私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

涅槃の体験は解脱の悟りに関係無しか

2014年09月22日 21時48分49秒 | 悟り
◇涅槃の体験は解脱の悟りに関係無しか◇

以前このブログに、涅槃の体験は解脱の悟りを得るときの重要な手がかりになっている可能性があるという記事を書いたことがあると思います。
しかし一昨日、その考えは間違っている可能性が高いことが分かりました。

今日は、このことについて記事を書こうと思います。
なお、涅槃とは深い瞑想等により得られる完全な無我の状態のことで、この状態になると意識や感覚は完全に断絶し、気絶状態となります。

解脱の悟りとは、端的に言えば、一切の考えを握りしめなくなることなのです。
あるいは、自我が握りしめている考えをすべて捨て去ることなのです。
ただそれだけのことなのです。

例えば、これは絶対だ等として信じていることや、こうであるべきだと思い込んでいることなど、そう言った囚われがすべて無くなれば、それで解脱の悟りなのです。
本当にただそれだけなのです。

握りしめた考えがあるからこそ、それが種になって次から次へと新たな考えを握りしめる衝動(衝動も考えです)が生じてしまうのです。
そして、その考えを次から次へと握りしめてしまうことが、延々と続く迷い行程そのものなのです。

一切の考えを握りしめなくなれば、解脱の悟りなのですから、そこに涅槃の体験の有無は関係ないのです。

一切の考えを握りしめなくなることと、涅槃の体験とは直接的な関係は何もないのです。


涅槃の体験のない方、どうぞ心配されることなく、安心して道を歩んで頂きたいと思います。(^^)


以下、補足です。

また上記に関連して、コメントしたいことがあります。
仏教系の経典に、解脱の悟りを得た人について、涅槃の体験を得た後で解脱の悟りを得た人と、その体験を得ることなく解脱の悟りを得た人とを分けて捉える記述があるようですが、このような分類には意味が無く、誤りである可能性が高いと思います。
解脱の悟りは、一切の考えを握りしめなくなることなのですから、そこに違いなどあるはず無いのです。

ただ、解脱の悟りを得るときに涅槃の体験が間接的な意味で何らかなの影響があることはあるのだろうと思っています。
それは、涅槃の体験があると、自分自身を含めたこの世界そのものが幻であることが腑に落ちやすいので、握りしめている考えも手放しやすくなる傾向があると思われるからです。

しかしその反対に、涅槃の体験が解脱の悟りを得るときの邪魔になることもあるのだと思います。
涅槃も私という自我がつくる考えであるのにかかわらず、涅槃の体験を得たことにより、それをあたかも絶対的なものとして握りしめてしまい、そのことが解脱の悟りの邪魔になることがあるのだろうと思います。


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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (11)
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