金曜日は9時より畿央大学4期生の卒論発表会が始まる。
昨年より3週間早いタイトなスケジュールの中、
ある程度の結果を抽出し、
それなりに仮説が検証され、
ポジティブなデータが分析されているのも多い。
3年生の中頃にゼミが動きはじめたが、
間に実習が入り、
結局は実習後の3か月で予備実験、データ採取、
分析、そして考察をしたことになる。
そう考えると、うちの学生はみんな優秀だと思う。
白紙の段階で問題を投げかけると躊躇する学生が多いが、
始動しはじめると、その展開は速いし、
スライド発表を見ていると、
1期生~4期生のみんなの能力は社会人以上でもあるようにも思える。
作業記憶がいいんだろう。
金曜日はゼミ生8名のうち6名が発表した。
その発表を聞き、
その後、岡山に向けて出発。
14時40分より教育学の講義を行う。
今日は次回からのディべート授業に関するオリエンテーションがほとんどであった。
次回より、「わかる」「できる」「おぼえる」「かんがえる」について検討するために、
ディベート授業を構成する。
残りは環境―学習について話した。
18時からの夜間もそれに付随する内容であったが、
彼らは社会人であり、
すでに助手としてつとめているものもいるために、
出来るだけ、リアリティを入れ話している。
患者を教育するために、あるいは学習プロセスにのせるための手続きについて話している。
今日は朝から大学に向かい、
他の研究室の学生の発表を聞いたのちに、
残る2名のゼミ生の発表を聞いた。
深い洞察がされているいい内容だったと思う。
文献もよく読んでいる。
英語ももちろん。
快に関する神経伝達物質はでただろうか?
あるいは、冷静に意識をコントロールし、
今後、なぜ、臨床家が臨床家の手で研究を続けないといけないかについて認識しただろうか?
人生とは研究そのものである。
恋愛も研究。
子育ても研究。
人生設計も研究。
職場運営も研究。
予想をして、その予想を具体化するために仮説をたて、
そして、それを自らの企画した方法によって検証していく。
その結果が照合され、それが永遠と循環し続ける。
常に差異が生まれれば(気づければ)。
研究を行えば行うほど、差異は生まれる。
それを認知できるかが、技術でもある。
最後にゼミ生をねぎらい、残る論文を完成するようにはっぱをかけた。
来週末が締め切りである。
いよいよ、それが終われば、集大成となる国家試験に。
今年度は大幅に変わるために困惑状態であることは間違いないが。
今までのAMに専門、PMに共通が取っ払われてしまう。
さてさて、「脳を学ぶ(2)」を10月末から書き始め、
一つの節を1時間程度でかき、
このペースであれば、11月で完成か!!と思っていたが、
この11月の講演は半端ない数であることを
11月に入って認識してきた。
講演資料はもちろんのこと、
明日の講演スライドを今日している自分はまさに炎上している状態である。
メールの返信なんかできるはずがない。
フラッグメールだらけになってしまっている。
ましてや、交通手段や何時に出ればいいのかの認識もままならない。
秘書が本当に必要かもしれない。
パートでエクセル入力程度で雇っているのではだめそうだ。
このペースだと執筆は12月からの開始になってしまう。
間があくと、情動が揺らぐ。
それが人間らしさであることは間違いないが。