私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

みんな何かを言いたがる

2014年09月04日 12時15分56秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇みんな何かを言いたがる◇

悟りの道をいく人か否かにかかわらず、みんな何かを言いたがります。
自分が手にしている考えをどうしても外にアピールしたくなるのです。

幸せを表現する人。
自分の社会的なステイタスや成功を表現する人。
自分のやっていることや思っていることを良いと思って表現する人。
反対に、苦しいや悲しみを訴える人もいます。

これらの人はみな、その方が表現している考えやそれに関連する状況を握りしめているのです。

これは、悟りを知っている人も同じなんです。

神や、愛や、至福や、喜びを言う人は、それらの考えを握りしめています。

また、真我や、空や、在るを言う人も、それらの考えを握りしめているのです。

ですから、私はみんさんに申し上げたいのです。

いま「その言葉」を仰ったご自身に意識を向けてくださいと。

ご自身がその考えを握りしめていることに気づいてくださいと。


このような偉そうなことを言っていると、皆さんからお前(慧空)はどうなんだと厳しいご指摘を受けそうです。(^^)

そうなんです。
私も言いたがりなんです。(^^)

ですが、私は何も握りしめてないのです。
だから私は、私が得た最終的な悟りの理解について、「こうです」とか、「ああです」等の具体的なことは何も言わないのです。
ただ、「それを手放してください」とか、「そうではないです」とか、「こうでもないです」等の否定的な表現を使って言うだけなのです。
そうでしか表現できないのです。(^^)


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解脱の悟りへ向かうルートについて

2014年09月04日 09時01分56秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇解脱の悟りへ向かうルートについて◇

私は、解脱の悟りを得る際に、主に自分に起こってくる苦しみと向き合いならがら、言わば「苦」をツールとして利用して解脱の悟りに至りました。
この行程は、お釈迦さまが辿られた道とほぼ同じだと思います。

私の辿った道がお釈迦さまの道と同じだったということや、他の方がどういう道を辿ったかについての情報を知らないのもあって、解脱の悟りに至る道はひょっとすると、「苦」を入り口としたルートしか無いのかも知れないと思うようになっていたところがありました。

しかし、昨日ふと思うところがありまして、「苦」を入り口としない他のルートもあるのかも知れないと思うようになっております。

例えば、その一例というか手掛かりとして。
私という存在というか、意識は、断続的かつ連鎖的にパッ、パッと起こってくる考え(認識)そのものなのです。
それで、解脱の悟りというのは、そのように連鎖的に延々と起こってくる考えを一切掴まなくなることなのです。
だから、もし、起こってくる考えを一切掴まない意識状態に直接的に至ることができれば、「苦」等を使ったアプローチは不要な訳なのです。

私にそのような直接的な行程が可能だったかと言うと、そのようなことは難しかったのだろうと思います。
しかし、中にはそれが出来る方がおられるのかも知れないと思ったりしています。


<追記(2015年1月30日)>
上記の「苦」を使わないで、起こってくる考えを一切掴まない意識状態に直接的に至ることができるかについてですが、どうも、そのようなアプローチは困難というか無いようです。
最後に握りしめているものとして、「苦」はどうしても残るようです。
ですから、最後の手放しは「苦」がポイントになるのだろうと思います。


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