堪忍は 無事長久の基。怒りは敵と思え。
「解説」徳川家康(江戸幕府初代将軍1542~1616)
徳川家康が残したとされる『東照公御遺訓』の一節です。6歳で織田家、8歳で今川家の人質となり、以後とらわれの身として長年苦難に耐えた経験が、家康の人生観を作りました。さらに、19歳で岡崎城主になってからも、織田信長や豊臣秀吉をはじめとする大名らと、ときには服従し、同盟を結び、敵対しながら機会が来るのを待ち続けました。忍耐を重ねて天下を取った生き様が、この人生訓ににじみ出ています。
家康には忍耐強いイメージがありますが、爪を噛む癖があったことからも、実はカッとなる性格だったとも言われています。自分の性格を自覚し、乱世を生き残る術を懸命に考えたからこそ、62歳にしてようやく江戸幕府を開くことが出来たのです。
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