大阪しぐれ 都はるみ 14 1990' UPL-0013
孔子さまは
堯、舜の時代や
周の時代が良かったと
現状を憂い
嘆いていた。
よって
仁義礼など徳の大切さを
訴えた。
しかし
よく考えれば
同時代に名宰相の晏嬰がいたのであり
孔子さま自身
歴史に名を残し
長きにわたり東アジアの道徳の柱となった。
つまり
この時代にも
偉大な人物となりうる
原石のような人がいるのだ。
ただ
一般大衆や
周りのひとが
それに気付かず
原石のまま
野に埋もれ
宝石のように輝く機会を
失っているだけだ。
田中角栄総理。
吉田茂総理。
野田総理。
枝野幹事長。
政党は
関係ない。
その時
トップの役を担う人々を
一般国民は
応援し
有り難き幸を
感謝し奉ったか。
どこかで
いつか
偉大な政治家や指導者が
現れるだろうが
今ではない
と思い込んでいないか。
今から
橋下市長をはじめ
偉大な人物の
原石たる方々が
澎湃と世に出てくるだろう。
野田総理が現れたとき
仏様のようだと
誰もが
一度は思ったはずだ。
おそらく
それぐらいの徳を持っておられたに
違いない。
あの時
私達国民は
仏様を信じきる必要があったのだ。
国民が
渾身の気持ちで
支え
感謝するならば
奇跡は起きた(はずだ)。
すなわち
今
安部総理は
弥勒菩薩になりうるのである。
それは
私達国民の
安部総理に対する
信頼
感謝
愛にかかっている。
高橋(菩薩行)
旧約聖書に描かれている古代ユダヤ人は
他民族と
戦争(聖戦)ばかりしていた。
キリスト様(ユダヤ名ヨシュア)が
現れ
非暴力を唱えられ
自らもそれを貫かれたので
キリスト教が出来(しゅったい)した。
しかし
キリスト教の教父
アウグスティヌスあたりから
現実やギリシャ的な知に
妥協し始め
限定的な戦争を
正しい戦争として容認した。
トマス・アクィナスに至り
正戦は
理論的に確立された。
すなわち
正しい戦争の条件が充たされれば
存分に戦争しても善いとされた。
しかし
異教徒との戦いは
何の制約もない
残酷な天使のテーゼであった。
オランダのグロティウスは
宗教戦争に明け暮れる
ヨーロッパを救うため
正戦の条件を少し厳しくして
平和実現を図ろうとした。
しかし
フランス革命や第1次、第2次世界大戦は
宗教に向けられていた十字軍的熱狂が
国家という頼りない主体に向けられた
全体戦争となり
正戦もなにもない修羅場と化した。
すなわち
現下のイスラム過激派とされる組織の
言動と同じである。
現在の
カトリック教会は
ヨハネ23世の回勅「パーチェム・イン・テリス」以降
正戦の概念を否定して
対話協調を再確認された。
今
西欧人の心の奥底に沈潜する
正しい戦いという
昏い情念の残滓に
火を着けんとする
エリートの野望があるならば
その過ちを
明確に指摘せねばならない。
高橋(地上の平和)