今日は店にクレームの電話が1件あった。
何でも昨日の従業員の態度が悪かったということである。
後で、違う店にいた店長から電話があって、その従業員は私とのことだった。
内容としては「愛想がない」「釣銭の渡し方が気に入らない」ということであった。
昨日のことだが、こちらとしてはどのお客さんのことか見当がつかず「うーん、どうでしょう」と、長嶋さんのような(?)答えを返すしかなかった。
しかし、結果として気を悪くした方がいて、店長にも心配をかけたわけだから、事実は重く受け止め今後に生かしていくよりほかはない。
本質的に私は客商売には向かないと思う。
今やっている「受け身の接客」ぐらいが私にはギリギリである。
愛想がないのは自らも認めるところだし、それを直す気もないからどうしようもない。
外回りの営業ができればもう少し収入もマシになると思うが、できないものはできない。
こういったことはもはや自己暗示や努力で何とかなるものではない。
できないことを痛烈に意識するからこそ、残された選択肢で何とか花を咲かせたいと思う心は強くなる。
人から見れば夢物語のようなことも最近は考える。
実現したらどうしようと、日々必死で考える。
私のような人間嫌いでも、生きている意味はあるはずだ。
最近は、ボンヤリと、本当にボンヤリとそれが見えてきた気がする。
何でも昨日の従業員の態度が悪かったということである。
後で、違う店にいた店長から電話があって、その従業員は私とのことだった。
内容としては「愛想がない」「釣銭の渡し方が気に入らない」ということであった。
昨日のことだが、こちらとしてはどのお客さんのことか見当がつかず「うーん、どうでしょう」と、長嶋さんのような(?)答えを返すしかなかった。
しかし、結果として気を悪くした方がいて、店長にも心配をかけたわけだから、事実は重く受け止め今後に生かしていくよりほかはない。
本質的に私は客商売には向かないと思う。
今やっている「受け身の接客」ぐらいが私にはギリギリである。
愛想がないのは自らも認めるところだし、それを直す気もないからどうしようもない。
外回りの営業ができればもう少し収入もマシになると思うが、できないものはできない。
こういったことはもはや自己暗示や努力で何とかなるものではない。
できないことを痛烈に意識するからこそ、残された選択肢で何とか花を咲かせたいと思う心は強くなる。
人から見れば夢物語のようなことも最近は考える。
実現したらどうしようと、日々必死で考える。
私のような人間嫌いでも、生きている意味はあるはずだ。
最近は、ボンヤリと、本当にボンヤリとそれが見えてきた気がする。