◇自我の活動は線香花火の火球のよう◇
囚われを握り締めた自我の活動の様子は、線香花火の火球のようなものです。
常に不安定に振動するように、ぶるぶる、ぐつぐつと活動しています。
何か現象が起こり、その現象に囚われが反応して感情、思考、衝動が起こるときの様子は、まさに、線香花火の火球が弾けて火花がほとばしるときの様子とそっくりです。
線香花火の火花は、大変情緒があり、美しくもありますが、自我の囚われが反応して感情等が弾け出す様は、多くの場合、とても見苦しく、哀れさを感じます。
本人もさぞ大変だろうと思います。
そのような囚われの反応に翻弄されてしまう営みから抜け出したければ、しっかりと「私」に意識を向け、囚われが反応する現場を直視し、それに気づいて頂きたいと思います。
気づけば、その囚われが根っ子から消失します。
そして、一度消失した囚われは二度と握り締めることは無くなります。
そうやって、自覚を続けられ、自分自身が握り締めている考え(囚われ)をひとつひとつ手放していって頂きたいと思います。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇セッションのご案内はこちらです。
※次回の講話セッション、個人セッションは8月29日(土)です(上のリンクを参照ください)
(※29日の個人セッションの枠は既に予約で埋まっております)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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囚われを握り締めた自我の活動の様子は、線香花火の火球のようなものです。
常に不安定に振動するように、ぶるぶる、ぐつぐつと活動しています。
何か現象が起こり、その現象に囚われが反応して感情、思考、衝動が起こるときの様子は、まさに、線香花火の火球が弾けて火花がほとばしるときの様子とそっくりです。
線香花火の火花は、大変情緒があり、美しくもありますが、自我の囚われが反応して感情等が弾け出す様は、多くの場合、とても見苦しく、哀れさを感じます。
本人もさぞ大変だろうと思います。
そのような囚われの反応に翻弄されてしまう営みから抜け出したければ、しっかりと「私」に意識を向け、囚われが反応する現場を直視し、それに気づいて頂きたいと思います。
気づけば、その囚われが根っ子から消失します。
そして、一度消失した囚われは二度と握り締めることは無くなります。
そうやって、自覚を続けられ、自分自身が握り締めている考え(囚われ)をひとつひとつ手放していって頂きたいと思います。
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