金曜日、岡山に向かう途中にヒルトンバケーションクラブに。
いつもは近鉄を利用するがこの日はJR香芝駅から。
ヒルトンホテルのロビーはクリスマスモードでいっぱいだった。
ツリーでないのがよい。
一度、入ってみては。
14時40分より、岡山で講義。
ディベート授業。
「わかる」が大切か「できる」が大切かについてそれぞれの主張を聞く。
このように確実でないものに対する論議、
そして、それに対する主張、
そして何よりもどこかでの決断が必要なものは、
これからの人生で大いに起こる。
理学療法も一緒であり、
患者の幸せを創るためには、あるところで決断が必要である。
論破する際には、片方の主張を批判せずとも、
自分の主張の良さを示したほうがよい。
片側の主張に対する批判になると堂々巡りになり、
結局は両方とも大事に落ち着く。
学会での論議も同じになってしまっているのが残念である。
20時前に授業を終え、
いつもは飲みにいくが、
今日はさすがに結石の按配がよくなく、ホテルでおとなしくする。
土曜日、学長の米寿祝いのため、岡山より京都に向かう。
グランビア京都での祝いはアットホームに進んだ。
ほとんどの方が肩書きの立派な方で少々居心地が悪いかと思ったが、
学長のお人柄のおかげで、祝いの宴は楽しく進んだ。
88歳、現役教育者。
襟が正されるし、
そのスピーチは現在進行形であり、それをみるだけで育てられる。
まだまだ育ててもらう方がいることは人生にとって幸せなことだ。
それこそ、la vie en roseである。
京都を16時前に出て、博多に向かう。
先ほどいた岡山の通り過ぎ、博多駅へ。
博多駅につくと田中創先生に迎えにきてもらう。
彼の視線は軽くないのが良い。
なんというか、日々悩んでいるというか、そういう心が目にあらわれている。
追記するが、軽くないのがよい。
表情には人生があわらわれる。
ファッションセンスもよい。
見られるということを意識している。
そういう意識は日々もたなければならない。
どうでもいいことはない。
そういう心構えが研究や臨床に出る。
内面だけでなく外面も鍛えないといけない。
その日は大川先生らハンドセラピー研究会のメンバーと
もつ鍋を囲み懇談する。
彼らの真摯な態度に好感を持つ。
翌日は、4時間にわたり、手の運動制御と運動学習について話した。
手は何のためにあるのか、そういう視点を含んでである。
動くことは調べることである。
手は私自身、すなわち脳である。
まずまずの講義であったと思う。
また、別の研究会・学会などでも話すことができればと思う。
今度は痛みについて語ることを約束して、すばらしい会場を後にした。
300名の参加があったようで、感謝します。
100名断ったらしく、これまた、またの機会があればと思う。
運動器のリハビリテーションにおいても考えないといけないことがある。
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ミスチルのドームコンサートに向かう人ごみを抜け、
博多の町で、もはや盟友ともいうべき小鶴氏と話し、
ホテルに帰還した。
薬を飲むのを忘れていたのが気になり、
ホテルにかえるやいなや、薬を飲んだ。
今から移動する。
いつもは近鉄を利用するがこの日はJR香芝駅から。
ヒルトンホテルのロビーはクリスマスモードでいっぱいだった。
ツリーでないのがよい。
一度、入ってみては。
14時40分より、岡山で講義。
ディベート授業。
「わかる」が大切か「できる」が大切かについてそれぞれの主張を聞く。
このように確実でないものに対する論議、
そして、それに対する主張、
そして何よりもどこかでの決断が必要なものは、
これからの人生で大いに起こる。
理学療法も一緒であり、
患者の幸せを創るためには、あるところで決断が必要である。
論破する際には、片方の主張を批判せずとも、
自分の主張の良さを示したほうがよい。
片側の主張に対する批判になると堂々巡りになり、
結局は両方とも大事に落ち着く。
学会での論議も同じになってしまっているのが残念である。
20時前に授業を終え、
いつもは飲みにいくが、
今日はさすがに結石の按配がよくなく、ホテルでおとなしくする。
土曜日、学長の米寿祝いのため、岡山より京都に向かう。
グランビア京都での祝いはアットホームに進んだ。
ほとんどの方が肩書きの立派な方で少々居心地が悪いかと思ったが、
学長のお人柄のおかげで、祝いの宴は楽しく進んだ。
88歳、現役教育者。
襟が正されるし、
そのスピーチは現在進行形であり、それをみるだけで育てられる。
まだまだ育ててもらう方がいることは人生にとって幸せなことだ。
それこそ、la vie en roseである。
京都を16時前に出て、博多に向かう。
先ほどいた岡山の通り過ぎ、博多駅へ。
博多駅につくと田中創先生に迎えにきてもらう。
彼の視線は軽くないのが良い。
なんというか、日々悩んでいるというか、そういう心が目にあらわれている。
追記するが、軽くないのがよい。
表情には人生があわらわれる。
ファッションセンスもよい。
見られるということを意識している。
そういう意識は日々もたなければならない。
どうでもいいことはない。
そういう心構えが研究や臨床に出る。
内面だけでなく外面も鍛えないといけない。
その日は大川先生らハンドセラピー研究会のメンバーと
もつ鍋を囲み懇談する。
彼らの真摯な態度に好感を持つ。
翌日は、4時間にわたり、手の運動制御と運動学習について話した。
手は何のためにあるのか、そういう視点を含んでである。
動くことは調べることである。
手は私自身、すなわち脳である。
まずまずの講義であったと思う。
また、別の研究会・学会などでも話すことができればと思う。
今度は痛みについて語ることを約束して、すばらしい会場を後にした。
300名の参加があったようで、感謝します。
100名断ったらしく、これまた、またの機会があればと思う。
運動器のリハビリテーションにおいても考えないといけないことがある。
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ミスチルのドームコンサートに向かう人ごみを抜け、
博多の町で、もはや盟友ともいうべき小鶴氏と話し、
ホテルに帰還した。
薬を飲むのを忘れていたのが気になり、
ホテルにかえるやいなや、薬を飲んだ。
今から移動する。