Beautiful Chinese Music【37】Traditional【Really Miss You So】
ぼくは
基本的に貧乏なので
あまり
移動はできません。
しかし
却って
沈黙と静謐のうちに
思索が深まって参りました。
又吉さんが
貧乏なときに読書をして
自らを深めたようにです。
ぼくの最近の研究テーマは
過去と現在の指導者のあり方
もしくは
どうすればこれから
偉大な指導者を戴く社会ができるか
です。
かつて
神農氏や黄帝
堯、舜、禹が
中国で素晴らしい活躍をし
聖なる指導者となれたのは
個人のカリスマだけでなく
民百姓の心が
素直で純粋だったからではないでしょうか。
一方で
平将門公や
西郷隆盛公の
周辺の人々
社会の空気観は
どうだったのでしょう。
つまり
指導者の聖性が完全に発露されるには
周りの人々も
応援し協力する気持ちを
持ったほうがよいと
思います(気持ちだけでも)。
現在の国政は
安部総理が指導されています。
安部総理を
社会がどう評価しても
総理には
役徳があり
国民は決定には従う必要があります(従順の徳)。
すなわち
アイデアを献策したり
諫言するのは
臣下の務めであり
倫理的にも正しいと思います。
しかし
国民が
「駄目や」という思いや
批判の念を抱くと
やはり
良くないと思います。
天の声は
選挙ではっきりするので
とにかく
指導者を
国民が支えていく姿勢が
大事だと思います。
日本が
もし
他国に誇れるとしたら
王権を
品のない形で革命しなかったことだと
思います。
ぼくが
晏嬰を尊敬するのは
使えた3代の君主は
暗愚だったにも関わらず
忠節を貫いた点です。
つまり
もし仮に
日本に素晴らしい人が現れて
総理になっても
今の国民の醸し出す空気では
その聖性や才覚を活かせるか微妙だと思います。
日本には
ビートたけし氏や中田英寿氏などの
立派な人物がいますが
日本国民は
彼らの才覚、カリスマを活かせていないと思います。
国民が
みんなで頑張り
聖なる人が増えていけば
安部総理も
いい方向に変貌されると
思います。
高橋(草莽崛起)
ぼくは
本田健さんの
著作を渉猟してきた。
そして
好きなことをすることにした。
毎日がボランティア活動である。
しかし
社会貢献と趣味
投資と消費の違いは
厳密には
よく分からない。
何となれば
私的に
ディズニーランドに行くことは
その方の心身の健康につながり
会社で
いつもけんかばかりしていたのが
穏やかな人物に変貌すれば
お客様や取引先の好感を上げ
売り上げ向上に貢献するからだ。
つまり
厳密に
掛け捨ての消費というのは
あまりない。
要は
ペイが発生するか否かは考えず
好きな興味のあることを
するのである。
ぼくは
物書きに
なりたかったので
なった(ブロガー)。
正直
いくつか文学賞に応募しているが
棒にもはしにも掛からないので
ここで
ショートショートを書き
政治哲学や森林学の自説を述べることにした。
しかし
以外にも
出口なおの御筆先の如く
際限なく文字が
溢れてくるのである。
ブログは
考えを整理するのにも役立つので
芸術的なgooブログをお薦めします。
♯welovegoo
高橋(アマブロガー)
近代の特徴は
構造主義
制度主義ともいえる。
システムや
明文化が完成すれば
人間が
幸福になるという説である。
しかし
むかしは
無文字文明であり
政治社会システムも
時々の指導者の
才覚、カリスマに
左右された。
だが
指導者の才覚や恣意に
翻弄される
政治は駄目なのか。
ギリシャの僭主政
ローマ帝国の暴君
始皇帝
ナチス
大日本帝国といった
悪い事例ばかり参照するから
駄目なのではないか(それが近代政治システムの動機)。
むしろ
卑弥呼
推古天皇
聖徳太子
神農氏
黄帝
堯舜
二宮尊徳
上杉鷹山
前田正甫公を
参照すれば
良いのである。
すなわち
悪人は目立つが
偉人は
轍跡なしで
目立たないのだ。
本物の経営者
ウォルマートの社長は
いつも
軽トラに乗っており
普通だったのだ。
明君を戴くためには
それに相応しい
国民になり
麒麟鳳凰が現れ
布袋さんや大黒さんが活躍する
穏和な日本を作るしかない。
いつの世にも
神がかった聖なる人物はいるが
周りの人々の人間力により
活かせるか否かが
決まる。
日本国民が
見識と人格を陶冶し
朝鮮や中国
ロシア、アメリカ
世界の人々と
仲良くすれば
近代の政治的な杞憂は
雲散霧消するのであります。
おわり
高橋
今般の安保法制等の
国政の変化に対して
民間公益部門は
如何なる社会貢献が
出来るだろうか。
本来
政府の定義は
政府及び公益団体を
指すようだ(ひるおび)。
よって
既に
NPO法人や公益法人は
政府なのである。
自ら非政府と称する
無意味な謙虚さは
要らないのだ。
元々
本会が
任意団体からNPO法人に移行したのは
貧乏なため
最適な公益法人として
NPO法人を選んだのである。
そして
敢えて
政治的なイデオロギーや
宗教活動を客観視し
世俗的な事業、ボランティアに特化した感じが良かったのだ。
ぼく個人は
60年安保を
はじめとする
左翼学生運動(民青及び中核・革マル・革労協、並びに全学連・全共闘等)や
伝統右翼及び新右翼(葦津珍彦、三島由紀夫、野村秋介、鈴木邦男氏の著作を渉猟した)を
不断に研究してきた。
その上で
自ら政府にならむと
野望したのである。
最近のデモ等を拝見すれば
かつての活動家世代
団塊世代が
昔の情熱に回帰しているように
見える。
プラトンは
次善の策(最悪のパターン)として
民主主義
大衆の多数決を
取り上げたに過ぎない。
近代の啓蒙主義が
敢えてその説(ギリシャ人の政治的センスは今も昔も低い)を取り上げたのは
カトリックの意思決定システムが
優れたるを知悉した上で
各国の王権を毀損するためであり
(大衆を煽動するレーニンのイメージ)
フリーメイソンリー及びイルミナティー等の世界政府組織は
イエズス会の如く
トップダウンの縦社会である。
話が
脱線したが
要するに
直接民主主義や
間接民主主義は
いずれも
最適な指導者がいない
ユダヤ人以外の異邦人世界を
想定した(だらにした)
政治システムなのである。
結論を言えば
学識と見識を高め
日本の王権(天皇陛下)を
輔弼し
政府になって
国政に参画するまでである。
高橋(ベンチマーク・CFR)