songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

ちりとてちん ソナタ論1

2009-03-21 13:26:01 | マスコミ関係
えらい奇をてらったようなタイトルですが、そんなに大したことを述べようとしているわけではありません。

まずは、前回「瞳」の総集編は面白かった、と述べました。
それに比べ、「ちりとてちん」の総集編を見ると、実はちりとてちんというドラマは、半年間という長期間放映した割には、扱った素材は、それほど多くなかったことに改めて気付かされるのです。

・どんな人たちが出てきて
・どんな素材が扱われたか(ちりとてちんでは、若狭塗り箸、上方落語、など)

「瞳」は、それが盛りだくさんでした。ヒップポップ、月島と下町、里親、もんじゃ、など)だから、総集編で見ると、「これもあった、あれもあった、こんな人も、あんな人もいた」と、素材のオンパレードを楽しめるわけです。だから、見ていて懐かしいし、面白い。
ところが、総集編でそれほど面白いわけでもない「ちりとてちん」が、名作と断言できそうなのは、なぜか。

ここで、音楽用語の「ソナタ」を持ち出したいと思います。
音楽は好きだけど、クラシックの専門ではないので、ここからはいささか厳しいのですが、ない知恵しぼって書きます。

【名作のソナタは、少ない素材から作られる】
結論と言えば結論ですが、
一番顕著な例はモーツアルトだと思います。
「アイネ クライネ ナハトムジーク」(ソ、レソ、レ ソレソシレ…のやつです)など、最初の「ソ、レソ、レ ソレソシレ」
おそらくモーツアルトが頭を使って考えたメロディーはそこだけです。後のメロディーは彼の頭の中にある自然な音楽の流れに沿って、自然にわき出てくるままを書き綴ったにすぎない、と思わせられる音楽です。

だからこそ神がかりといわれ、天才の誉れが高い。

ソナタ形式というのはどれでもそうなのですが、例えばベートーヴェンの「運命」にしても、あの長い曲も、始めの「ジャジャジャジャ~~ン」と、途中の「ソド/シド レラ ラソ」(移動ドで書きました)という二つの「メロディーの形」だけを骨格として作られています。

音楽では、こうしたものを、「動機」とか、「モチーフ」とか言います。

これが、「ちりとてちん」とどう結びつくか。

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