blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

少し動いた

2008-09-16 22:30:13 | 日記
先日から、来月度の休日希望をとる用紙が回ってきていた。
私にとっては最後となるが、とりあえず休みたいところをチェックしたら、ちょうど5日分になった。
希望は1人5日までというのは、開店以来の何となくのローカルルールである。

今は従業員6人のうち、3人までが20代前半の若い女性である。
来月度のうち、たった1日だけその3人が一緒の日に休みを希望した。
朝組のYさんに聞いてみると「3人で遊びたい」との正直な返答があった。

本来、6人のうち3人が欠けるのは店としてはよろしくない。
夜組は2人が欠けて私だけとなり、夜の締めはおそらくは店長がフォローすることになる。
しかし、こうでもしないと、定休日のないわが店にあって店舗外で交流することは難しい。
たまたま同じ年代のメンバーがそろってそういう話が出るのは、少なくともこの3人がすっかり仲良くなっているということである。
なかなか仕事中にはできない話も多くあるに違いないから、たった1日大いに発散してもらう機会になればいい。

やや前置きが長くなった。
私はとりあえず、10月下旬以降の仕事を手当てするため、少し動いてみた。
職安にも行ったし、求人誌もながめたが、めぼしいものはない。
そこで、ある派遣会社に電話をして、まずは登録の段取りをすることにした。
最近、魚津市にも事務所を開設したところだ。

これからの仕事については、こだわりはあまりない。
その派遣会社も、自宅に近いところに事務所があるからという理由で連絡した。
今後、その会社に世話になるにしても、10月下旬の段階でどんな仕事の依頼が来ているかは分からないとの話であった。
私としては、その段階で最も適当な仕事を選ぶことになるのだろう。

私が本当にしたいことは、職安にも求人誌にも派遣会社にもないのである。
ただ、今のところ「それ」で食べることができないから、どんなことでもしようということである。
いろんなことをやってきたので、たぶんこれからやる仕事もできるはずだ。
どういう形にしろ、今より稼ぎが悪くなることはない。
正規・非正規などはどうでもよい。
心身に無理な負担がなく、最低月々回せる稼ぎがあればよい。

1人の人間としてしっかり生活をしながら、自分を磨き、宣伝すべきものは宣伝をして、小さくても成果が出れば御の字である。
今までは宣伝すべき場所を間違えた感があるが、少し考えればいくらでもある。
思いつくところには惜しむことなく宣伝をして、少しでも自分の作品が認知されるようになればいい。

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本に学ぶ

2008-09-13 22:53:54 | 日記
今、自室の机(兼食卓)の上には、ある学者さんが書いた本が置いてある。
本の帯には、「日本的常識への挑戦状」という触れ込みが書いてある。
タイトルも刺激的だが、内容も触れ込み通りのかなり非常識な(?)ものである。
ざっくり言えば、一般的に「明るい」とか「いい」と言われる人や振る舞いが容赦なく批判の対象になっている。
内容をそのまま説明してもしょうがないので、私なりに共感できた箇所をいくつか挙げたい。

本の冒頭には、スポーツ中継に関する記述がある。
要約すれば、どうも日本の報道は無理やりにでも好成績を期待するほうに走っていってしまう。
客観的な分析はさておいて、とにかく明るい方向に予測しなければならない。
そして結果が惨敗であっても、あっさりと「次に期待しましょう」となる。
惨敗という事実を突きつけられても、明るさだけは保たれる、と。

また、日本では、商売人がやたらに感謝する。
商売は本来、よいモノ、よいサービスを提供すれば済むはずで、客と商売人とは対等であるべきだが、日本はそうではない。
欧州に行ったら、店員などみんな無愛想で威張っているのが当たり前だぞ、と。

この本の筆者は欧州で暮らす機会も多いようで、いささか欧州びいきの面はあるのかもしれない。
ただ、書いてある内容は、ほかにも共感すべき部分が多くあった。

この本は、読む人によっては5ページも読まないうちにイヤになるだろう。
今この国では徳目とも言える「明るさ」や「感謝」といったことに徹底的にメスが入っているのはなかなかに痛快だ。
つまりは、常識人と言われる方にとっては、到底認めることができないようなものとなっているのである。

そんな本にけっこう共感し、学ぶ面すら見つけることができたのは、私自身もこの国においては「マイノリティー」の1人であるということかもしれない。
当ブログを通して読んでいただければ、けっこう私が「日本的でない」(=集団嫌い)ことが多少は分かっていただけるはずである。

どうせマイノリティーなんだからそれらしく生きていってやろうじゃないの、などと考える今日である。

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これから

2008-09-11 21:57:09 | 日記
日曜からの4日間は本当にキツかった。
顔色はよくないし、食欲もない。
すべてではないが「自分が受け入れられていない環境」に出て行くことは、大変な作業である。
もちろん、終わりの日を自分で決めたのであるし、まだ補充の人員のメドも立たない状況では、アタマカズとしての役割は果たしていかなくてはならない。

冷静になってみれば、私自身は戦力としては必要で、もう少し感情の波をなくしてくれれば、という話だったと思う。
ただ、そろそろ次を考えないと自らの生活が危ういという中、昇給の見込みもない今の仕事に執着していても仕方なかった。
自分の思いと周りの思いが何となくシンクロした結果、私があと1ヶ月で店を去るということになった。
だから、ちょうど縁の切れ目ということで、それでよかったのである。

今日は休日で、久しぶりに実家に行った。
休むだけなら1人の部屋でもいいが、いろいろと吐き出す場所がほしかった。
これからについて、家族の意見も聞きたかった。

基本的に、最初の会社から通して「お客さんとかかわる」仕事をやってきた。
しかし、そういった仕事はもうやめたほうがいいというのが今の思いである。
自己の歴史を振り返って、つくづく接客には向いていない人間だと身にしみた。
旅行業の資格などがあっても、仕事として生かせる現状にはないことを受け入れざるを得ない。

ともあれ、まだ時間はある。
ボンヤリとでも、目指す方向が見えてきたことを喜びたい。
働く意欲、仕事をこなす力はある。
あとは、感情のコントロールをどうするか。
接客ではなくても、人とのかかわりは避けられない。
今が自分を鍛えるいい機会だ。
今回の苦い経験が、きっと実になってくれることを信じている。

それにしても、今日1日、雑事を忘れてノンビリできたのは家族のおかげだ。
家族全体としてつらい状況には変わりないが、今ほどそのありがたさを感じている時はない。
私は決して「ひとりぼっちではない」のである。
せめて周りの人間を悲しませることだけはしないようにするのが、当面の責任だろう。

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15年前と今と

2008-09-08 21:59:11 | 日記
15年前の9月6日、私は社会人1年目で、ちょうど支店の新築開店日であった。
新しい店舗の前で、全員で記念写真を撮った。
笑顔の中で、やや緊張ぎみの表情でうつっている私がいる。
仕事や環境になじめず、戸惑いばかりの毎日が思い出される。
それでも世間から見れば、いっぱしの会社員であったし、少なからず誇りも持っていた。

今年の9月6日を人生最悪と言っていい日にしてしまったのは、誰あろう私自身である。
この前日、先月の心のショックもまだ癒えないまま、長年付き合った職場の同僚から事実上の「NO」を突きつけられた。
私は、人が入れ替わっても職場のみんなを好きだったし、それはこの職場を離れる決心をした今も変わらない。
好きだったからこそ、その反動は大きかった。

自室でチビチビ飲んでいるまではよかったが、いい気持ちになり、魚津市内に出かけたのがまずかった。
強い酒を浴びていつの間にか酔いつぶれ、無理やりタクシーに乗せられ、タクシーの中で、いい年の男が「寂しい、寂しい」と言って泣きわめいた。
気がつけば、深夜、アパートの駐車場で転がって動けない自分がいた。

スーツを着込んで写真におさまっている自分と、メガネの行方すら分からず地べたに転がっている自分。
とりあえずは大企業の一員であった自分と、ようやく引っかかっている職場でもなお拒絶される自分。
15年も過ぎれば、人間ここまで変わってしまう。

15年前と比べて、今は多くのものを失った。
収入、社会的信用、そして多くの人間関係。
ただ1つ、15年前になくて今あるもの、それは「夢」か。
ただ1つ、私を生かし続けるもの、それが「夢」なのか。
夢の終わりはあるのか。
果たしてその先には何があるのか。

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みんな、ありがとう。

2008-09-05 22:31:50 | 日記
今日、慣れ親しんだ職場をやめることに決めた。
決めたから、店長にも連絡をした。
会社の決まりで、あと1ヶ月半いる。
締め日が20日なので、10月20日まで勤務する。

もともとここで働き続けていても、毎月赤字なのは目に見えていた。
貯蓄もほとんどなくなり、生活の立て直しは急務であった。
しかし、やめる意思はあと1週間後くらいに伝えるつもりだった。
思わぬ形で、少し予定が早まっただけである。

その思わぬ形というのが、今日の出来事である。
私は感情の起伏が激しい人間であるが、そのことで従業員のみんな、特に夜組の若い女の子2人が困っているという指摘を朝組のYさんから受けた。
気分がいいときはいいが、イライラしているときは仕事のことで何か聞きたいと思っても言い出しづらいということであった。
夜組のFさんあたりは、Yさんに泣いて訴えたということも聞いた。

いいメンバーに囲まれて楽しく仕事ができている、といつも書いてきたこの職場だが、結局はみんなが「気を使ってくれていただけ」ということが分かった。
そのことには大きなショックを受けた。
指摘を受けたのは今日だが、たぶんずっと前からその傾向はあって、ずいぶん前に退職したMさんなりSさんなりも、知らないところでは泣いていたのかと思うと、申し訳ないという気持ちしかない。
Yさんからは「やめてはほしくない」とは言われたが・・・。

みんなは、こんな自分でも長い間ガマンして受け入れてくれた。
そんなみんなを恨んだり、責めたりはできない。
すべて自分が悪かったと反省し、みんなには心からありがとうと言いたい。
あと1ヶ月半、少しは「マシ」になった姿をみんなに見せることが、せめてもの恩返しだ。

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写真展

2008-09-03 22:24:50 | 日記
青春片道切符のボーカリストであるT氏が、魚津市内の銀行店舗内で写真展を開いている。
限られたスペースの中、飾られている写真はいずれも「蝶」を題材にした9点である。
今日は用事もなく、写真だけを見るためにその銀行に行った。

写真の内容をあれこれ言える立場にはなく、ただただ素晴らしいと感心するのみであった。
ずいぶんと被写体に寄ったものが多かったので、果たしてこれは何ミリのレンズでどんなふうに撮ったのだろうという興味がわいた。
ただ眺めるだけでなくそういうふうに思うのは、私にいくらかは「アーティスト魂」があるからだろう。

どんな形にせよ、表現をするということは本当に楽しいものだ。
表現活動をしたいと思って、実際に行動まで行ける人は案外少ない。
少しでもドアを開けた人間にとっては、もはややめられない魅力がそこにはある。
迷っているくらいなら、自分の中にあるものはどんどん外に出したほうがいい。

私の作った迷(?)曲も、いつの日かしっかりとレコーディングがされ、世の中に出て行ってくれることを願ってやまないのである。

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何を言ってもウソになる?

2008-09-02 22:11:59 | 日記
今の仕事のままだとなかなか生活が厳しいのは以前書いた。
最近は「動く」のが当たり前のようになっていて、けっこういろんなところに面接に行っている。
昨日も、ある会社の面接があって富山市まで行っていた。

どこの会社でもいわゆる「志望理由」を言わなくてはならないが、昨日の場合は話しているうちに「本当にやりたいことは実は違う」ということがバレてしまった。
表向きは別として、この時点でもう先方としてはサヨウナラという感じであったろう。
あれこれ考えてもったいつけたような志望理由を言っても、相手には伝わらないし、試験に落ちるのも当たり前である。

「安定収入」という誘惑には逆らい難いが、もう自分にウソがつけなくなっている今は、本当にやりたいことを突き詰めていく必要があるようだ。
ただ、その実現までには相当の苦労があるだろう。
また周りの人に迷惑をかけることになるかもしれない。

「生きていくこと」はつらいが、「生きていること」は幸せだ。
言葉は悪いが、いつ死んでも悔いのないように生きるのが、生きている者のつとめだ。
思いつくことはすべてやってみて、それでダメなら仕方がない。
この年齢で夢を追いかけられる幸せを感じながら、日々を生きたいと思う。

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