日本民藝館創設70周年記念特別展として「棟方志功と柳宗謁悦展」が、そご
う美術館で6月11日まで開催されている。 そのパンフレットによれば
『1963年(昭和11年)、国画会の展示会場で出会った棟方志功と柳宗悦。
当時無名の画家にすぎなかった棟方の運命は、この柳との出会いによって大
きくかわっていきます。彼らを引き合わせた棟方の会心作(大和し美し)は、
その年開館予定であった東京、駒場の日本民藝館によって買い上げられ、以
後棟方は柳をはじめ、浜田庄司、河井寛次郎といった民藝の人々と深い親交
を結ぶようになり……』と紹介されている。
展示品の中には、柳宗悦によって表装され、浜田庄司、河井寛次郎らによる
陶軸を用いた作品があった。多くの版画と共に絵画に優しい雰囲気を私は感じ
た。
ところで、5月19日に刊紙に盗作疑惑で報道された、洋画家和田義彦氏の
作品「ダンス」に目が止まった。イタリアの画家、アルベルト・スギ氏の「ザ・
ボール、ノクターン」と構図が全く同じなのである。
驚くことに、和田氏は前記の美術団体『国画会』に所属していた。そして、
芸術選奨文部科学大臣賞受賞を取り消され、挙句には名古屋芸術大学を退職
せざるを得なかったことまで報道された。
所属団体の「国画会」にとって眞に不名誉なことであるが、文化庁のていた
らくには恐れ入った。大臣賞を取り消したことですむ問題ではなかろう。スギ
氏の出方によっては日本自体が問われることになる。
棟方志功氏が『国画会』を基点として「世界のムナカタ」と呼ばれるように
なったのに、方や同じ国画会所属の洋画家は、盗作による絵画が芸術作品とし
てのお墨付きを日本国から受けていた。日本国の品格が問われる問題である。
う美術館で6月11日まで開催されている。 そのパンフレットによれば
『1963年(昭和11年)、国画会の展示会場で出会った棟方志功と柳宗悦。
当時無名の画家にすぎなかった棟方の運命は、この柳との出会いによって大
きくかわっていきます。彼らを引き合わせた棟方の会心作(大和し美し)は、
その年開館予定であった東京、駒場の日本民藝館によって買い上げられ、以
後棟方は柳をはじめ、浜田庄司、河井寛次郎といった民藝の人々と深い親交
を結ぶようになり……』と紹介されている。
展示品の中には、柳宗悦によって表装され、浜田庄司、河井寛次郎らによる
陶軸を用いた作品があった。多くの版画と共に絵画に優しい雰囲気を私は感じ
た。
ところで、5月19日に刊紙に盗作疑惑で報道された、洋画家和田義彦氏の
作品「ダンス」に目が止まった。イタリアの画家、アルベルト・スギ氏の「ザ・
ボール、ノクターン」と構図が全く同じなのである。
驚くことに、和田氏は前記の美術団体『国画会』に所属していた。そして、
芸術選奨文部科学大臣賞受賞を取り消され、挙句には名古屋芸術大学を退職
せざるを得なかったことまで報道された。
所属団体の「国画会」にとって眞に不名誉なことであるが、文化庁のていた
らくには恐れ入った。大臣賞を取り消したことですむ問題ではなかろう。スギ
氏の出方によっては日本自体が問われることになる。
棟方志功氏が『国画会』を基点として「世界のムナカタ」と呼ばれるように
なったのに、方や同じ国画会所属の洋画家は、盗作による絵画が芸術作品とし
てのお墨付きを日本国から受けていた。日本国の品格が問われる問題である。