以前仕事で二十年ほど関わらさせていただいた大先輩が体調をくずされたので、先日お見舞いに伺いました。昨日回復されたとの連絡をいただいたので先ずひと安心です。
昔、希望される顧客を展示会に招いてデザイナー等モノ作りの担当者が解説させていただく機会がありました。その大先輩が一人の顧客の話を伺ったところ、その方が社会人になって数十年の間着ていた服のほとんどが、幾つかのブランドで自分がデザインしてきた物だったという事が解かり「それはみんな僕が作っていたものです」と種明かしして、出会いを喜んだという話がありました。そうした顧客は三十数年のキャリアの間に相当数に上ると思います。
誰が作ったかは知らずテイストを嗅ぎ分けて買い続けてくださった顧客もそうですが、作り手としてもこんな幸せなことはないかも知れません。
お見舞いに伺った時も適当な所でお暇しようとしましたが、お話は静かに熱を帯びて、親子ほども歳の違うその方がキャリアをスタートさせた1960年頃からのモノ作りや生地の調達の話となり、普通のお見舞いとはだいぶ趣の違うものになってしまいました。
出会ったことのある海外の方も含め、数少ない本当のプロと言える人のお一人ですが、その日は「最初はプロとも言えないレベルだったかも知れないけど.....」と二回くらい仰ったのが印象的でした。
やはり何年か前に聴いたその当時の話で、情報の少ない時代でもあり試写室や映画館の暗い中で衣装のスケッチをとっていたというお話を思い起こします。
先日のアジサイが少し青みがかって来ました。
昔、希望される顧客を展示会に招いてデザイナー等モノ作りの担当者が解説させていただく機会がありました。その大先輩が一人の顧客の話を伺ったところ、その方が社会人になって数十年の間着ていた服のほとんどが、幾つかのブランドで自分がデザインしてきた物だったという事が解かり「それはみんな僕が作っていたものです」と種明かしして、出会いを喜んだという話がありました。そうした顧客は三十数年のキャリアの間に相当数に上ると思います。
誰が作ったかは知らずテイストを嗅ぎ分けて買い続けてくださった顧客もそうですが、作り手としてもこんな幸せなことはないかも知れません。
お見舞いに伺った時も適当な所でお暇しようとしましたが、お話は静かに熱を帯びて、親子ほども歳の違うその方がキャリアをスタートさせた1960年頃からのモノ作りや生地の調達の話となり、普通のお見舞いとはだいぶ趣の違うものになってしまいました。
出会ったことのある海外の方も含め、数少ない本当のプロと言える人のお一人ですが、その日は「最初はプロとも言えないレベルだったかも知れないけど.....」と二回くらい仰ったのが印象的でした。
やはり何年か前に聴いたその当時の話で、情報の少ない時代でもあり試写室や映画館の暗い中で衣装のスケッチをとっていたというお話を思い起こします。
先日のアジサイが少し青みがかって来ました。