私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りの道と真我の認識の推移

2014年09月05日 12時53分05秒 | 悟り
◇悟りの道と真我の認識の推移◇

昨日少し面白いことに気がついたので、書かせていただきますね。

悟りの道を進むにつれ、何らかの形で真我に対する気づきが生じるのですが、その真我に対する認識が、悟りの道の過程において様々に移り変わるのです。

真我に対する最初の理解は、真我の外縁に触れる第一段階の覚醒によって得られます。
このときは、真我に対して、ひとつのものとか、根源とか、愛とか、至福とか、人によっては神とか、そういう認識をされる方が多いです。

次に、真我の完全な覚醒である第二段階の覚醒(いわゆる、大悟です)が得られると、在るものとか、不変なものとか、気づきそのものとか、全体意識等として認識される方が多いです。
この段階では、真我は禅の空と近いものとして理解されることも多いと思います。

さらに、大悟から最終的な悟りである解脱の悟りに向かうにつれ、真我に対する認識が、全体意識等の認識から、完全な無我(涅槃)へと移行していきます。
なお、完全な無我とは、自我の意識が完全に落ちた状態、つまり気絶状態のことです。

そして、自我が十分に滅せられ、解脱の悟りが得られると、真我と自我の合一が起こります。
その合一は、私という存在の意識の主体が真我ではなく自我なので、自我が主体となり、真我が自我に取り込まれるようにして起こるのです。
このようにして合一が完了すると、どう言葉で表現したらいいのか非常に難しいですが、限りなく薄くなった自我だけが残り、真我に対する感覚がほぼ完全に消失します。
こうなると、それまでは瞑想等により意図して涅槃に落ちることが出来た人も、意図して涅槃に至ることはもうできなくなります。
しかし、涅槃が消失したのではなく、自我の陰に一体となって重なっているだけなのです。
涅槃が自我ととても近しくなり、自我が起きているのか涅槃に入っているのか分かりにくい状態や、いつの間にか涅槃に入ってしまっていたということが増えていきます。


面白いでしょ?(^o^)

これを面白いと思うのは私だけかなぁ?(^o^)


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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (2)
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