母という人は、私の母という人は 本当に罪深い人です。
私が里帰り出産をした14年前に初めて知った真実を今日は記しましょう。
小さい頃から私の小食は母の悩みのたねだったようで
好き嫌いはダメ、もっと食べなさい、やれ残すなとさんざん言われて育ちました。
だからといって量を減らすでもなく カットや味付けに工夫をするでもなく、
“出されたものを食べる”という子ども側の努力を強いました。
そして期待に応えられない私はいつも怒られてばかり。
「食べる」辛さをいくつかの古い光景の中に今でも思い出したりします。
父は始発電車で出勤して終電で帰るような生活だったので
食事は母と妹と3人が多かったのですが、
忙しい母は始終 台所とちゃぶ台を行ったり来たりしているし
食べ終わるとすぐに別の家事に取り掛かるために先に席をたってしまう。
こうした巧妙な隠ぺい工作にまんまと騙されて
私は全く気づかなかったのです、母の隠された真実に。
14年前に知った母の真実、それは罪深いにもほどがある
実は母が超が付くほどの『偏食家』だったということです。
仕事を無事勤め上げて退職した母は その頃頼まれて市内の神社の事務をしていました。
娘が出産するからと仕事に融通を付けて貰った母と
初めて3度の食事を共にするわたし。
そしてコトは発覚したのでした。
鶏肉ダメ、牛肉ダメ、豚肉はOK。
チキンやビーフでダシをとったスープなども当然ダメ。
魚は小田原アジ(開き)と塩鮭のみ可。
刺身NG。
うなぎもダメ。
野菜も苦手多し。特にネギ、ニンジンが。
納豆、牛乳、チーズ、バター、ヨーグルト・・・乳製品全般ダメ。
おい、おい、おい
何食べて生きて来たんだ
母の口から 次々と明かされていく真実に
「うそ?・・・ホントに!?」を連発するばかりの私。
知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道
振り返れば遥か遠く 故郷が見える・・・・
母の大好きな美空ひばりがどこかで歌っています。
ああ、そうか、私の心の中で、か。
知らなかった・・・・本当に知らなかった。
ひばりさん、私30年以上知らずに生きてきたんです・・・。
本当の自分を告白出来たことにほっとしたのか
隠し事のひとつを公にしたことで肩の荷を下ろした母は解放されていきました。
私が戸棚の奥にカップヌードルシーフード味の買い置きを発見したのは
それから間もなくのこと。
禁止したよね、私には。
体に毒だから食べちゃダメだよって言ったよね。
孫が成長するにつけ、我が目を疑う事ばかり。
実家にジュースが買い置きしてある
あー、うちの子にこっそりヤクルト飲ませてる
まだ解禁していないラムネやチョコ 食わしてる
でも大人になると昔の辛かったあれこれが、懐かしくも遠い過去のこととして
笑い話になってしまうのですね。
私の富士山は噴火することなく 鳴門の渦潮のように荒れ狂う事もなく
笑い話としてお披露目される程度で許されていく。
時の流れは偉大なのです。
ただ川の流れのように緩やかに過ぎていく 母と子の確執なのでした。
PS.この事実を知った当時 私はすぐさま妹にチクりました。
「マジーーーー なんなのお母さん」
と妹が噴火してくれたので 私も「でしょでしょーー」と同調し、
妹の驚きっぷりで スッキリしたのでした。
めでたしめでたし。