脳を学ぶ(1)では、脳について知ることの重要性について説きました。その視点は、今の人間の脳は進化の過程で形成され、今なお変化しているという点、そして、絵を使い視覚的にも表象してもらうという点に重点を置きました。
活字ばかりだと、言語的表象のみ脳に蓄積され応用・展開能力に欠けてしまうことを危惧し、子どもが学ぶプロセスにしたがい、視覚的表象を利用するために、絵を大きくし、そして後半には脳だけを示し、ぬり絵をしてもらいながら、脳の中に視覚的表象を築いてもらい、それまでの文章との統合を行ってもらおうという意図です。
さらに、巻末はクラフトによる脳模型の作成を促すようになっています。子どもの本に付録がついているように。これは、手、すなわち運動・動作を行うことで、体性感覚、すなわち自分自身の内的な感覚を脳を作成することで記憶として残してもらおうと意図したものです。
教育心理学者のブルーナー博士は、子どもが何かを知るための手続きとして、動作的表象、視覚的表象、言語的(象徴的)表象をあげ、それらが心的に統合されることで発達していくことを述べています。神経科学者の入来博士はこの表象が生み出される脳内メカニズムを研究していますが、それらが段階を踏みながら、脳のなかで統合されていることを仮説立てています。最初は身体を利用した運動です。子どもは、まれたては言語をもちえていません。したがって何かを知るためには、自らの手足を使って、それにタッチすることから始めます。能動的接触(アクティブタッチ)です。身体を使って脳に経験を宿らせる。その手法をまずはとります。その後、その接触と視覚(見るという行為)を統合させはじめます。
脳を学ぶ(1)では脳の模型がついていると滑稽に思ったかもしれませんが、これは意図があったのです。大人の脳は概念形成により自らの行動を制限しています。脳を学ぶ(1)を買った人でも模型を作製していない人は数多くいるでしょう。それは大人の脳だからです。すでに言語的表象の世界観のみで生きているからです。これは脳卒中になった方々にも垣間見ることができます。自らの身体を使って世界を知るという手段は、遠い過去です。だから、言葉優先で事象をとらえてしまい、自己の身体を知ろうとはなかなかしません。大人の脳はもう一度子どもの脳に回帰することで、学習が生み出されるのではないかと思うのです。身体を介して学習するからこそ、子どもたちはあのような笑顔をつくっているのではないでしょうか。読む、見るだけでは不十分です。動くということで、脳は育まれていくのです。一度、脳を作製していただき、自らの体を知るということを経験してみてはいかがでしょうか。患者さんにそれを教える仕事をしているのですから、その経験は活かされると思います。
概念のみに捉われる志向性は、「やっても無駄だ」といういらない概念もつれてきます。あの付録の軽い脳をもってみれば、脳ってもろいとか、やわらかいとかを思うかもしれません。その脳には愛着がわき、脳をもっと知ろうとか、脳をもっと大事にしようとか、自分の脳って何?とか思い始めていただければ、あの本は成功といえるでしょう。
活字ばかりだと、言語的表象のみ脳に蓄積され応用・展開能力に欠けてしまうことを危惧し、子どもが学ぶプロセスにしたがい、視覚的表象を利用するために、絵を大きくし、そして後半には脳だけを示し、ぬり絵をしてもらいながら、脳の中に視覚的表象を築いてもらい、それまでの文章との統合を行ってもらおうという意図です。
さらに、巻末はクラフトによる脳模型の作成を促すようになっています。子どもの本に付録がついているように。これは、手、すなわち運動・動作を行うことで、体性感覚、すなわち自分自身の内的な感覚を脳を作成することで記憶として残してもらおうと意図したものです。
教育心理学者のブルーナー博士は、子どもが何かを知るための手続きとして、動作的表象、視覚的表象、言語的(象徴的)表象をあげ、それらが心的に統合されることで発達していくことを述べています。神経科学者の入来博士はこの表象が生み出される脳内メカニズムを研究していますが、それらが段階を踏みながら、脳のなかで統合されていることを仮説立てています。最初は身体を利用した運動です。子どもは、まれたては言語をもちえていません。したがって何かを知るためには、自らの手足を使って、それにタッチすることから始めます。能動的接触(アクティブタッチ)です。身体を使って脳に経験を宿らせる。その手法をまずはとります。その後、その接触と視覚(見るという行為)を統合させはじめます。
脳を学ぶ(1)では脳の模型がついていると滑稽に思ったかもしれませんが、これは意図があったのです。大人の脳は概念形成により自らの行動を制限しています。脳を学ぶ(1)を買った人でも模型を作製していない人は数多くいるでしょう。それは大人の脳だからです。すでに言語的表象の世界観のみで生きているからです。これは脳卒中になった方々にも垣間見ることができます。自らの身体を使って世界を知るという手段は、遠い過去です。だから、言葉優先で事象をとらえてしまい、自己の身体を知ろうとはなかなかしません。大人の脳はもう一度子どもの脳に回帰することで、学習が生み出されるのではないかと思うのです。身体を介して学習するからこそ、子どもたちはあのような笑顔をつくっているのではないでしょうか。読む、見るだけでは不十分です。動くということで、脳は育まれていくのです。一度、脳を作製していただき、自らの体を知るということを経験してみてはいかがでしょうか。患者さんにそれを教える仕事をしているのですから、その経験は活かされると思います。
概念のみに捉われる志向性は、「やっても無駄だ」といういらない概念もつれてきます。あの付録の軽い脳をもってみれば、脳ってもろいとか、やわらかいとかを思うかもしれません。その脳には愛着がわき、脳をもっと知ろうとか、脳をもっと大事にしようとか、自分の脳って何?とか思い始めていただければ、あの本は成功といえるでしょう。