songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

松田聖子さん1~またのめりこんでしまうのか?聖子さん以前~

2007-03-25 21:51:48 | 音楽
「君が代」でだいぶ疲れましたので、しばらく軽くいこうと思っているのですが、「松田聖子」という単語を自分で書いた瞬間、また悪い虫が出てきそうで、ちょっと困っております。

こんなところでカミングアウトするのも何ですが、口にするのもこっ恥ずかしい私のいくつかの思い出の中に、松田聖子さんは何度か出てきます。その筆頭として、私が生涯に、「ファンレター」というものを送った3人の中の一人が、聖子さんでした。

送ったのが確か1983年頃でしたから、聖子さんはバリバリのアイドル最高潮の時期です。私も自分自身、アイドルと呼ばれる人にファンレターを出すような人間だとは思っておりませんでした。しかし当時の私にとって、彼女から与えられたカルチャーショックはあまりにも大きかったのです。

それほど、一時期の私は、聖子さんにのめりこんでいたのかもしれません。しかし私の場合、そののめりこむべき入り口が、他の人とちょっとだけ違っていたのかもしれません。もともと私は、アイドルと言われる女の人たちを、あまり好きではなかった経緯があるのです。

小学校に上がる前から、私の中には妙な自負がありました。自分は音楽好きである、と。そして、私の父には、もっと大変な自負がありました。俺は音楽を聴く耳だけは確かである、と。
昭和40年代です。
歌唱力以上に、ルックスがもてはやされ始めた時代です。父はそこを見逃しませんでした。(そういう意味では、確かに、父はものを見抜くことを私に教えてくれた最初の「師」でしたな。)「ええか、あんな娘たちの歌は、歌じゃない。とにかく下手だ。」「うまい歌を聴こうと思ったら、まずは東海林太郎。次に藤山一郎、岡晴夫。女だったら奈良光枝で、次が菊池章子。ひばりは、世間では騒ぐけど、どうかなあ。今だったら、若いけど、森昌子がようやく許せる程度かな。」

ちょっと偏っているような気もしますが、あのころから30年以上を経た今、父の審美眼はそれほど狂っていないと言えそうです。そこまで耳の育っていなかった私は、「とりあえずアイドルの女の子は、歌はうまくない。」というステレオタイプだけが植えつけられました。

それほどませていなかったので、彼女たちのかわいさや美しさに気づくはずもなく、私も生意気にも、「歌が下手だからだめだよ。」などとほざいておりました。

聖子さんの音楽と出会う以前の話でした。
コメント
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