私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

根本苦と衝動

2024年08月18日 10時32分54秒 | 悟り
◇根本苦と衝動◇


私という存在は、苦そのものです。
根本苦とは、存在の根のようにしてある苦のことをそう言っています。

私という存在の深層には、その根本苦を何とかしようとして激しく振動するもがくような衝動があります。
そして、その根本苦に対する衝動が、私という存在に生じる様々な衝動の震源となっています。
例えば、何かをどうにかしようとする恐れ、何かを得ようする欲、何かを握り締める執着、何かを求め徨う期待などです。
このような衝動は、ジャングルジムのように相互に関係し合いながら階層構造をなしています。

根本苦は、私の意識を外へ向けさせ、外側へ展開させるよう作用します。
苦しみにより藁にすがるよにして、考えを掴むのです。
考えを掴むと、意識がその考えに向くため、根本苦の苦しみが表面的には緩和されるのです。
深層では考えを掴むことにより、苦しさが増すのですが、それには気づきません。
一つ考えを掴むと、さらなる考えを求めて意識は外側へさらに彷徨い出します。
そして、次々と別の考えを連鎖的に掴んでいきます。
掴める考えの数は限界があるのですが、その限界まで考えを掴みます。

ここまでは前置きで、本題はここからです。

言いたいのは、根本苦は意識を外側に向けさせるということです。
そして、一つでも考えを掴んでしまうと、意識がさらに外側に向いてしまうということです。
一つでも考えを握っていると、根本苦に向き合うことができないのです。

では、握っている考えを手放すのはどうしたらよいのか。
私のブログではそれには自覚が有効ですなどと書いたりしていますが、正直なところ、自覚だけで手放すのは困難なのかも知れないと考えています。
本筋的には、納得するまでその状態を経験するしかないのかもしれないと考えています。
そうするとやっぱり、本心と向き合って生きることが大切なのかと考える次第です。


◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
◇自覚の要領をひとつにまとめた有料記事「自覚のヒント」のご案内はこちらです。
◇有料のスカイプ個人セッションのご案内は、こちらです。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

哲学・思想 ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 功徳と悪徳 | トップ | 無常無我苦と私 »

コメントを投稿

悟り」カテゴリの最新記事