ここ数年、この月日は、書き物を一気に仕上げてた時期だ。
1日で原稿用紙80枚なんてこともあった。
しかし、今年は、雑務の多さで参っている。
大学院を花火のように打ち上げたが、
一教員が、院生の研究費や、科研費など、
すべてを統括し、書類を書いているので、
とてもじゃないが、研究どころではない。
国立大学のようには回らない。
しかし、会議などの合間に、
とりあえず、paper1本を調整した。
昨日のタイトルは、心身二元論的にとらえられるかもしれないが、
そんなに複雑には考えないでほしい。
両方とも一心同体であるという視点だ。
目に見える骨格体と、目に見えない身体(身体性)をわかってもらう意味でも
簡単に書いただけ。
それと感情かな。
私の身内(who?)の卒業式に、自らの大学(担任)の卒業式がブッキングしたという感情が、そのような言葉を生み出したのだ。
この数年、土日がほとんどふさがっており、
それはそれは楽しみにしていたが、
ここまで仕事に邪魔されるとは、
もう飽きれてものが言えぬ。
そういう感情が論理に打ち勝つ。
実に面白い。
ことばとは、難しいもので、
特にブログなんかは考えてかいておらず、
2~3分の出来事なので、あとでみかえすと、
ひどい思考だとよく思う。
これも、多いときは4000字ぐらいになっているので、
それを数分だから、ひどい場合もある。
考えて書くんだったらブログではもったいない。
とっくに出版ルートにのせている。
これは歯磨きみたいなものだ。
ときにめんどくさく、よっぱらってたら、そのまま寝る、
そんな感じだ。
さて、今日も院生をまとう。
それにしても、認知運動療法のメンツたちは、
どうして科学論文にも難しい表現を使うのだろう。
それをメタ認知で使い分けてほしい。
投稿する先を考え、単語を、表現を巧みに使い分ける。
原著は、その道でなくてもわかるように表現しないといけない。