毎月最終日はその月を振り返る。
500記事の節目も迎え、こと本欄に限っていえば「順調」な歩みを続けている。
自家用車もようやく車検を通して「足」が戻ってきた。
しばらく使わなかったことでバッテリーが死にかけていたが、車には悪いことをした。
反動で最近はけっこう距離も乗っているが、かなり燃費がよくなっている。
直近のオイル交換で少し程度のいいものにしたのが良かったのかもしれない。
夏場でエアコンもかけていながら、リッター1km以上は伸びている。
エンジンオイルの程度はケチるものではないことが分かったのは収穫だった。
今月はとにかく本を読むことが多かった。
いかにも「読書家」を気取って難しい本ばかりを読んでいるのではない。
地図や時刻表などの無味乾燥なものも含めての話だ。
やっていることと言えば、財源の裏付けのない(←どこかで聞いたような・・・)架空の旅行計画だったりするのだから大したことはない。
衆議院選挙までちょうど1ヶ月となった。
とにかくこの期間に政治家から発せられる「言葉」が選挙の行方を決める。
「風」は今のところは民主に吹いているようだ。
この「風」というのがいわゆる無党派層と同義というのは困った話である。
言葉は悪いが、日頃政治に関心のない人たちが結果的には選挙の結果を大きく左右する存在になっているのは由々しき事態である。
ちょうど4年前、小泉自民党に猛烈な追い風を吹かせたのも無党派層であった。
あれから4年経った今、民主に風を吹かせているのはやはり無党派層なのである。
「風」というものがいかにいい加減なものかは、西松事件と民主党代表取替えという短期間に自民と民主を行ったり来たりしたことが証明している。
ならば、選挙に勝とうと思えば、特に現在不利と言われる自民にとっては強烈な風を吹かすより方法はない。
ただ1つ方法があるとすれば、それは民主批判ではなく、保守政党としての揺るぎない意思を内外に示すことだ。
最も効果があるのは「首相の靖国参拝」だと思う。
今回の投票日までに「8月15日」があることは何かの幸いかもしれない。
終戦の日に総理大臣が靖国神社に参拝し、適切なコメントを発することができれば、かなり風向きは変わると思う。
自民党の一部議員からも要望書が出されているように、真の保守を自認するのであれば、隣国に媚びる必要など全くない。
少なくとも、昨今の自民内のドタバタを見て離れていった層はまた戻ってきてくれるだろうし、たとえ選挙で負けても麻生太郎の名前は後世に残るはずだ。
目先の生活ばかりを言い募るマニフェストは、自民・民主あまり変わりがないように見える。
こういう時こそ、「国家としてのビジョン」を堂々と語れる政治家が見たいと思う。
500記事の節目も迎え、こと本欄に限っていえば「順調」な歩みを続けている。
自家用車もようやく車検を通して「足」が戻ってきた。
しばらく使わなかったことでバッテリーが死にかけていたが、車には悪いことをした。
反動で最近はけっこう距離も乗っているが、かなり燃費がよくなっている。
直近のオイル交換で少し程度のいいものにしたのが良かったのかもしれない。
夏場でエアコンもかけていながら、リッター1km以上は伸びている。
エンジンオイルの程度はケチるものではないことが分かったのは収穫だった。
今月はとにかく本を読むことが多かった。
いかにも「読書家」を気取って難しい本ばかりを読んでいるのではない。
地図や時刻表などの無味乾燥なものも含めての話だ。
やっていることと言えば、財源の裏付けのない(←どこかで聞いたような・・・)架空の旅行計画だったりするのだから大したことはない。
衆議院選挙までちょうど1ヶ月となった。
とにかくこの期間に政治家から発せられる「言葉」が選挙の行方を決める。
「風」は今のところは民主に吹いているようだ。
この「風」というのがいわゆる無党派層と同義というのは困った話である。
言葉は悪いが、日頃政治に関心のない人たちが結果的には選挙の結果を大きく左右する存在になっているのは由々しき事態である。
ちょうど4年前、小泉自民党に猛烈な追い風を吹かせたのも無党派層であった。
あれから4年経った今、民主に風を吹かせているのはやはり無党派層なのである。
「風」というものがいかにいい加減なものかは、西松事件と民主党代表取替えという短期間に自民と民主を行ったり来たりしたことが証明している。
ならば、選挙に勝とうと思えば、特に現在不利と言われる自民にとっては強烈な風を吹かすより方法はない。
ただ1つ方法があるとすれば、それは民主批判ではなく、保守政党としての揺るぎない意思を内外に示すことだ。
最も効果があるのは「首相の靖国参拝」だと思う。
今回の投票日までに「8月15日」があることは何かの幸いかもしれない。
終戦の日に総理大臣が靖国神社に参拝し、適切なコメントを発することができれば、かなり風向きは変わると思う。
自民党の一部議員からも要望書が出されているように、真の保守を自認するのであれば、隣国に媚びる必要など全くない。
少なくとも、昨今の自民内のドタバタを見て離れていった層はまた戻ってきてくれるだろうし、たとえ選挙で負けても麻生太郎の名前は後世に残るはずだ。
目先の生活ばかりを言い募るマニフェストは、自民・民主あまり変わりがないように見える。
こういう時こそ、「国家としてのビジョン」を堂々と語れる政治家が見たいと思う。