私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りの行程と滅私の誤解

2015年08月09日 22時39分15秒 | 悟り
◇悟りの行程と滅私の誤解◇

悟りの行程に入られた方によく生じる誤解として、「私はいない」という誤解があります。
悟りの行程には、そのような誤解が生じやすい三つの通過点があるのだろうと思っています。

一つ目の通過点は、小悟のゲートです。
小悟のゲートを潜った際に、それなりのギャップを空けて囚われが減り、それに伴って自我が薄くなります。
そのときに、自分の自我が滅せられたような感覚が起こり、これが誤解や思い込みを誘発します。
この小悟に伴って誤解される方は、とても多いです。

二つ目の通過点は、大悟のゲートです。
大悟のゲートを潜るのに伴い、非常に深いただ観る意識(観照意識)が初めて意識の表面に出てきます。
その深い観照意識に初めて触れた際に、自我感覚の欠落感とともに、いわゆる「観るものは観られるもの」という感覚が起こります。
そのとき、どうやら大半の方は「自分の自我が滅した」と誤解してしまうようです。

三つ目の通過点は、自分自身である自我も含めて一切は考えであり幻であるという理解(空の理解)が起こるゲートです。
自分自身が幻であることが附に落ちてしまいますので、このときも、「自分の自我が滅した」と誤解してしまう方が多いのだろうと思います。
なお、この三つ目の通過点は、大悟のゲートを潜る前に通過する方と、大悟の後で通過する方がおられるのだろうと思っています。

悟りの行程において、「私」が滅せられることはありません。
自我そのもの、つまり私という意識がこの世界そのものなのですから、まだ世界があり、それが続いているのに、「私」だけが先に滅せられることなどあり得ないのです。

「私はいない」と言っているのは誰なのか、という簡単な問いかけについて考察するだけでも、その答えは簡単に見つかります。

「私はいない」、そう言っているのは、あなた自身でしょう?
そうではありませんか?


「私はいない」なんていい加減なことを言っていないで、そう考えている自分自身に意識を向けて頂きたいと思います。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。

※次回の講話セッション、個人セッションは8月29日(土)です(上のリンクを参照ください)

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読んで頂いてありがとうございました。

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