◇問題があるという幻想◇
私たちはよく、問題が起こるという言い方をしますが、そこには大きな誤解が潜んでいます。
私たちの身のまわりには、本当に様々な現象が起こってきます。
しかし、起こってくるそれぞれの現象についてそれをどう捉えるかは、各人ごとに大きく異なるものです。
起こってきた同じ現象に対して、「これは問題だ」、「なんとかしなきゃ」と捉える人もいれば、「ラッキーだ」、「その出来事を活かそう」と捉える人もいるし、特に何も感じることなく、受け流してしまう人もいます。
問題が起こっているのではないのです。
そこには、現象が起こっているだけなのです。
その起こってきた現象に対して、あなたが「問題だ」という考え(認識)をつくっているだけなのです。
元々、問題などどこにも無かったのです。
早くそれに気づいて頂きたいと思います。
そして、元々無い「問題」をわざわざつくる不毛とも言えるその営みから早く卒業して頂きたいと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
スピリチュアル ブログランキングへ
私たちはよく、問題が起こるという言い方をしますが、そこには大きな誤解が潜んでいます。
私たちの身のまわりには、本当に様々な現象が起こってきます。
しかし、起こってくるそれぞれの現象についてそれをどう捉えるかは、各人ごとに大きく異なるものです。
起こってきた同じ現象に対して、「これは問題だ」、「なんとかしなきゃ」と捉える人もいれば、「ラッキーだ」、「その出来事を活かそう」と捉える人もいるし、特に何も感じることなく、受け流してしまう人もいます。
問題が起こっているのではないのです。
そこには、現象が起こっているだけなのです。
その起こってきた現象に対して、あなたが「問題だ」という考え(認識)をつくっているだけなのです。
元々、問題などどこにも無かったのです。
早くそれに気づいて頂きたいと思います。
そして、元々無い「問題」をわざわざつくる不毛とも言えるその営みから早く卒業して頂きたいと思います。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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自覚を徹底してやるしかないということでしょうか。
コメントありがとうございます。
>激しい感情が出てくるときなどは、どうしたらよいのでしょう。
その激しい感情が出てくるときのプロセスがどういうものかにもよりますが、基本的に、激しい感情が起こってしまったら、誰もその流れに抵抗することはできません。
私(慧空)もそうですし、あのお釈迦さまでも、そうなのです。
そこに、私と一般の方との違いは余りありません。
ただ一つ違いがあるのは、私の場合は、どんなに激しい感情が起こっているときも、それをただ観ている観照意識が働いているという点だけです。
その強弱に限らず感情が起こるプロセスには、二つのプロセスがあります。
一つは、ただ感情が起こってくるというもので、これについては、その感情が強いときは、それが誰であろうと、その感情に抗することはできず、その感情をただ受け取るだけとなります。
もう一つは、自我が何かの考えを握りしめることに伴って感情が出てくるというものです。
例えば、無礼な扱いを受けたと思って怒りが起こってくるとき等です。
このケースについては、普段からしっかりとた自覚の習慣を身につけておくことにより、比較的簡単にその怒り等の感情を抑制することができます。
ただし、強い感情に至ってしまった後ではコントロールはもう無理です。
それが過ぎ去ってしまうのを待つしかありません。
私の場合、明らかに後者の方です。
今生思い出しても、六回は今回と同じ状況を繰り返してますので、このままいったら、また繰り返すのかと、予想がついてしまい。
ハートの痛みが伴うので、なかなかしっかり掴んでしまっています(笑)。
自覚をやっていくしかないのですね。
そうですね、自覚を続けていただきたいと思います。
意図して悟りの道を進もうとされる場合、私は自覚が一番確実で強力だと思っています。
最近やっと、慧空さんのおっしゃっていることが、分かるようになってきました。
気付きました。
『それを問題だ』と思っていただけだと。
幼稚園のお母さんたちとの距離を感じていて、嫌われてるのかな~。
なんか私したかな~?
という思考が出てきました。
そして、ハッとしました。
『幼稚園のお母さんたちと距離を感じている』
そのことを、問題だと思っていただけなんだと。
『そうあるだけ』なのに。
すべてが、ただそうあるだけ。
小学生ぐらいの頃は、身の回りに起こることを、問題だと思っていなかった気がします。
その頃に戻った感覚になりました。
コメントありがとうございます。
気づかれましたか。(^^)
そうやって一つ気づくと、あとは、芋ずる式にどんどん気づきが広がっていくかも知れません。
お楽しみに(^^)
ご返事ありがとうございます!
『ただそうあるだけ』と気付いたのですが、私の現実の景色は、たわいもない日常ですので(笑)
その気付きを得られていない方からみれば、「だって、大したことないから、そんなの気にしないのが、普通じゃない?」と思われるかも(別にそれでもいいんですがw)と、思ったのと、
自分自身も、本当にその位置に立てているのかという少しの疑念がありました。
昨夜、行方不明の小学生に関連するニュースを聞いて(事件の結果は出ていませんが)、胸が痛みました。
しかし、直ぐに、『ただそうあるだけ』という感覚になりました。
私も子どもがいますので、自分の身に降りかかったら、自我は打ちひしがれると思います。
でも、頭の片隅に、それを観ている存在がいる感じがします。
『ただそうあるだけ』の感覚でいられるようになったことに、静かな喜びを感じています。
痛ましいニュースを題材にあげるのは、不謹慎だったかもしれませんが、
どなたかの、気付きの参考になればと、慧空さんのスペースをお借りして、書かせていただきました。
本当のところは、慧空さんに、この心境を伝えたいからというのが、一番の理由ですが(笑)
つまり、共感してもらいたい、理解してもらいたいという思いが湧いてきてしまっているので、これは要自我観照ということですね。
>昨夜、行方不明の小学生に関連するニュースを聞いて(事件の結果は出ていませんが)、胸が痛みました。
>しかし、直ぐに、『ただそうあるだけ』という感覚になりました。
私もまきりんさんと同じ感じですよ。
私の中には、現象がただ起こっているだけという認識の部分と、痛ましさを感じる部分の二つがあります。
まきりんさんに敢えてお願いしたいことは、その意識状態で安住されることなく、さらに自分自身に意識を向けて頂きたいと思います。
そして、ご自分に起こってくる感情や考え、さらには、ご自分が握りしめている囚われ等の考えに気づいていっていただきたいと思います。
「ただそうあるだけ」という考えについても、自分がそう考えているんだな、そういう認識をつくっているんだなと自覚して頂きたいのです。