論に過ぎないと断定する。
依って
デカルトやカント
マルクスや凡百のユダヤ系学者の説を
崇拝する近代日本も愚かである。
鹿鳴館のような
つまらない近代文学や
近代詩の羅列に終始している
国語教科書も
面白くないし
ためにならない。
僕は
中国の紀伝体
偉人伝
聖人伝のスタイルで
人物伝を描き
漢詩、和歌、詩で
本当に感動するもの
美の極みなものを
撰び
究極の国語教科書を
創る自信がある。
別に
「銀の匙」でなくとも
奇跡の授業は出来る。
あとは
学生さんたちに
ボランティアをして頂きたい。
勉強など月曜日だけにして
災害支援や清掃
介護や農業、森林ボランティアを
して頂きたいのであります。
高橋
ぼくは
昔
仏教大学の社会福祉学科に属し
社会福祉研究会に入っていた。
そして
鷹陵祭の
社会福祉研究会の企画で
三浦文夫先生をお招きし
講演会をした。
その時
ぼくは参謀として蠢動し
岸勇先生(中村・岸論争で有名な共産党系)を会場に招き入れていた。
すなわち
政府自民党系の三浦氏と仏大日共セクトが会場で論争を始めるように画策した。
それは
一応実現したが
当時は、もはや60年代安保の熱狂は覚めきった楽しい80年代であり
岸先生が
何かの呟きのような意見を述べられて終了した。
しかし
今になって思えば
やはり
三浦先生の社会福祉改革論は
誤っていた(いうまでもなく孝橋理論等の共産党理論も誤りである)。
福祉に
フリードマンやハイエクの自由主義を導入し営利企業の参入を促したことが
昨今の介護、医療業界の破綻の遠因であった。
今
日本のあらゆる業界
社会は危機的な状況にある。
このような時は
原点に遡及し
学問や思索を深めねばならない。
国学や水戸学が記紀に立ち返ったように
今こそ人文社会学は
その役割が増大している。
文部科学省が
国立大学から
人文社会学を排除する動きをみせているが
それは明らかに失策であり
中央官僚の皆様の
学識と見識が低下している証左である。
高橋(社会学士)
介護保険を導入する際
自民党の保守派は
家族介護を壊すものだと反対していた。
今になって思えば
それが正しかった。
介護は面倒である。
しかし
介護は
子どもの義務である。
そして
介護や子育ては
家族ないし
友達、地域で行うものだ。
すなわち
保育や介護を
国家に委ねるという
共産主義の原理は
誤りである。
介護や子育ては
家族が
ボランティアで行わねばならぬ。
高橋(ケアマネージャー:ケアプランは、家族介護)