君が代に反対する、または疑問を抱く人の語ることの多くは、私に言わせればくだらない、または不勉強な主張が多く、場合によっては政治的な情報操作に踊らされている可能性さえ感じてきました。
特にこれを音楽教師が語る場合は影響力が大きく、それを私は断固として否定してきたつもりです。
ただ、反対を唱える人の主張の中で、唯一(?失礼)「その面はあるかもしれない」と考えさせられるのが、「このメロディーは斉唱には似合わない」という論です。
以前小学校で6年生の音楽で授業したとき(違ったかな…?)、教材に、「越天楽今様」がありました。「はーるの…」と、あの黒田節を思わせる旋律に歌詞が書いてありました。
それまで合唱曲を中心に授業を進めていた私は困りました。一応、この曲を合唱曲の発声法で歌わせようなどという、愚かな選択はしなかったのですが、それでも、これを40人近い人数で斉唱しても、何とも異様な雰囲気になってしまうことは目に見えています。結局あの時は、教師によるそれっぽい歌い方を披露して(笑われましたが)斉唱はしなかったように覚えています。
同じようなことは、中学校で「こきりこ節」「ソーラン節」を指導したときにも感じました。これらについては、「独唱発表」という歌のテストで、選択制で歌わせた覚えがあります。(小学校のときと違い、これらの歌はけっこう人気がありました。それっぽい発声や、こぶしをつけて歌った子に対しては、みんなから拍手喝采でした。)
また、テレビドラマで、「○○カラオケ教室」の授業風景をシミュレートした場面が放映されていたのを見たことがあります。いわゆるド演歌を、先生の見本を1フレーズずつ聴かせては、20人近くの生徒が一斉にそれをまねして歌う、というシーンでしたが、20人が一斉に、それぞれのこぶしを利かせて同時に歌っている姿は、確かに異様なものがありました。(例えば、最近話題になった「おふくろさん」を、20人が森進一さんっぽく同時に歌っている姿を想像してみてください。)
邦楽は、まともに歌ったものは、基本的に、斉唱には向いていないのではないか、と私も思います。「君が代は、うたっているものを聴くほうがよいのではないか。」と。それはわからなくもありません。
とはいえ、先日記したエッケルト氏の願いに、「この歌を同時に、みんなで歌ってくれたら」というものがあり、一応これは斉唱を想定して作られた歌であること、長年聴いてきて、違和感を持つ人が少ないことなど考慮すれば、斉唱も、一応私の中では、許容範囲です。
特にこれを音楽教師が語る場合は影響力が大きく、それを私は断固として否定してきたつもりです。
ただ、反対を唱える人の主張の中で、唯一(?失礼)「その面はあるかもしれない」と考えさせられるのが、「このメロディーは斉唱には似合わない」という論です。
以前小学校で6年生の音楽で授業したとき(違ったかな…?)、教材に、「越天楽今様」がありました。「はーるの…」と、あの黒田節を思わせる旋律に歌詞が書いてありました。
それまで合唱曲を中心に授業を進めていた私は困りました。一応、この曲を合唱曲の発声法で歌わせようなどという、愚かな選択はしなかったのですが、それでも、これを40人近い人数で斉唱しても、何とも異様な雰囲気になってしまうことは目に見えています。結局あの時は、教師によるそれっぽい歌い方を披露して(笑われましたが)斉唱はしなかったように覚えています。
同じようなことは、中学校で「こきりこ節」「ソーラン節」を指導したときにも感じました。これらについては、「独唱発表」という歌のテストで、選択制で歌わせた覚えがあります。(小学校のときと違い、これらの歌はけっこう人気がありました。それっぽい発声や、こぶしをつけて歌った子に対しては、みんなから拍手喝采でした。)
また、テレビドラマで、「○○カラオケ教室」の授業風景をシミュレートした場面が放映されていたのを見たことがあります。いわゆるド演歌を、先生の見本を1フレーズずつ聴かせては、20人近くの生徒が一斉にそれをまねして歌う、というシーンでしたが、20人が一斉に、それぞれのこぶしを利かせて同時に歌っている姿は、確かに異様なものがありました。(例えば、最近話題になった「おふくろさん」を、20人が森進一さんっぽく同時に歌っている姿を想像してみてください。)
邦楽は、まともに歌ったものは、基本的に、斉唱には向いていないのではないか、と私も思います。「君が代は、うたっているものを聴くほうがよいのではないか。」と。それはわからなくもありません。
とはいえ、先日記したエッケルト氏の願いに、「この歌を同時に、みんなで歌ってくれたら」というものがあり、一応これは斉唱を想定して作られた歌であること、長年聴いてきて、違和感を持つ人が少ないことなど考慮すれば、斉唱も、一応私の中では、許容範囲です。