②当時及びその後の、周りの状況
あくまでもこれはわたしがまた聞きのまた聞きで得たうろ覚えの情報ですので、信ぴょう性はどうかとも思うのですが、
事件当時、この中学校のこの学年では、生徒指導上非常に厳しい時期であったと聞いたことがあります。
ニュースであげられた子たちは、その中心となって話題にあげられるようなメンバーではなく、全く別の子たち(女の子らしい)の荒れた姿で、学年中ぼろぼろになっていたというのです。
まあ悲惨ないじめというときは、そうした状況下、隠れた現場で行われるものなのかもしれません。
そうだとすると、おそらく学校の先生たちは、別の荒れた状況の生徒指導でエネルギーを使い果たしており、現実問題、そこまで手が回らなかったというのが真相だったのではないか、と私は勘ぐってしまうのです。
もしもそうだったと仮定して。
「それでも、十分生徒に気を配って、しっかりと連絡を取り合い、事態がエスカレートしないようにきめ細かく指導するするのが教師の務めであり、忙しかったからといっていじめを放置してしまったとすれば、教師の責任は重い。そんなもの、言い訳にもならない」ー。が一般論でしょう。
それは、それこそ議論を進めなくする「バカの壁その2」です。
法的に、教師の責任を問うことはできます。しかし、状況を想像すれば、すでにそれは、不可能だったのではないかと考えらるということです。
心情的に状況を考えると、教師側の指導力不足、対応力不足という言葉をあてはめるのは、見当違いというものです。あくまでも心情面で述べれば、です。事件はそういう状況の中で起こっていたのだということは知っておいたほうがいい。誰もこういう場で述べないので、あえて書かせていただきました。
教師までが加担していたどこかの案件と違うのです。
そして事件後。
4人はもとより、学校には多くの生徒がいます。
さきほど、荒れた、と記述しました。失礼を承知でかかせていただければ、長年荒れ続けた学校と違い、ここは、まあ、ごくありふれた学校です。(主観によって違うかもしれませんが)
その学年には、特別に指導の必要な子が数人いて、この学年が厳しかったことは想像に難くありませんが、実際のところ、大半は、いわゆるごく普通の生徒です。
この子たちの、あの事件以後の心情やいかに。
当時の生徒で、現在、「これは心的外傷の症状ではないか」と思われる若者の姿を、(詳しく述べるのは避けますが)実は私は数人、実際に見ています。
今回ここにしたためようと思ったきっかけにもなった若者の姿です。
誤解のないよう述べておきますが、その若者は、当時のことを一切語りません。私も聞いておりません。上に記したいろんなことは、別ルートで私が得た情報です。
全く個人的にではありますが、私が出会ったいろいろな人たちの状況をつなぎ合わせると、上に書いたような姿が想像できるのです。
マスコミの報道。少なくとも3カ月にわたって鳴り続けた非難の電話。その中に、周りの生徒たちの状況は全く報道されませんでした。もちろんPTAから、生徒たちから直接取材しないようにというマスコミへの連絡があったからのことでしょう。しかし、当の生徒たちがいかにこの件で大きな影響を受けたか、誰も述べてくれないのです。
真実はそこの中にこそ埋まっていたはずなのに。
結局マスコミは、当時現場にあそこまで足を踏み入れておきながら、全く真実に触れようとする姿勢を見せず、騒ぎのタネだけをばらまいていたのでした。それが更に大きく生徒たちを混乱に陥れます。
あくまでもこれはわたしがまた聞きのまた聞きで得たうろ覚えの情報ですので、信ぴょう性はどうかとも思うのですが、
事件当時、この中学校のこの学年では、生徒指導上非常に厳しい時期であったと聞いたことがあります。
ニュースであげられた子たちは、その中心となって話題にあげられるようなメンバーではなく、全く別の子たち(女の子らしい)の荒れた姿で、学年中ぼろぼろになっていたというのです。
まあ悲惨ないじめというときは、そうした状況下、隠れた現場で行われるものなのかもしれません。
そうだとすると、おそらく学校の先生たちは、別の荒れた状況の生徒指導でエネルギーを使い果たしており、現実問題、そこまで手が回らなかったというのが真相だったのではないか、と私は勘ぐってしまうのです。
もしもそうだったと仮定して。
「それでも、十分生徒に気を配って、しっかりと連絡を取り合い、事態がエスカレートしないようにきめ細かく指導するするのが教師の務めであり、忙しかったからといっていじめを放置してしまったとすれば、教師の責任は重い。そんなもの、言い訳にもならない」ー。が一般論でしょう。
それは、それこそ議論を進めなくする「バカの壁その2」です。
法的に、教師の責任を問うことはできます。しかし、状況を想像すれば、すでにそれは、不可能だったのではないかと考えらるということです。
心情的に状況を考えると、教師側の指導力不足、対応力不足という言葉をあてはめるのは、見当違いというものです。あくまでも心情面で述べれば、です。事件はそういう状況の中で起こっていたのだということは知っておいたほうがいい。誰もこういう場で述べないので、あえて書かせていただきました。
教師までが加担していたどこかの案件と違うのです。
そして事件後。
4人はもとより、学校には多くの生徒がいます。
さきほど、荒れた、と記述しました。失礼を承知でかかせていただければ、長年荒れ続けた学校と違い、ここは、まあ、ごくありふれた学校です。(主観によって違うかもしれませんが)
その学年には、特別に指導の必要な子が数人いて、この学年が厳しかったことは想像に難くありませんが、実際のところ、大半は、いわゆるごく普通の生徒です。
この子たちの、あの事件以後の心情やいかに。
当時の生徒で、現在、「これは心的外傷の症状ではないか」と思われる若者の姿を、(詳しく述べるのは避けますが)実は私は数人、実際に見ています。
今回ここにしたためようと思ったきっかけにもなった若者の姿です。
誤解のないよう述べておきますが、その若者は、当時のことを一切語りません。私も聞いておりません。上に記したいろんなことは、別ルートで私が得た情報です。
全く個人的にではありますが、私が出会ったいろいろな人たちの状況をつなぎ合わせると、上に書いたような姿が想像できるのです。
マスコミの報道。少なくとも3カ月にわたって鳴り続けた非難の電話。その中に、周りの生徒たちの状況は全く報道されませんでした。もちろんPTAから、生徒たちから直接取材しないようにというマスコミへの連絡があったからのことでしょう。しかし、当の生徒たちがいかにこの件で大きな影響を受けたか、誰も述べてくれないのです。
真実はそこの中にこそ埋まっていたはずなのに。
結局マスコミは、当時現場にあそこまで足を踏み入れておきながら、全く真実に触れようとする姿勢を見せず、騒ぎのタネだけをばらまいていたのでした。それが更に大きく生徒たちを混乱に陥れます。