【毎日新聞 2013年07月08日 02時34分】
福島第1原発の過酷事故から2年4カ月。きょう、原発の新規制基準が施行され、再稼働をめざす電力各社がこぞって審査を申請する。
新基準の施行は「事故前」と「事故後」を分ける、大きな節目である。事故前の安全神話を覆す最初の一歩としなくてはならない。
にもかかわらず、徹底した切り替えとできるかどうか、心もとない点がある。第一に、早期の再稼働に向けた「見切り発車」の姿勢が、電力会社に見えることだ。
たとえば、多くの原発が事故時の活動拠点となる「緊急時対策所」の整備を「仮設」で乗り切ろうとしている。放射性物質を含む排気に備えた「フィルター付きベント」も設置されていない。
もし、形さえ整えばいいと考えているとしたら、事故前と何も変わらない。安全確保を国任せにする電力会社の姿勢は、海外の規制当局関係者からも批判されてきた。国の規制は「最低限」の基準である。それを超えて、電力会社自らが安全性を高めようとしなければ、原発のリスクは減らせない。
そうした「安全文化」は規制基準では判定できないが、原発の安全確保と密接にかかわる。先週、大飯原発の運転継続が認められた関西電力は、対策を小出しにし、「基準を満たす最低線を探ろうとした」と原子力規制委員会から批判された。これでは、国民の信頼は得られない。
過酷事故が起きた場合の対応にも懸念が残る。国際的には防災対策まで含めた「5層の防護」が常識だが、事故前の日本はそこまで考えていなかった。これを改めるのは当然だが、まだ徹底していない。
規制委は新たな災害対策指針を定め、防災の重点地域を30キロ圏へ広げたが、大飯原発のある福井県もまだ防災計画を改定中だ。計画が策定済みの場合も、放射性物質の放出が起きた時にどう避難するか。甲状腺を守る安定ヨウ素剤を飲むタイミングをどのように住民に知らせるか。現実的な道筋はよく見えない。
政府は再稼働に前のめりになっているが、新規制基準にはリスクの高い原発をふるいにかける重要な役割があることも忘れてはならない。運転40年で廃炉とする原則や、新しい知見を既設炉に反映させるバックフィットをきちんと守り、型が古く、老朽化した原発は積極的に廃炉にしていく必要がある。敷地内に活断層の存在が疑われるなど地震や津波のリスクが大きい原発も同様だ。
事故から2年余を経て、「地震国」日本の原発のリスクはどれだけ下げられたのか。それを、規制委も電力会社も、目に見える形で示してもらいたい。
【感想】
私は技術屋なので、電力会社の手抜きとも言えるええ加減な対応には我慢がなりません。
本来であれば原発再稼働などもってのほかで、今までも何度も述べて来たように、「福島第一原発事故」の検証も総括もまだ全然なされていない状況で再稼働を申請し、それを審査するという電力会社と国の姿勢には開いた口が塞がりません。
何度も何度も同じ事を言い続けていますが、「使用済み核燃料」の保管・処理・再利用の問題に明確な道筋が立てられていないのが現状であり、それが解決しない限り「原発再稼働」などあり得ない、これが真実です!!
福島第一原発事故は当初さかんに想定外の事故と言われましたが、想定外の出来事を予想するのが技術屋の使命であると私は考えてます。
若い頃に農業用アースダムの建設現場で3年ほど修行しましたが、昭和56年夏の大雨で建設中のダムに洪水が流れ込み大災害になった事がありました。
現場にかけつけた私も一歩間違えたら命を落としていたような大洪水で、ダムは水没、工事用道路は決壊、機械も全損という大損害を被りました。
原因は、仮排水トンネル(工事期間中に川の水を下流まで導くトンネル)の呑口(入り口)が、洪水で上流から流されて来た流木で塞がれてしまい、行き場を失った川の水が建設中のダムに流れ込んでしまった事でした。
これは当時まさに予想もしなかった想定外の出来事でした。
降った雨の量も記録的で、他の地域でも大災害となり、石狩川の氾濫で岩見沢市の幌向などが水没したのもこの時です。
これを契機に河川やダムなどの設計基準が見直され、千歳川放水路という大プロジェクト事業が動き出しました。
自然は人間の予想や想定をはるかに超えたものである、そのことは歴史が証明しています。
先人は想定外のことに遭遇するたびに、現行の考え方やいろいろな基準を見直して来ました。
今回の「原発新基準」もまさにそのようなスタンスで進めようとしているんでしょうが、土木、建築、電気、機械などの他の技術分野と決定的に違うところは、人間や他の動植物の生存に関わる部分の最終的な安心・安全の確保が不十分であるところです。
原発建設から福島第一原発事故発生までの数十年間、たまたま壊滅的な事態に遭遇しなかったため、「使用済み核燃料」の恐ろしさを目の当たりにすることがなかっただけなんです。
私も32年前に記録的な大雨によるダム現場の水没という大災害に遭遇し、自然の恐ろしさというものをイヤというほど思い知らされました。
あの時の体験があったからこそ科学技術の大切さを実感することができ、それが今の自分の基礎になっています。
科学技術は「両刃の剣」です。
人類に幸福をもたらすか、厄災をもたらすかは、それを使いこなす人間の考え方次第です。
原発再稼働をストップし自然・再生エネルギーに転換していくことこそが、長い目でみれば真に人類に幸福をもたらすことだ、と切に思います。
人類の英知は、まさにそこに結集すべきです!!
福島第1原発の過酷事故から2年4カ月。きょう、原発の新規制基準が施行され、再稼働をめざす電力各社がこぞって審査を申請する。
新基準の施行は「事故前」と「事故後」を分ける、大きな節目である。事故前の安全神話を覆す最初の一歩としなくてはならない。
にもかかわらず、徹底した切り替えとできるかどうか、心もとない点がある。第一に、早期の再稼働に向けた「見切り発車」の姿勢が、電力会社に見えることだ。
たとえば、多くの原発が事故時の活動拠点となる「緊急時対策所」の整備を「仮設」で乗り切ろうとしている。放射性物質を含む排気に備えた「フィルター付きベント」も設置されていない。
もし、形さえ整えばいいと考えているとしたら、事故前と何も変わらない。安全確保を国任せにする電力会社の姿勢は、海外の規制当局関係者からも批判されてきた。国の規制は「最低限」の基準である。それを超えて、電力会社自らが安全性を高めようとしなければ、原発のリスクは減らせない。
そうした「安全文化」は規制基準では判定できないが、原発の安全確保と密接にかかわる。先週、大飯原発の運転継続が認められた関西電力は、対策を小出しにし、「基準を満たす最低線を探ろうとした」と原子力規制委員会から批判された。これでは、国民の信頼は得られない。
過酷事故が起きた場合の対応にも懸念が残る。国際的には防災対策まで含めた「5層の防護」が常識だが、事故前の日本はそこまで考えていなかった。これを改めるのは当然だが、まだ徹底していない。
規制委は新たな災害対策指針を定め、防災の重点地域を30キロ圏へ広げたが、大飯原発のある福井県もまだ防災計画を改定中だ。計画が策定済みの場合も、放射性物質の放出が起きた時にどう避難するか。甲状腺を守る安定ヨウ素剤を飲むタイミングをどのように住民に知らせるか。現実的な道筋はよく見えない。
政府は再稼働に前のめりになっているが、新規制基準にはリスクの高い原発をふるいにかける重要な役割があることも忘れてはならない。運転40年で廃炉とする原則や、新しい知見を既設炉に反映させるバックフィットをきちんと守り、型が古く、老朽化した原発は積極的に廃炉にしていく必要がある。敷地内に活断層の存在が疑われるなど地震や津波のリスクが大きい原発も同様だ。
事故から2年余を経て、「地震国」日本の原発のリスクはどれだけ下げられたのか。それを、規制委も電力会社も、目に見える形で示してもらいたい。
【感想】
私は技術屋なので、電力会社の手抜きとも言えるええ加減な対応には我慢がなりません。
本来であれば原発再稼働などもってのほかで、今までも何度も述べて来たように、「福島第一原発事故」の検証も総括もまだ全然なされていない状況で再稼働を申請し、それを審査するという電力会社と国の姿勢には開いた口が塞がりません。
何度も何度も同じ事を言い続けていますが、「使用済み核燃料」の保管・処理・再利用の問題に明確な道筋が立てられていないのが現状であり、それが解決しない限り「原発再稼働」などあり得ない、これが真実です!!
福島第一原発事故は当初さかんに想定外の事故と言われましたが、想定外の出来事を予想するのが技術屋の使命であると私は考えてます。
若い頃に農業用アースダムの建設現場で3年ほど修行しましたが、昭和56年夏の大雨で建設中のダムに洪水が流れ込み大災害になった事がありました。
現場にかけつけた私も一歩間違えたら命を落としていたような大洪水で、ダムは水没、工事用道路は決壊、機械も全損という大損害を被りました。
原因は、仮排水トンネル(工事期間中に川の水を下流まで導くトンネル)の呑口(入り口)が、洪水で上流から流されて来た流木で塞がれてしまい、行き場を失った川の水が建設中のダムに流れ込んでしまった事でした。
これは当時まさに予想もしなかった想定外の出来事でした。
降った雨の量も記録的で、他の地域でも大災害となり、石狩川の氾濫で岩見沢市の幌向などが水没したのもこの時です。
これを契機に河川やダムなどの設計基準が見直され、千歳川放水路という大プロジェクト事業が動き出しました。
自然は人間の予想や想定をはるかに超えたものである、そのことは歴史が証明しています。
先人は想定外のことに遭遇するたびに、現行の考え方やいろいろな基準を見直して来ました。
今回の「原発新基準」もまさにそのようなスタンスで進めようとしているんでしょうが、土木、建築、電気、機械などの他の技術分野と決定的に違うところは、人間や他の動植物の生存に関わる部分の最終的な安心・安全の確保が不十分であるところです。
原発建設から福島第一原発事故発生までの数十年間、たまたま壊滅的な事態に遭遇しなかったため、「使用済み核燃料」の恐ろしさを目の当たりにすることがなかっただけなんです。
私も32年前に記録的な大雨によるダム現場の水没という大災害に遭遇し、自然の恐ろしさというものをイヤというほど思い知らされました。
あの時の体験があったからこそ科学技術の大切さを実感することができ、それが今の自分の基礎になっています。
科学技術は「両刃の剣」です。
人類に幸福をもたらすか、厄災をもたらすかは、それを使いこなす人間の考え方次第です。
原発再稼働をストップし自然・再生エネルギーに転換していくことこそが、長い目でみれば真に人類に幸福をもたらすことだ、と切に思います。
人類の英知は、まさにそこに結集すべきです!!