blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

9月18日の行状

2017-09-23 08:39:36 | 旅行
結果的には寝るだけの場所になってしまった苫小牧だが、十数年前と変わらないところももちろんあって懐かしい気持ちは感じた。
次回はしっかり予定を立て、仕事の上ではあまり役に立てなかった土地をもう少し深く掘り下げてみたいと思う。

さて18日は台風の直撃が予想されていて、道南や太平洋側では強い風が吹き漁業関係などに被害が出たようでお気の毒なことである。
JR線も前日のうちから特急列車の運転見合わせと、普通・快速の減便をアナウンスしていたので、多少早めの行動が必要かなとは感じた。
幸いにして千歳線を中心とした札幌近郊はそれほど強い風もなくほぼ通常通りであった。
新千歳空港=札幌間はJR北海道の生命線でもあり、さすがに全面運休とはいかなかったようである。

私の当日の予定は札幌ドームでの野球観戦であった。
札幌ドームは最寄駅が地下鉄なので交通機関の乱れによる中止も考えにくく、その点ではラッキーだった。
さすがに駅からの道中はザーザー降りの雨だったが、風は弱くて傘さえあればしのぐことのできる状況だった。
今年は残念ながら下位に低迷している日本ハムファイターズ、しかし台風の中でも最終的には2万人を超える入場があった。
晴れていてもそこまで入らない東海地区の某球団とはえらい違いだ。
また老若男女、幅広い年代の人々がレプリカのユニフォームやTシャツを着込んで応援する様子は、他の球団では見られないものだ。
巨人ファン優勢だった北海道にすっかり根付いたのは、球団の努力の賜物だろう。
試合開始前の様子。





試合は、1回裏にファイターズが4点を取るなど1回だけで30分も費やしたので、果たして終わるまで何時間かかるものかと心配したが、その後は意外にも締まった展開となり、結局は3時間ちょうどくらいで終わった。
当日プロ初勝利をあげた吉田投手の間合いの短い投球が寄与したことは疑いなく、駆け引きの多いプロ野球にあっては投手の投球テンポが試合時間にずいぶん影響するとあらためて感じた。

当日のスコア、勝利試合の時に見られる花火、そして帰る頃にはすっかり晴れていたドーム周辺。







試合後は、すすきの交差点に近いホテルに戻り、しばし休憩。
夕食はホテルから歩いて5分くらいのジンギスカンのお店にしようと思っていたら、残念ながら休みであった。
開催中の「札幌オータムフェスト」はこの日は台風のため中止で、仕方なく昨年の夏にも入った居酒屋で飲むことにした。
食材はさすがに美味しいのだが、昨年と違ってタブレット端末で注文する方式に変わっていたことが残念だった。
回転寿司のお店ならよく目にするが、外国人対策とはいえ居酒屋でタブレット注文というのはいかにも寂しい飲み方となった。
知らない土地では、くだらないことでもお店の人と一言二言は話したいもの、これなら当地の自宅から歩いて10分のお店のほうが数倍マシだ。
あまたあるお店の中でたまたまハズレを引いたというほかはない。

本来この日に2次会として流れる予定であったスポーツバーは前日に顔を出したし、急に他を探す元気もなく、すすきの界隈をしばらく文字通り歩いただけでホテルに戻り、旅の最終日をどう過ごそうかゆっくり考えることにしたのであった。

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9月17日の行状

2017-09-21 20:09:15 | 旅行
先の3連休は、有給を1日いただき19日までの4連休とさせてもらった。
しかし、初日の16日は最初から当地にいる予定で、出かけるのは17日から19日まで、行き先は札幌市周辺と決めていた。
交通費節約のため苦肉の策として17日発を選んだことが、全体として奇跡的な幸運に恵まれた旅に結びつくとは出発前は考えていなかった。
日本列島をなぞるように北上し北海道も直撃した台風18号の影響も、私の旅の予定に関してはほとんどなかったのである。

さて17日、フライトは15時前で、台風が徐々に東海地方に近づきつつある時間帯であった。
最新情報にも「天候調査中」とずっと出ていたからヤキモキしたのだが、出発1時間前くらいに「定時運行」のアナウンスがあった。
実はこの日、中部空港を出る18時以降の便はすべて欠航となったので、もう少し遅い便だったらアウトというタイミングだった。
幸いにして定時に飛び立った我が便は、早く着きすぎて北回りで着陸する余裕すらあった。
この日は予定どおり苫小牧市のホテルに入り、近隣で居酒屋を探してチョイ飲みし、18日以降に備える算段であった。

しかし、18日に顔を出す予定であった札幌市内のスポーツバーが、急にその日は休むという連絡が入った。
夜だけとはいえかつて仕事で住んだ苫小牧で楽しむためにホテルを取ったのに、急遽札幌に出てその店舗に行くことになった。
何しろ私がその店舗に通うキッカケを作ってくれた方の誕生月であったから、気持ち程度のプレゼントをわざわざ当地で用意して持って来ていたのである。
苫小牧にまた戻ることも考えると、お店には1時間くらいしかいれない計算だったが、誕生月の当事者もしっかり現れ、プレゼントにも大変喜んでもらって恐縮しきりであった。
他のメンバーとも和やかに話すことができ、ほんの短い時間ながら楽しんでお店を去り、苫小牧に戻った。

後日分かったことだが、そのお店が18日に休みだったのは台風は関係なく、身内のいわば「門出」を祝う会があったからのようだ。
ほぼ年中無休と思われる店舗だが、お客のことは忘れて身内の大切な節目にみんなで立ち会うという機会もあっていい。
私のように遠くに住んでいて、来るのも半期に一度のような客のためにわざわざ店を開ける必要はサラサラない。
予定を変更して苫小牧から出て来ることなど何ら苦ではなかったし、楽しい時間を過ごさせてもらって感謝、感謝である。

18日・19日の行状については次回以降に。

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7月18日の行状

2017-07-25 20:37:36 | 旅行
伊豆半島の旅もこの日が最終日であった。
3泊お世話になったペンションでは、朝食時にはいつもMr.ChildrenのオルゴールサウンドのCDがかかっていて、のんびりとした気分にさせてもらった。
同じところに3泊というのはたぶんあまり経験がなく、しかしほとんど外を出歩いていた私と、いつも忙しそうな男性オーナーとは特別仲良くなるとかまでにはならなかった。
設備的には都市部のビジネスホテルのような至れり尽くせりでは必ずしもなく若干の不便も感じたが、文字どおり静かな環境でゆっくりさせてもらったことに、この場を借りて感謝したい。

さて、この日は1日かけて愛知に戻れればそれでよく、気分しだいで寄り道をしながらダラダラと帰るつもりだった。
さしあたり伊豆半島を北西方向に進んで沼津市内を抜け、富士市近辺で休憩も兼ねて寄り道をした。
写真は富士市某所から撮った富士山。
かすんでいて全然ハッキリとは見えていないが、さすが富士市だけあり形だけは大きく見えた。



道の駅富士でもらったパンフレットがきっかけになり、寄り道する場所がもう一つできた。
静岡市と藤枝市の境にあたる宇津ノ谷(うつのや)地区である。
もともとの旧東海道の雰囲気を残していることで有名な場所だそうで、風情のある街並みに出会うことができた。





宇津ノ谷峠にはもう一つ面白いスポットがあって、明治時代に作られ国の有形文化財にも指定されているトンネルがある。





旅の初日に見た韮山反射炉同様、この時代の建造物にはレンガが多用されているのだが、行政の手が入ってきれいに整備されたトンネル内を歩くことができた。





ちなみに同地区は、明治・大正・昭和・平成の各時代に作られたトンネルがまとまって存在する我が国唯一の場所である。
下の写真は大正のもの。
県道の一部なので、もちろんクルマで通ることができる。



昭和と平成は現在の国道1号線であり、下の写真右側東京方面上り線が昭和、左側名古屋方面下り線が平成に完成したそうである。



思いがけず楽しいスポットも堪能し、後は西へ西へと自宅目指してクルマを走らせた。
平日の真っ昼間ということもあり、静岡県内は高速に乗らなくても国道1号線のバイパスをつないでつないで何とかなってしまった。
場所によっては高速並みに流れるところもあり、急がない旅ではあったが大きなストレスはなかった。

最後の休憩地として浜松市の道の駅潮見坂に入り、旅の最後の写真を撮った。





愛知県に入って夕方が近づいてきたので、音羽蒲郡ICからようやく高速に入り名古屋ICで出た。
国道302号線の渋滞は誤算だったが、それでも夕食どきより前に、無事に当地に戻ることができた。

もちろん、ナビを積んでいないクルマで全てが順調だったわけではない。
下田市内では狭い狭い住宅地に迷い込んだり、伊豆長岡付近では看板を見間違えて違う方向に行ったりと、相も変わらずのドタバタの連続であった。
しかし、そんなドタバタがなくて何が旅だと思うから、我が愛車にナビが積まれる機会は今後も訪れない。
ひたすら看板を頼りにクルマを進める楽しさもさることながら、迷った時には地元の人に道を聞いたりすればいい。
ある意味最も確実なアナログなコミュニケーションを、最新のデジタル機器はややもすると奪いがちだ。
もしもの時のためのドライブレコーダーのほうは早く着けたいと思っているが、ナビに頼ってクルマ旅をすることは私に関しては永遠にないだろう。

今回はまだ梅雨明け前という時期ながら雨に降られることもなく、行程も考えていた以上に多くのスポットを入れ込むことができ、中身が相当に詰まった旅になったと思う。
この夏のハイライトの一つには間違いなくなってくれた。
これに満足せず、また新たな行き先を追い求め、自分らしく気ままで縛られない旅を、季節を問わず何度でもしたいと思っている。

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7月17日の行状

2017-07-24 19:47:20 | 旅行
実質旅の最終日である17日、この日は日本を代表する温泉地・熱海を訪ねる予定にしていた。
道路事情のことは再三書いてきたが、宿がある伊東市から熱海市へのアクセスもほぼ国道135号線一択である。
海の日の、しかも伊東よりも規模が大きく新幹線駅まである熱海にクルマで向かうのは無謀と判断し、宿の最寄りにある伊豆急行の富戸駅から電車に乗り熱海に向かうことにした。
着いてみての様子だと、海沿いはともかく旧市街は坂も多く道も狭くで、やはりクルマでは大変だったろう。
熱海駅の駅舎。



歩いてみて初めて分かることだが、駅から海岸まではかなり急な坂を下る格好になる。
駅前の商店街を通り抜け、狭い路地も多い旧市街を下り切るとサンビーチという浜辺の前に出た。



尾崎紅葉の「金色夜叉」に描かれる貫一とお宮の銅像とお宮の松はビーチのすぐそばにある。





ビーチではあまり長居する気はなく、市内観光用のループバスに乗って山の上にある熱海城に向かった。
急で狭いルートを巧みにすり抜けるプロの技を堪能しながら15分ほどで着いた。
さすがに山の上だけあって、熱海全体を望む眺めは素晴らしいの一言であった。





なお、熱海城は名古屋城と同じで内部は観光化されているため、あえて中には入らず外観のみ写真に収めた。



景色を存分に堪能した後は、今回の旅行で唯一「R−18」の施設である熱海秘宝館に入ってみた。



全国各地にあった同系統の店舗はほとんど姿を消し、ここ熱海がほぼ唯一になっているのではないか。
もともとエロスの世界というのも人間の根源的な欲求であると同時に、子宝への切なる願いも込められている。
他人に強引にすすめるような施設ではないが、温泉街らしいといえばそうで、不思議な気分で秘宝館を後にした。

熱海からJR伊東線で取って返し伊東駅で下車。
この日のメインイベントは伊東温泉競輪場でのサマーナイトフェスティバル(G2)であった。
駅からの無料バスに乗り込み、開門の14時前には到着した。(ナイターのため最終レースの発走は20時半近く)





マスコットもお出迎え。
なおモチーフは当地特産のミカンである。



地元富山と同じ333mの短走路ではあるが、富山よりも直線が長い感じがした。
また、一般席がゴール前の直線部分にあるため、大変観戦しやすい場であることも付け加えたい。
写真は同時開催のガールズケイリンフェスティバルの周回中の様子を遠目から。



この日はガールズの決勝も男子の決勝も的中して悪い気分はしなかったが、12戦3勝ではプラスで帰るのは難しい。
それでも、びっしり半日、全てのレースに参加して1万円に満たない負けなら安いものだ。

男子決勝の表彰式もけっこう遅くまで見て競輪場を後にし、最寄りの伊豆急行・南伊東駅まで歩いて行った。
ガイドには載っていないが、南伊東駅から普通に歩くのが実は最も分かりやすいアクセスかもしれない。



記念に同社が運行するリゾート特急の目覚まし時計兼プルバックカーを買って、ふたつ隣の富戸駅で下車して22時ごろには宿に戻ることができた。

伊東競輪がナイター開催だったことから午前に熱海に出向くこともできて、この日も中身は充実していた。
翌日は宿を出て自宅に向かうだけ、急がない旅、横になって寄り道先を考えているといつの間にか眠りに落ちていたのであった。

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7月16日の行状

2017-07-23 22:58:14 | 旅行
日程的に実質真ん中にあたるこの日は、伊豆半島の最も深いところを目指した。
こういう時はまず「遠いところから」つぶして、帰りの道中で他の目的地に行くのが気分的にも楽である。
距離的に近い目的地で予想外に時間を取られると、遠い目的地での時間がなくなってしまい不完全燃焼になりがちである。

とはいえこの日は最初の目的地である石廊崎まで行くのにずいぶん時間を食った。
伊豆半島の東を通る国道135号線の景観はそれはそれは素晴らしいものだったが、3連休の中日、特に下田市の白浜海岸など海水浴場の周辺ではクルマの流れが悪かった。
人の集まるところは当然ながら駐車に手間取るクルマや道路を横断する歩行者が多くて、お世辞にもスイスイと交通が流れてはくれない。
下田市の中心部を抜けると一気にクルマはハケたので、後はひたすら半島の突端を目指した。

看板に従って入って行くと突き当たりは湾になっていて、駐車場や観光船の乗降口や売店などがあった。
水上スキーなどアクティブ系の人々も集まっていたが、この日あたりは天気も最高だったのではないか。
私は船には乗らず遊歩道を通って岬の先端に向かうことにした。
暑い中ではあったがそれほどハードな道でもなく、20分ほどすると突端部に着く前に石廊崎灯台のほうが見えて来た。



灯台の真近は柵があって行くことができないので、写真の右側にある道をさらに進むと「これぞ太平洋」という迫力のある景色が広がっていた。





石廊崎を後にし、今度は下田市の市街地を散策することにした。
もちろん黒船来航の地であり、ペリー提督の胸像が下田漁港のかたわらに飾られてはいたが、観光の中心は「唐人お吉記念館」であった。



開国前夜の時代、下田で芸妓をしていたお吉は鶴松という恋人がありながら、当時の米国総領事であるハリス氏に見初められたことで、国の命により氏の愛人として仕えることを余儀なくされる。
当時としては法外な報酬を手にしての任務であったこと、また外国人アレルギーがまだ根強い時代背景もあり、お吉は理不尽としか言いようのない民衆からの批判にさらされ続ける。
ハリス氏の死後は髪結いや小料理屋を開業するなど細々と生計を立てていたが、周囲の目は時が流れても厳しく、ついにお吉は世をはかなみ入水自殺という悲しい最期を遂げるに至った。
今では当たり前のように外国にも出荷されている静岡のお茶もお吉の犠牲なしでは成り立っていない。
日米の貿易が始まった影の功労者でありながらあまりに切ない人生を生きたお吉については、私が好きなサザンオールスターズも「唐人物語(ラシャメンのうた)」という楽曲をアルバム「さくら」の中に収めている。

この後、下田では寝姿山ロープウェイにあわただしく乗り込み地平からは見えない絶景を楽しんだ。



そのまままっすぐ帰るにはまだ時間があり、やや天城峠に向かう形で河津町の山間部に進路を取った。
観光地というよりは一つの道を見たかったのだが、その看板がコレ。





高低差の激しい地形をカバーするため、ここではループ橋という方法を採っていて、私が見た中では今までで最もスケールの大きなものである。





いい加減運転にも疲れたので、峠越えの道は探さないで再び国道135号線に戻って帰ることにした。
やはり温泉地や海水浴場の近くでは流れが悪かったが、それほど遅くもならず、国道沿いのお寿司屋さんで地のネタも少々混ぜながら早めの夕食となった。

伊豆半島の突端から、我が国の歴史の一端を担う悲しい物語など、天気にも恵まれ2日目の中身も濃いものになった。
次の日はクルマは休め身軽に動く計画で、しかし宿の周りには何もなくこの日も早めの就寝となったのであった。

<おまけ>
国道135号線のそばを通る地点で撮影した伊豆急行の電車。


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7月15日の行状

2017-07-22 07:33:19 | 旅行
15日から18日までの4日間を使って、伊豆方面に行ってきた。
私の旅行としては、宿の場所の関係で著しく禁欲的なものとなり、その反動か帰った翌日の水曜にガツ飲みしてしまった。
旅行記を上げよう上げようと思いつつ、日々の仕事の疲れもあり本日からようやく手をつける。
事前に考えていた以上に中身が盛りだくさんの旅になったため、例によって1日ずつ紹介していきたい。

梅雨明け前とはいえ天気には恵まれそうだった4日間、しかし伊豆半島の道路状況は必ずしも良いとは言えず、現地での渋滞も考慮して夜も明けきらないうちに自宅を出発した。
予定の沼津ICまでは順調に走行でき、伊豆縦貫道も何とか流れて、最初の目的地の開放時刻である9時よりはずいぶん早く着いてしまった。
仕方がないので目的地近くの伊豆長岡駅付近をクルマでぶらぶら。



伊豆箱根鉄道と「ラブライブ」がなぜコラボしているかは不明。



9時近くになったので、世界遺産・韮山反射炉へ再びやってきた。
3連休とはいえ初日の9時に満員ということはなく、個人のお客さんが10人ほどいただろうか。
予約もしていない個人客の集団にも専属のガイドさんが付いてくれ、話を15分ほど聞き、それから自由散策という流れであった。
明治にもならないうちの目一杯の技術を駆使した言わば製鉄所のハシリがこの施設である。
黒船来航に代表される外圧の高まりへの危機感から、海岸防衛のための大砲を生産するのが役目であった。



近くの茶畑からは、韮山反射炉と富士山という2つの世界遺産が見える。
世界遺産を複数同時に見られるというのは世界でもここだけのようだが、富士山は山頂付近がわずかにボンヤリ見えているだけだった。
季節的なものか4日間を通して富士山がハッキリ見えた日はなく、富士山だけに関しては残念な4日間であった。



その後は宿がある伊東市方面に向かうため伊豆半島の峠越え。
その途中にはサイクルスポーツセンターという施設があり、敷地の中には東京五輪の自転車トラック競技の会場にもなる「伊豆ベロドローム」があった。



日本で唯一、国際規格である一周250mの木製バンクである。
国内の競輪場で短走路と言われる333mバンクよりも一周が短いということは、当然ながら直線部分が短くコーナーのカント(傾斜)も相当きつい。
最大で45°と紹介されていたから視覚的にはほぼ壁で、プロの競輪選手でも初めて走ったら恐怖を覚えるかもしれない。
一枚の写真でそのすごさが伝わるかどうか。



亀石峠を越えて伊東市北部の海岸へ。
国道135号線沿いには、CMソングでも有名になったハトヤチェーンのホテルがあった。(写真はサンハトヤ)



JR伊東駅の近くまで来てまだ昼ごはんの時間帯、駅前で適当にお店を選んで腹ごしらえ。



宿のチェックイン時刻15時まではまだ時間があったので、さらに欲張って伊東市南部にある城ヶ崎海岸へ。



灯台や吊り橋がメインではあるが、海岸を見れば典型的な溶岩台地で、火山が多く温泉も多い土地柄を裏付けるものであった。







ナビゲーションもなしで時には道に迷いながら走り回ってさすがに疲れたので、これから3泊お世話になるペンションに向かった。



高原の中なので夜遊びスポットは何もなく、クルマで少し走った国道沿いに飲食店や道の駅がある程度、この日は夕食は簡単に済ませ、後は2日目以降のためにひたすら休むばかりとなったのである。

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5月2日の行状

2017-05-11 22:50:01 | 旅行
いよいよ道北の旅も最終日である。
スケジュール的には10時25分に稚内空港行きのバスに乗らなくてはならず、稚内から新千歳、新千歳で乗り継いでそのまま富山に向かうことになっていたから実質は「帰るだけ」の日になるはずだった。
前日の曇り空とは違い爽やかに晴れ渡っていた朝、バスまでの時間を何とか有効に使おうと、宿を早めに出てそこから徒歩圏内にある稚内公園を散歩することにした。

稚内公園は市街地を見下ろす丘の上にあるため、近いと言ってもそこそこの急坂があって思いのほか時間を食った。
しかし、登りきった後に見えた風景は大変素晴らしく、朝の逆光を受けながらも写真を何枚も撮った。





旅の最後にここに来てよかったなと思えたのは、最北の街=国境の街、つまりは沖縄などの南方ばかりでなくこの北端の地も先の戦争によって多くの犠牲を出した土地であると知ることができたからである。
観光ガイドにも稚内市のシンボルとして紹介されている「氷雪の門」。
名前こそ抽象的だが、犠牲者の悲しみを象徴する女性の像の手前には「樺太慰霊碑」の文字が見て取れる。



もう一つ胸を締め付けられたのは「九人の乙女の碑」。
樺太の真岡(現ホルムスク)郵便局に勤務する電話交換手の若い女性9名が、旧ソ連軍の侵攻を目の当たりにして、写真の文言を残して服毒により自ら命を絶った悲しい出来事である。
この碑の近くには、昭和43年に昭和天皇・皇后両陛下が行幸啓された際、この出来事について詠まれたお歌の碑も残されている。



港町ならではの景色に感動しつつ多少の胸の痛みを抱えながら丘を下り、再び市街地から空港連絡バスが出る稚内駅に向かうようにして歩いた。
宿からも見えていたが、北防波堤ドームというひと際目立つ建造物に惹かれたので行ってみた。
その重厚な造りから北海道遺産の一つとして指定を受けている。







まだバスまでは1時間半近くあったので、稚内駅をいったん過ぎ、フェリー乗り場に近い市営の施設に足を運んだ。
離島行きのフェリーを利用する乗客に対応するためか、シャワー室やコインランドリー、和室の休憩所などを備えていて、港のそばとしてはこういう施設を見るのは初めてだった。
私は肌着や靴下を洗濯するだけの用事で使ったが、職員の方が話しかけてくれ、やはり春の連休といえども北海道全体のハイシーズンはもう少し先なので観光客はまだ少ないと言っていた。

稚内駅のビルでお土産を買い足し、定刻通りにやって来た空港連絡バスに乗って、いよいよ旅も終わりである。
稚内空港は市街地から約10km、広大な原野の中にポツンとターミナルビルがあった。



わずかに時間があったので写真スポットを探したら、前日は見えなかった利尻山が見事に見えたので何枚も撮った。



新千歳行きの機体は70人乗りのプロペラ機であった。



この写真では分からないが、もう少し望遠をかければわずかにサハリンが見えたはずである。
稚内の海岸からわずか43km、今は日本人が気軽に行けない土地であることが何とも悔しい。
いろいろな学説や主張があることは承知しているが、北緯50度以南の樺太はいまだ「帰属未定」というのが大方のところである。
それでも、現時点で一般人が行ける最北端に足を運ぶことができ、念願であった道北も訪問し、充実した4日間であった。
寒い以外は天候にも恵まれ、富山に至るまでの交通にもハプニングはなく、正午近くに稚内にいた体は16時前には故郷である富山に無事にあった。
空港から北アルプスが見えた時にはなぜかホッとして肩の力が抜けたような気がした。
その日はすぐに実家に向かってもよかったが、カレンダーの赤いところの日は営業していないという富山市内の某スナックから熱心なお誘いを受けていて、短い時間ながら久々の再会に加えて北海道のおみやげ話で楽しんだのであった。

実家にやっかいになったのは3日から5日までの正味3日間、期間としては長過ぎず短過ぎず、ちょうどいい感じにはなり、両親との時間も多くあって十分にリラックスできた。
正月以来帰らなかった故郷で、ささくれ立った心を何とかリセットして愛知に戻ってくることはできたかと思う。
とはいえ職場は戦場、その職場中心に毎日が進む当地での生活では引き続き気持ちの切り替えを大切にして、無駄なストレスをためないように日々過ごしていきたい。

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5月1日の行状

2017-05-10 21:12:48 | 旅行
旭川の夜も比較的普通に過ごして、旅の3日目の始まりも2日目同様9時ちょうど発の特急列車であった。
旭川駅の写真を1枚だけ載せるが、線路の反対側は駅舎を出てすぐに公園というつくりであった。
道内第二の人口を抱える旭川市は、他の道内の都市と同様、整然とした街並みと周辺の自然がマッチした魅力的な街だった。
冬の厳しさはもちろん、内陸に位置するため夏の暑さもあり、気候の厳しさは道内の主要都市の中でも指折りではあろうが、そんな土地にも34万にものぼる人々が暮らしている。



さて、今回の最終目的地である稚内市までは旭川市からでもざっと250km、特急でも3時間40分の道のりであった。
旭川からは宗谷本線に入り、天塩川沿いを右に左にカーブを切りながら、ただただ茫漠としか言いようのない景観の中をひたすら北へ北へと向かった。
まだ5月になったばかり、札幌市でようやく桜が開花というニュースがあった中、旭川よりも北の大地にはまだ春は訪れていなかった。
この日は雨こそないが上空は雲に覆われ、晴れていれば抜海駅付近で見えてくるであろう利尻山も見ることはできなかった。
時計は12時をはるかに回り、南稚内駅付近でようやく市街地が現れ、12時40分に終着の稚内駅に着いた。
最北のJR駅ということで、私のみならず写真を撮る人々が多くいた。









今回の最終目的地と言っていい宗谷岬には13時20分発のバスがあるので、写真もそこそこに駅ソバをかきこみ切符を買って待った。
同じことを考えている人は当然多く、バスの座席部分は出発の時にはいっぱいになった。
バスに揺られること約50分、いよいよ日本最北端の地にたどり着いた。









さえぎる物のない岬は当然ながら風が強く、5月になったというのに気温は4℃という信じられないような寒さであった。
稚内の市街地の予想最高気温も8℃くらいだったので、この時点で服装は大失敗、お土産屋さんに逃げ込んで「日本最北端到着証明書」など思い出の品を購入する時間のほうが長くなるという体たらくであった。
帰りのバスの関係で滞在時間は1時間もなく、未練タラタラで最後に写真を増やして再び稚内の市街地に取って返した。

この日の宿は北防波堤ドーム(北海道遺産、次回写真掲載予定)のすぐ近くにある古びたホテルであった。
ホテルなのだが部屋は和室で、テレビはなんと「地デジチューナー」を接続したアナログテレビという衝撃的なものであった。
しかし、ここまで3日間歩き疲れた身、単身のオッさんには何の不足もなかった。
とりあえず少し休んでから近くの飲食店街(仲通り)に出て、ささやかながらおいしい海の幸をいただいた。



旅の目的もほぼ達成して、翌日は実質的に富山に向かうだけであったから、なんとなくホッとした気持ちで旅の最後の眠りについたのであった。

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4月30日の行状

2017-05-09 23:10:13 | 旅行
札幌での楽しい夜は、これ以後の旅の本番に向けて時間的には短く、午前様になる前にホテルに戻った。
2日目は札幌から旭川に入り、郊外にある旭山動物園見学と旭川市内の街歩きを考えていた。
札幌駅9時ちょうど発の特急に乗って1時間半弱、立派な高架駅である旭川駅に着いた。
人の流れに任せて改札を出ると、旭山動物園行きの急行(直行)バスの乗り場に吸い込まれるように案内され、そのまま動物園に向かうことになった。

旭山動物園はこの日の前日、4月29日から今シーズンの夏季開園がスタートしていた。
かなり北にあるだけに最盛期はもう少し後ではないかと思われるが、それでも日中12〜13℃と決して暖かくない中でも大勢の来場客があった。





北海道にある動物園らしく、入り口近くには寒冷地に住むペンギンやホッキョクグマなどを配し、正門から見るとかなり縦に奥深い敷地内には一般的な園でも見られるような猛獣などの展示もあった。





全てをサッと流すだけでも1時間半はかかる広さもさることながら、こちらの特徴は何と言っても「動物が暮らしやすい環境」が優先されていることである。
人間が普通に立っている目線でいろいろな動物を見るのではなく、どちらかというと見上げるような形になることが多いのもこの考えによるものだろう。
中に入るまで知らなかったが、開園50周年の節目に訪問することができたのも幸運であった。



分かりやすい観光地なので、こちらである程度お土産を買い込んで午後の早い時間には旭川の中心部に戻った。
前夜の札幌ではちょっと一服もできなかったので、ひとまず一度体を休め、時間的に暗くなる前に街歩きをしてその後夕食ということにした。
まずは石狩川にかかる「旭橋」を目指したが、ホテルを出て間もなく「平和通買物公園」という通りに出くわした。
JR旭川駅から北東方向に約1kmにわたってまっすぐに伸びる道が常時の歩行者天国であることはこの節奇跡と言ってもいいだろう。
もちろん飲食店もたくさん並んでいるから、夜には若者中心に格好の遊び場になっていることは言うまでもない。



旭橋へはホテルから歩いて15分ほど、わが国では珍しいラウンドアバウト(ロータリー)から国道40号線に入るとすぐに旭橋が見えてきた。
下流側からの旭橋と、石狩川の西側に沈む夕日。





だいぶ暗くなってきたので、旭川随一の歓楽街である「さんろく街」を見学。
名前の由来である3条通り6丁目交差点と、昭和通りにあるモニュメント2つ。
緑と赤が1本ずつあるのは、男女の出会いを表しているというのも飲み屋街ならではか。





結局夕食は、さんろくからは少し離れ、どちらかというとホテルに近い居酒屋(ヨンナナくらいか?)に入った。
コマイならぬ「大マイの炙り」というメニューがあったので、物珍しさで頼んだ。
欲張って旭川ラーメンも食べたかったので、居酒屋での飲食は気持ちセーブして、代表的な味付けである醤油ラーメンをいただき、ネオン街の誘惑は断って、やはり早めに翌日に備えて休んだのであった。

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4月29日の行状

2017-05-08 20:03:50 | 旅行
今年の春の大型連休、わが事業所は幸運にも谷間の5月1日と2日が休日とされ、つごう9連休であった。
年末年始から4ヶ月ばかり実家に帰っていないというのも初めてで、故郷の空気を一刻も早く吸いたい気持ちもあったのだが、実家に一週間以上やっかいになるのもさすがに気が引けた。
そこで昨年のお盆期間と同じように、いったん他の土地へ旅行してから実家に帰る計画でいくことにした。



さて、その「他の土地」には昨年のお盆同様に北海道を選んだ。
加えて今年2月の雪祭り直前にも札幌近辺を訪れたので、1年もない短いスパンで3回も北の大地を踏むことになった。
今回は、いわゆる道北に行ったことがなくそこを訪問して「北海道はだいたい行ったね」ということにしたく、札幌以外の目的地として旭川市と稚内市を選んだ。
4月29日から5月2日までの4日間を1回のエントリーでは難しいので、何回かに分けて書きたい。

初日の29日は出発も午後からで、札幌では夕食プラス少しお酒を飲んでカラオケの一つもできればという軽い目的しかなかった。
実際、札幌市内のホテルには18時近くの到着となり、ひと寝入りする暇もなくまずは夕食に出ることにした。
出た先は、2月にもお世話になったジンギスカン料理の小さなお店で、店員さんも3人くらいのところだ。
前回、大陸方面からのお客ばかりの中で必死で英語で接客をこなしていた若い女性もいたが、この日は外国人はおらずそのあたりを彼女に振ってみると「この前よりはラクです〜」ということだった。
この日は前回やや炭の勢いが弱く玉ねぎが全然焼けてこないなどのハプニングもなく、めったに食べられない「ラムたん」などをおいしくいただいた。

少しお酒も入って気持ち良くなった後は、札幌ではこれから必ず足を運ぶことになりそうなバーに直行した。
カラオケが歌い放題なのは知っていたのだが、この日はたまたま居合わせた2人組の男性客と一緒に盛り上がることもできて、これまでの数回の中でもいちばん楽しめたのではないかと思う。
時間制なのでスナックのようなダラダラ飲みはできないが、客とスタッフがかみ合った時の爆発力は、素で面白い(天然?)人が多い北海道ならではであった。
外に出て飲むお酒が高いのは重々承知でも、外ではこういうことがあるからどうしても店飲みはやめられないのである。



時間的には半日程度の札幌での滞在も、中身が妙に濃い楽しい時間で思わず字数が増えてしまった。
北へ北へと向かう旅の本番、30日以降の行状は次回に。

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