NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

憲法と皇室典範の改正(私案)

2015-09-24 | 提案

自主憲法制定の

ために

各界から草案を提案し

国民的議論を惹起すればよい。


日本共産党さんも

日本共和国憲法という草案を

準備していた。

 

最近の共産党の方は

福本イズムや

講座派や労農派

神山茂夫などの

説を知っているのだろうか。

 

現在の共産党の諸兄は

理論武装の威力を軽視しているように

思われるので

自党が憲法草案

それも

君主制ではなく

共和国の日本を

想定していることに驚嘆するのではないか。

 

 

いずれにせよ

私説を述べ

論議の俎上にのせねばならぬ。

 

まず

憲法である。

 

第9条はそのままでよい。

 

すなわち

国は

専守防衛で武装解除すべきである。

 

もし

仮に外国が侵攻してきた場合は

民間公益が志願兵を募り

ボランティアで戦う。

 

ボランティアの原意は

志願兵のことである。

 

変えねばならぬのは

第1条と第89条の

天皇の概念と

国家経営原則である。

 

そして

権利の縮小と

義務の拡張である。

 

公共の福祉

公序良俗という上部概念に

あらゆる個人的な自由権を

従属させる必要がある。

 

ハンス・ケルゼンの純粋法学は

歴史的役割を終えた。

 

むしろ

これからの法学は

自然法の概念から

公共の正義を

純化し

上部概念化せねばなるまい。

 

厳密に言えば

公共の正義に反する

個人の自由はない。

 

自由主義の概念は

近代に肥大し過ぎたのだ。

 

マンデヴィルやアダム・スミスの

自由主義は

単なる我が儘であり放縦を招いただけで

何等社会に貢献したことがない。

 

とにかく

まず

天皇陛下を国家元首に規定し(第1条)

学術や福祉の民生部門は

民間を主体とせねばならない(第89条)。

 

あらゆる福祉事業は

国家事業であり

厳密には民間が実施しては

ならないことになっているのだ。

 

そして

皇位継承は

世襲を廃止し

禅譲とすべきである。

 

堯と舜。

 

ダビデとソロモン。

 

継体帝と応神帝。

 

王座を保証するのは

血統の連続性ではない。

 

カリスマ

すなわち天来の聖性

聖霊の有無である。

 

よって性別は

不問となる。

 

 

高橋(王権神授説)

 

 

 


Ben-Hur (1959) - Trailer

2015-09-24 | 映画

Ben-Hur (1959) - Trailer


永遠法と実定法。

2015-09-24 | 提案

永遠法は

神の十戒や

八正道などの

歴史を超えた道徳律を示す。

 

日本の実定法

憲法と法律の権威が

著しく低下した。

 

ソクラテスは

讒言によって罪をきせられた。

 

キリスト様は

ローマの法によって十字架刑となった。

 

おそらく

永遠法上は

彼ら偉人、もしくは神に

正義があったろう。

 

にもかかわらず

地上の法

実定法に従ったのは

従順の徳を示すためではなかったか。

 

すなわち

筋を通す必要があるのだ。

 

何らかの理想や正義があるから

実定法に齟齬や矛盾があってもよい

とはならない。

 

今の憲法が

実定法の最高規範である以上

その規定を逸脱する運用は

言うまでもなく違法である。

 

すなわち

憲法改正の論議

自主憲法制定の論議こそが

国会で話し合う内容なのだ。

 

 

安部総理は

本題を先延ばしした方が賢明だと

お考えかもしれぬ。

 

しかし

国民は

本題に入ってほしいのである。

 

 

高橋コンサルタント(公共政策)

 


江淑娜 - 浪花節人生 (浪花節だよ人生は)

2015-09-24 | 音楽

江淑娜 - 浪花節人生 (浪花節だよ人生は)


発展途上の国はない。

2015-09-24 | コラム

第3世界

発展途上国。

 

対する先進国。

 

その概念が

間違いの 元である。

 

7人か8人で

サミットをして何になる。

 

かっこつけである。

 

近代文明が

発展形態の極相だと

誰が決めたのだ。

 

ロストーか

マルクスか

誰か分からない学者の説。


もうそろそろ

近代という偶像崇拝から

卒業せねばならない。

 

第3世界の貧困支援。

 

実際にそれを行う人々は

すばらしい。

 

しかし

アフリカ原住民が

貨幣がなくとも狩りや釣りで

自給自足しているのに

 

貨幣や開発なる文明の押し付けを

して果して何になるだろうか。

 

以前テレビで

自給農業で穏やかに暮らしているアフリカの方が、大規模な販売農業に呑み込まれそうになり苦悩しておられるのを放送していた。

 

つまり

近代文明の押し付けは

もうよいのだ。

 

何となれば

近代文明は

いずれ

古代ローマ文明の如く

華々しく崩れ去る運命にあるからである。

 

アーメン(ヘブライ語)

 

高橋