◇一元という幻想◇
どんなことがらも、それに囚われるとき、良い悪い等の二元性を帯びます。
一元もそうです。
一元も私が考えている考え(幻)なのです。
幻想です。
幻想ですから、それそのものには二元性はありません。
しかし、一元という考えを掴むとき、それは二元性を帯びます。
なぜなら、それが良いものと判断したから、それを掴んだ訳ですから。
真理もそうです。
愛もそうです。
どれもみな、幻想です。
それらは、それを掴まなければ二元性はありません。
ただ起こってくる考えであり、過ぎ去っていくだけです。
どんな尊い考えも、それを掴めば自我(エゴ)の肥やしになります。
掴んでいる本人には、それがなかなか分かりません。
一元も真理も、愛もそうですが、それらを掴んでしまう人は、それが考えであるということが分かっていないのです。
誰がそれを認識しているのしょう。
「私」です。
「私」が認識している考えであり、幻です。
では、「私」はどうでしょう。
今度は、あなたのその視線を「私」に向けてみてください。
一切は考えであり、幻想であると分かるはずです。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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どんなことがらも、それに囚われるとき、良い悪い等の二元性を帯びます。
一元もそうです。
一元も私が考えている考え(幻)なのです。
幻想です。
幻想ですから、それそのものには二元性はありません。
しかし、一元という考えを掴むとき、それは二元性を帯びます。
なぜなら、それが良いものと判断したから、それを掴んだ訳ですから。
真理もそうです。
愛もそうです。
どれもみな、幻想です。
それらは、それを掴まなければ二元性はありません。
ただ起こってくる考えであり、過ぎ去っていくだけです。
どんな尊い考えも、それを掴めば自我(エゴ)の肥やしになります。
掴んでいる本人には、それがなかなか分かりません。
一元も真理も、愛もそうですが、それらを掴んでしまう人は、それが考えであるということが分かっていないのです。
誰がそれを認識しているのしょう。
「私」です。
「私」が認識している考えであり、幻です。
では、「私」はどうでしょう。
今度は、あなたのその視線を「私」に向けてみてください。
一切は考えであり、幻想であると分かるはずです。
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