森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

amazonにて

2011年06月01日 23時01分14秒 | インフォメーション
リハビリテーションのための脳・神経科学入門

リハビリテーションのための認知神経科学入門

脳を学ぶ―「ひと」がわかる生物学

が一時的に在庫切れになってる...これは学会の力??
古い本になってしまったので,在庫が少なかったかもしれません.

出版社はあるかな・・・



早く,臨床に役立つ第3段を書き始めたい・・・年々,仕事が増える一方で,文献をリサーチする十分な時間がとれない..
けれど,そんなことにへこたれず,臨床のために,徹底的に論文をリサーチし,
自分のフィルターにかけて,大事なものと,そうでないものを振り分け,
それをリハビリテーション治療に翻訳して,提供したいと思っています.

私は基礎と臨床をつなぐ仕事をしていると思っています.
だから,臨床はしませんし,実験はしますが,実験データのみでも語りません.
それらをつなぎながら,応用するための知見を提供したいと考えています.

私はこの中間の媒介的な仕事が結構面白いのです.

学校の先生はむやみにバイトをせず,ひたすら論文を調べ,新しい情報を学生だけでなく,現場に伝えていく,という仕事をする.
それが私のモットーです.
中途半端に上から目線で,現場にいき,あ~だこ~だうんちくを語れば,現場は迷惑.
それをおもてに出せない若いセラピストのことを思えば,
どこにでもある教科書の焼き直しみたいな本をつくらず,
新しい論文や出版を通じて,勉強する材料を提供することが,いくらかこの業界に貢献していると思います.

臨床データを示せとか,基礎データのみで語れとか.
その両極端で叱責されることもありますが,
そういう人に限って,臨床家には基礎は必要ないとか,
科学に経験則はいらないとか,臨床と研究を解離させてしまいます.

それに比べて医師は臨床の医師と基礎の医師は,内科は病理,脳外科は生理,整形は工学などと,
実にコラボレーションし,学問(基礎と臨床)を究めようとしています.

その深さがやはり必要です.

理学療法,作業療法,言語療法,それらもそうとう深い根が必要なのです.

基礎は根,臨床は花,中間の幹や枝になる人々がもっと必要なのです.




日記:今日の主たる仕事「橿原交響楽団 ファミリーコンサート」ために

2011年06月01日 18時33分16秒 | 日記
今日の仕事のうち,2時間ほどは以下のポスター作製でした.
今度の6月26日に本学で親子で楽しむ橿原交響楽団ファミリーコンサートを開催し,
その際,少しアカデミックな感じを出すために,
企画部からポスターの作製を依頼されていました.
結構こういう仕事多いんです.
研究所のシンポジウムのポスターなど多岐にわたりしています.
今回は子供が多いということで,こんな感じで,パワポしか使用せずに配置しました.
デザインは?かもしれませんが,子ども対象なので...


音楽は脳を揺さぶるんですよ~

以下の記事は脳を学ぶ(3)より抜粋しました.














日記:経験を生むということ

2011年06月01日 07時15分16秒 | 日記
土曜日の夕方宮崎空港では,高知時代の仲間である
吹田市民病院の中嶋仁氏に会う.
近況を語り合い,そのまま搭乗口へ.
すると便を早めた長崎大学の沖田先生が.
そういやこの3名はWCPTバルセロナで一緒になり,
場末のレストランで酒を浴びるように飲んだ記憶が.
当時は長崎グループと高知グループの大宴会でした.
バルセロナ学会は2003年なので,もう8年も前になります.

福岡空港につき,senstyleのみなさんと懇親会をして,
恋愛話などなどをして,0時には休ませてもらいました.
翌日,福岡で講演で,
兵庫医療大学の佐野先生のあとを神経科学から主に片麻痺の手の治療をどうするかについて話しました.
senstyle代表の国中先生はなかなかバイタリティあふれる方で,
率直に面白い「男」であると感じました.
中世的な人間が増えてきましたが,
彼からは男を感じます.
うちの松尾先生とだいぶ前に教員研修会で一緒だったという.
松尾先生はようしゃべる方だったとのこと・・・
うちの大学はみなようしゃべる.
海外出張は楽しくてしょうがない.
ようしゃべり,よう笑うので.
笑いは報酬の源.
「真剣」ななかでの笑いがちりばめられた臨床がよいですね.
その笑いはばか笑いでなく,
微笑が含まれた感じで.

福岡空港を17時すぎの便でたち,伊丹空港へは風の影響で着陸時も相当に揺れましたが,無事着陸し,拍手がわきました.
上空の気流でジェットコースターのように揺れることはよく体験していますが,
着陸時に大きく揺れるというのはそう経験がない.
久しぶりに手に汗握りました.

ジェットコースターのようにというのは明喩ですが,
この比喩は,自己の体性感覚経験がやはり彩を与えています.
ジェットコースターにのったことがない人にあって,
その比喩がどのようなものかを記述してみたい.
下頭頂小葉は,知能の源であり,
自己の経験を様々な言語に置き換えることができる,
まさに言葉の辞書の機能を持ちます.

手に汗握るとは,情動の領域が働き,
情動の回路である扁桃体や視床下部などが働き,
脳幹の無意識の機能により生まれたもの.
こうした身体反応が生まれることで,
さらなる記憶を固定化する作用を持つ.
心と身体反応は相互関係性にあります.

運動学習について話していますが,
筋骨格系の制御だけでなく,
その心に迫る臨床を展開してもらいたいものです.
脳のニューロンはこと細かく,バイオメカニカルのような剛体かつ,
完璧に末梢に対して指令はしていません.
合目的で,目的的な行為に対して発火します.
どこ位置からも最終的には口に手を運ぶニューロンは,
食べ物をつかみ,それを口に運び,食べるためのニューロンなのです.
だから,最初の肩の位置がどこにあろうが,
そのニューロン群が発火すれば,
口に手をもっていくのです.
行為と脳はそういう関係です.
そう考えればベルンシュタイン問題を解く手続きが生まれるのかもしれません.

宮崎学会の内容は徐々に文章としてこのブログにUPしていきますので,お待ちください.