没後50年記念展です。
今までも藤田の作品はいろいろ見てきましたが、今回は若い時から順を追っての展示で、初めて見るものが多かったです。
藤田はフランスに勉強に行ってモンパルナスの画家仲間の”絵を自由に描く事”に触発され、当時の退廃的な空気にすっかり染まり、日本画壇からは「嘆かわしい!」等と疎まれました。
しかしフランスではエコールド・パリの寵児としてもてはやされ、フランス国籍も得、キリスト教の洗礼も受けレオナルドという洗礼名も貰い、レオナルド藤田と称するようになりました。
独特の乳白色の裸婦像が10点以上あります。裸婦だけでも見ごたえがあるのに、その背景の壁紙やカーテンの模様や猫が実に繊細に描かれているのに驚きます。
第一次世界大戦がはじまり退廃的なものは避けられていく中、藤田は中南米など旅行に出かけます。画風が全く変わってきます。
そして日本に戻ってきます。第2次大戦では戦意高揚に貢献すべく戦争画の大作を描きます。
アッツ島玉砕の絵は悲惨です。
敗戦後、藤田は戦争画を描いたということに贖罪を求められそうになり、再びフランスに帰ります。以後日本に帰ることはありませんでした。
日本とフランスの間で戦争等の事情で揺り動かされた一生だったのでは・・
80歳の時、小さな教会を建て、その中の壁ぐるりにフレスコ画でキリスト磔刑等の宗教画を精力的に描きました。その中には僧侶の一人として自画像もなにげに入れています。