新しい環境に変わっての本スタートである一週間を終えた。
通常運転であれば金曜日がいちばん忙しいと聞いていて、実際に月~木は待機時間が多くて退屈なくらいだったがさすがに今日は朝から終わりまで常に動いている状態だった。
研修期間が10日ほどあったおかげで今週は少しずつ仕事の流れに乗ることができるようになった。
さて、何とか一週間乗り切ってホッとしているところ、現場を手伝ってくれる元請側の社員さんから怒られた。
トラックへの積込作業は屋外だが、最後の車両の時は雪が激しく降っていた。
微妙な塩梅でトラックのアオリが閉まらないところを現場の偉いさんも外に出て懸命に人力で押して一件落着という場面をただ見ていたことをキツく注意された。
「偉い人も外に出てるのに、雇われてるんだから手伝いに行かないと、やらないと」ということで、さすがに言葉を返すことはできず恐縮するばかりであった。
このことひとつだけなら特別落ち込むこともなく、次に生かすだけの話かもしれない。
しかし、この出来事ひとつでなぜ私が「ジョブホッパー」として歩んできてしまったかが分かった。
上司や先輩同僚といった他人を信頼してその評価を積み重ねながら働いていくという、雇われ人としてやっていくには避けられない仕事以前の「人の道」的なところを学ばないまま生きてきてしまったからではないのかと。
職業人は他人の評価が全てであり、どんなにムチャな指示でもいったんは受け止めないことにはほどなく仕事場を追われることになる。
仕事以前の部分を外していくらアクセク動いたところでそんなものはただの自分勝手であって組織の一員としては失格であろう。
それにしてももういい加減な年齢になっていまだに他人の感情の機微もつかめず、どう動いても周りを怒らせるばかりの人間がそれを矯正できるのかといえば正直無理だろうと思う。
そういったことは幼少期から家庭や学校の中で、少なくとも社会に出る前の段階で身に着けておかなければいけなかったが悔やんだところで遅すぎる。
紆余曲折の末に何とか毎日苦にならない「職種」に巡り合うことはできたが、雇われて働く上でぶつかる壁に今も見事にぶつかってしまった格好である。
では、他人の気持ちが分からなくて永遠に評価されない人間がこの先は生きていってはいけないのかと言えばそれは違うと思いたいし、少なくとも自ら前途を絶つことだけはしたくない。
恐らくは根本的には解決しない問題を抱えていても、生きることそのものをあきらめたくはない。
目の前の生活に気を取られて安易な道を選び結局挫折の繰り返しになるくらいなら違った方向を模索する時期に来たのではないかとも思う。
今日の今日、雇われ人として生きる根幹の部分の不備を指摘されるに至ったからといってこの先の人生が閉ざされるわけではない。
今日のことは今後の人生にとっての良き知らせだと考えたい。
まずは、人から言われなくても自然にできることの中から手掛かりを探っていこう。