11月11日(日)、浦舟複合福祉施設において多文化交流会が開催された。外国の方も多く訪れそれぞれ体験し見て食べて親子で楽しむ姿が印象的だった。体験講座は、書道、ペン習字、絵手紙、押し花、折り紙、キッズ英語、読書活動、健康セルフチエック、テーブルマジック、健康麻雀など多種多様であった。催しの一つに「押し花展」のブースが設けられ作品展示とともに体験参加でそれぞれの押し花作成を楽しんでいた。若い方、親子ずれ、外国の方など日本文化を実体験し「みんなのわっ!」にふさわしいフエスタであった。押し花参加者の写真は了承を得てカメラに収めた。なお壁画の写真は故加藤唐九郎氏の黄瀬戸による「あじさい」で、表壁画には織部焼による「あじさい」がある。
平成30年11月4日(日)13時50分~NHK放映、あの日 あのとき あの番組「虫と語り 虫を描く~熊田千佳慕 生命のメッセージ」と題して放映される。細密画家として世界的に知られる熊田氏は亡くなられているが、生前面談し写真を撮りサインをいただいた。その方の生涯をかけて描き続けた草花そして虫。この放映に期待が膨らんでいる。
1911年(明治44年)横浜市鶴見生まれ。細密画家・童画家。70歳で「ファーブル昆虫記」の作品がボローニャ国際絵本原価展に入選し、一躍脚光を浴びる。2009年8月、東京銀座松屋にて白寿を記念して、「プチファーブル・熊田千佳墓展」が開催されたが、開催二日目の8月13日98歳で亡くなられた。
「千佳慕の横浜ハイカラ貧乏記」の自筆をカメラに収めました。
熊田千佳慕画伯から突然にプレゼントされたものです。
1911年(明治44年)横浜市鶴見生まれ。細密画家・童画家。70歳で「ファーブル昆虫記」の作品がボローニャ国際絵本原価展に入選し、一躍脚光を浴びる。2009年8月、東京銀座松屋にて白寿を記念して、「プチファーブル・熊田千佳墓展」が開催されたが、開催二日目の8月13日98歳で亡くなられた。
「千佳慕の横浜ハイカラ貧乏記」の自筆をカメラに収めました。
熊田千佳慕画伯から突然にプレゼントされたものです。
思いついたことは すぐやろうじゃないか(市川左団次・二代目・歌舞伎俳優1880~1940)
「解説」「今できないことは、10年たってもできない。思いついたことはすぐやろうじゃないか」 二世市川左團次の言葉です。
佐團次は歌舞伎俳優として育ちましたが、ヨーロッパへ演劇視察に出かけた後、友人であり作家の小山内薫と自由劇場を創立、翻訳劇の上演に力を注ぎました。また、昭和3年にはソ連で史上初の歌舞伎海外公演を行うなど、伝統の世界に新しい風を吹き込んでいます。
わたしたちはよく「いつか会おう」、「いつかやろう」などと口にします。でも、行動しなければその「いつか」はやってきません。「すぐやる」をモットーにすれば、自分の世界は広がるはず。それはつまり、新しいことや楽しいことに出会えるチャンスも増えることです。
「しあわせのヒント」
「いつかやる」は結局やらないので、先送りしないこと。期日を決めてとにかく行動しましょう!
「解説」「今できないことは、10年たってもできない。思いついたことはすぐやろうじゃないか」 二世市川左團次の言葉です。
佐團次は歌舞伎俳優として育ちましたが、ヨーロッパへ演劇視察に出かけた後、友人であり作家の小山内薫と自由劇場を創立、翻訳劇の上演に力を注ぎました。また、昭和3年にはソ連で史上初の歌舞伎海外公演を行うなど、伝統の世界に新しい風を吹き込んでいます。
わたしたちはよく「いつか会おう」、「いつかやろう」などと口にします。でも、行動しなければその「いつか」はやってきません。「すぐやる」をモットーにすれば、自分の世界は広がるはず。それはつまり、新しいことや楽しいことに出会えるチャンスも増えることです。
「しあわせのヒント」
「いつかやる」は結局やらないので、先送りしないこと。期日を決めてとにかく行動しましょう!