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NPO法人 地域福祉協会

清掃事業  森林事業(植栽・剪定)

Good bye Yesterday

2015-09-18 | 音楽

Good bye Yesterday


野性の風 LIVE JAZZ

2015-09-18 | 音楽

今井美樹i 野性の風 LIVE JAZZ


赤い鳥 竹田の子守唄(ライヴ)

2015-09-18 | 音楽

赤い鳥 竹田の子守唄(ライヴ)


差別の本質。

2015-09-18 | コラム

本会の

地域福祉の

概念に込められた

重要なメッセージの一つは

被差別問題の解決である。

 

おそらく

この問題は

法律と制度

解放運動団体においては

解決済みと

見なされているかもしれない。

 

関西では

同和教育が必須だが

他の地域では

どうだろう。

 

ぼくの

現時点での私見では

差別問題の本質には

聖なるものへの嫉妬と

愛情の枯渇がある。

 

芸術や芸能

外国人(渡来人)は

中世、室町までは

むしろ

普通に尊敬されていた。

 

 

王座と祭壇の崇敬と

同じメンタリティーとして

である。

 

突出した美貌の人が

歌や踊りを披露する。

 

新たな宗教を携えて

大陸から渡来する

異邦人。

 

王権を担保する

王の尋常ならざる

武勇と知略。

 

崇高な理想と

それを実現する

人徳と人望を持った聖人・上人。

 

刑場に勤め

介錯をせねばならぬ

仕事。

 

葬祭に関わる

聖なる人。

 

聖なる箒をもって

居住まいを掃き清める清掃人。

 

それらの役を遂行する人々は

尊敬されていたのだ。

 

にも拘らず

何ゆえに

差別と抑圧の対象に転じたか。

 

それは

近代社会に至り

人間の目が曇ったからだ。

 

聖なるものを

直観し

尊いものとして

認識することから

遠ざかったのだ。

 

ある意味

古代、中世までの人々の

眼は

真実を認識していた。

 

いつから

目が曇ったか。

 

いくさ、暴力の世に

転落してからだ。

 

昨今のいじめも

本質は同じである。

 

本当は仲良くなりたかった聖なる人。

 

それが叶わぬと分かったとき

人は

反対に差別と攻撃性を露呈する。

 

原初の情念は

苛烈な愛情の枯渇からくる

求愛なのだ。

 

これは

暴力の起源でもあり

あらゆる虐待と

テロリズムの

深奥に横たわる

昏い情念である。

 

好きな人に

辛く当たるのは

人間の性であり

業である。

 

なぜ

近代は神を否んだか。

 

それは

神の愛を求めている

証左である。

 

高橋記


弊なれば新なり。

2015-09-18 | コラム

古くなって

壊れるから

新しいものを新調できる。

 

最近の日本や世界の

情況は

混乱と混沌であり

考えても

訳が分からない。

 

よって

寧ろ

一人静かに

瞑想し

只管打坐するのが

賢明である。

 

今大事なのは

静寂と沈黙である。

 

テレビばかり

見ていても

真実が観えなくなる。

 

昔のような

趣のある番組は

少ないので

精査していい番組だけを

観るべきだ。

 

そして

テレビは

インターネットに

吸収され

 

公益に資することのない

番組や放送メディアは

激しい荒波に呑み込まれ

その船が

泥船であったことに

気付くだろう。

 

高橋(シングルメディア)

 

 


葬心

2015-09-18 | 音楽

葬心/童U+4E3D


真実の認識。

2015-09-18 | コラム

ぼくは

べつに訳の分からん方向に

堕落し

脱線している訳ではない。

 

何となれば

元々

中国哲学や

西洋古代・中世哲学を修め

近代の超克論を完成させる

野望を持ち続けていたからだ。

 

そして

ついに

歴史と超歴史的な

本質的課題が

浮き彫りになった。

 

歴史主義が貧困とは思わないが

単純な進歩主義という歴史への過信は

人間の営為への過信である。

 

ぼく個人でも

幼少より

確かに知識は増大しているが

事の真実を観る目は

曇っていたかもしれぬ。

 

その曇りを取り除いたのは

トイレ清掃と

時空を超越するインターネット世界であろう。

 

すなわち

ある種の悟りは

歴史と時間を超越した

プラトン的な認識であり

永遠の相の下で

心が

直感認識するのである。

 

実体に則していえば

生得的な霊魂が

物理的な実在を超えた

イデア的な実在から

照射されることが認識であり

真理の定義なのだ。

 

近代は

宗教的な教義と

自然学の知見と

哲学的、文学的な世界観を

峻別するが

 

本当は

全ての知見が

一つの真理・実体に依拠しているのではないか。

 

ただ

真実とは

往々にして

不都合なものなので

奥義として秘められていくのである。

 

高橋(society of philosophy)