両親が共働きだったので 保育園を卒園した私は鍵っ子になりました。
40年も前のこと。
親は相当心配したようです。
でも当時は学童保育なんてありません。
なのでうちの親、仲間を集めて学童保育を作る運動をして(多分保育園在園中から始めていた)、
紆余曲折を経て 小1の途中か小2になった頃には本当に作ってくれました。
すごいや。
その名も「たけのこ学童保育」。
でも当時は学童保育を必要としている家庭が少なくて
いくつかの学区をまたいで中間地点くらいに作ることになったので
チビの私の足では60分もかかる場所に開設されたのです!
雨の日はほんと 延々 とぼとぼと歩いてたように思います。
なので、たまにサボりました。
同じ小学校からもう一人通ってたので その子と一緒にバックれました。
バックれた時の隠れ場所は我が家の物置です。
ゴミ屋敷かと思うほど乱雑に積み上げられたほこりまみれの不用品の中に
子ども2人分くらい座れるスペースをこじ開けて、
私たちは親にみつかるまでこっそり隠れているのでした。
学童では「休みます」の連絡もなしに姿を見せない私たちを心配して てんやわんやだった
ことでしょう。
こっぴどく叱られる2人。
それでも懲りずにまたサボる2人。
なんで子どもって(私って?)あんなにネジがユルいのでしょうか、どなたか教えてください。
クリスマスも近いある日、サボった私たちはあることに気づきました。
そう、その日は菜穂ちゃんが親から預かった「学童保育料」を持っていたのです。
当時保育料はお習字の月謝のように 毎月封筒に入れて手渡されていました。
なんだ、このお金?
あれれ、このお金でお菓子買えるんじゃない?
・・・いっぱい買えそうだよね。
よし、買おう。
なんと罪悪感の薄い小学2年生でしょう。
子どもってそんなもんなんでしょうか。
大人になった今となっては本当に理解不能です。
でも、私たち、すっごくいっぱい、普段買えないような大物を
しこたま手に入れたのでした!
その日近所の駄菓子屋には ささやかな店構えにしては大胆な値段のお菓子が置いてありまして
多分クリスマス前だったからでしょうけど
大・中・小のブーツにお菓子がいっぱい詰まったヤツを
その中の「中」サイズのブーツを 私は菜穂ちゃんに買ってもらったのでした。
サンキュー、菜穂ちゃん。
いい人だ、菜穂ちゃん。
年が明けて翌月、12月分の保育料を請求された菜穂ちゃんの親によって
私たちの秘め事は白日のもとに晒されるわけですが、
あの日のドキドキと幸福感は今でも忘れていません。
罪悪感を覚えとけって話なんでしょうけど、まあ、いいか・・・・と。
だってあの頃の我が家は お菓子や甘い飲み物禁止で、アメも禁止で、
赤いウインナーも禁止で・・・とにかく禁止だらけだったので、
あのクリスマスのブーツは、夢の宝石箱って感じの喜びだったのです
世の中のお菓子を全部手に入れた様な お菓子の家に住んでるような
なんとも幸せなブーツとの時間。
いや、マジありがとう、菜穂ちゃん。
その後学童で、子ども経由の保育料の受け渡しが全面取りやめになったのは
こうした私と菜穂ちゃんの過ちによる 大人たちの学習によるものですが、
今でも懐かしく思い出す子どもの頃の風景なのでした。
ああ、でもよかった、あの時味をしめなくて。
泥棒にも詐欺師にもならずに今日まで生きて来られたこと、本望です。