市内にある母方の実家は製菓店を営んでいます。
小さい頃、母が残業で遅くなると
代わりに二代目を継いだ母の弟の修(しゅう)ちゃんがお迎えのピンチヒッターを
してくれたものでした。
忙しい両親に変わって、修ちゃんは幼少期の私の育ての親の一人でした。
配達のある日には
「うたこ、行くか?」と、
私を助手席に乗せて近隣の市町村のあちこちに連れて行ってくれました。
次の配達までに時間がある時には、遠回りして景色のいい場所を見せてくれたりもしました。
道中 修ちゃんが車の中でかけていた『チューリップ』のカセットテープが懐かしい。
わがままは 男の罪 それを許さないのは女の罪~
修ちゃんの鼻歌。
修ちゃんの青春だったのかもしれない。
修ちゃんの思い出。
修ちゃんのアオハル。
そんなある日、配達の途中で私は妙なものを見つけて修ちゃんに聞きました。
「あの道の端に立っている お巡りさんみたいな変なの 何?」
「ああ、あれはお巡りさんの代わりだよ。代わりに見張ってる人形。」
「え~あれでお巡りさんの代わりになるの?ならないよ。絵だもん。誰もだまされないよ。」
「まあそうだね。でももしかしたら、あれをお巡りさんだと思って違反をやめる人間が・・
・・・確かにいねーだろうなー、そんな間の抜けたヤツは。あれじゃムリだ・・。」
私は思いました。
警察は一体なにをやってるんだか、と。
一般市民をなめているのか?子どもにだって通用しないぞ、と。
あの程度の対策で交通ルールを守らせようとは 非常に危険だ。
怖いぞ、警察。 その甘さが怖いぞ、と。
20代後半の青年にも保育園児にも、その陳腐さ、無意味さははっきりとわかるのでした。
それを覆すような衝撃が私を襲ったのはそれから間もなくのことでした。
忘れもしない、その日 母は急いでいました。
というより母は時間に追われる生活で 今でも常に急いでいます。
私と修ちゃんが通った同じその道を 私と妹を乗せた母の車はスピードオーバーで走っていました。
急にブレーキをかける母。
後部座席から転げ落ちそうになる保育園児2人。
「びっくりした~ おイスから落ちちゃうよ。どうしたの?」
と問う私に
「しーーっそーーっと後ろ見てごらん。お巡りさんがいるから。」
おっかなびっくり
そーーっと後ろを見る私と妹。
そして遠ざかりつつ後方に見えるのは かの人 そう、あのお巡りさんっぽいパネル
ひ・ひ・ひ・ひえぇぇぇ~~~~~・・・・・・
修ちゃん、ここにいたよ。
あの日2人で「そんな間抜けなヤツはいねーな」と言って笑った「幻の間抜け人間」が
こんな身近にいたよ・・・。
そしてその人は私のお母さんで 修ちゃんのお姉さんだったよ・・・。
この日から私は 心が壊れそうな程の衝撃を小さな胸に抱えたまま
まるで自分の母の罪に頑なに口を閉ざすサスペンス劇場の子役のように生きてきました。
心に傷を負ったまま この事実を人に知られないようにビクビクしながら
今日まで生きてきたのです。
自分がバカにした人間像が母親そのものだったとは、保育園児の私には
抱えきれない苦しみでした。
そんなこんなを背負って 母の代わりに贖罪しながら生きてきたような40年でした。
母には反省して貰いたい。
もうとっくに時効を迎えたと思うので 今日ここに公開させて頂きます。