百歳に向かってもう一度歩いて世界一周

平成7年1月1日より歩いて世界一周に挑戦して居ますので引き続き続けますのでご照覧あれ!

新聞の死亡欄に旧友の名が

2012年08月24日 20時10分29秒 | 随想

  8月24日(金) 平成17年1月1日より 2,802日目       
        歩いた歩数      その距離   
        16,020歩     11,214m
総計 39,252,515歩 27,476,761m
ドイツ・オランダ、ベルギー.フランスパリ.ロンドン経てリバプールに向かう、後 40,670m

 朝のウォーキングを終って朝刊に目を通して「おくやみ」欄を見て驚いた。現役で今も陣頭指揮を取っているとばかり思っていた、盟友の名前が載って居た。まさかと思ったが、年齢・職業・住所から間違いないことを確認した。思えばここ数年は彼の会社の前を素通りはするが会っては居ない。

 彼に初めて会ったのは、常磐の青果市場で、お父さんのオート三輪車に乗って遊びに来た子供の頃だ。かれこれ60年以上も前の話だ。可愛い小学生だった。次にあった時は、須坂に向かう県道に大きな荷造り場を作ってリンゴの移出業を営む会社の社長になっていた。あの可愛い少年が、姿こそ小作りだったが、弁の立つ気風の良い青年になっていた。

 その頃のリンゴの移出業者と云えば、羽振りが良く、全国を股にかけて貨車やトラックを駆使して飛んで歩く花形商人で、一目も二目も置かれた存在だった。私はやっと地方卸売市場を創立したばかりで、仲買人としての彼は大の得意先だった。侠客肌のところがあって、相場の下落した時などはそっくり引き受けてくれたりして助けられたものだ。

しかし、好景気は何時までも続かなかった。時代が安定して、流通事情が正常化して生産地と消費地の価格差も次第になくなり、利幅がなくなるばかりか、損害さえ出る不遇の時代に入って来て、移出商の淘汰が始まった。大きな移出業者が次々に廃業に追い込まれる中、彼は手を代え品を変えて生き延びてきた。私も青果市場の現役から退いたので彼との接触は減ったが、それでも私のゴルフの会員権を分割して夫婦で引き受けてくれたり、退職後の身の振り方を心配してくれたりしてくれた。恩を受けるばかりでお返しも出来ない裡に亡くなられてしまい、今はただかれの冥福を祈るばかりだ。