昨日は不安定な天候で、強い日差しが続いていたと思うと、突然の土砂降りとなり・・・それが一日に何度もあって、そのたびに窓を開けたり閉めたり、洗濯物を入れたり出したり・・・。 日差しが射すと雨で窓を閉め切っていると暑くて我慢できないし、開けていると突然の雨!
まったくなんとも腹立たしい天候でした。 昨夜も雨が降っていて今朝は庭、植木が濡れていてムッとした湿気の多い朝でした。
犬の散歩時でも畑には水蒸気の靄が掛かったように視界が不透明ですっきりとしない感じでした。
今日も朝から湿気の多いじめじめした日です。 こんな朝からエアコンを付けるのは珍しいですね。 夏らしくなく、梅雨のように蒸せる暑さは特に中部地方の特徴でもあるのでしょうね。
今年は特に節電の夏なのでなるべく電力量を抑えるようにしたいのですけど、エアコンの無い昔の夏の暑さはもう忘れてしまってます。
以前にも書いたのですが、原子力発電のコストが安い?なんて嘘が明らかになってきました。 建設コストや燃料費のコストだけで試算された原発の低コストを言い続けてきた政府。 文部科学省、国交省などの試算には地方への補助金、建設用地などへの助成金などがまったく入っていない計算だということ。 何千億円もの税金(我々のお金)から支払われているお金は一体どうしてくれるんだろうね。
電力会社はこの負担金を一切払わずして電力を生産してコストの安いウラン燃料によって高利益を得ている。 この電力会社の利益を支えている税金は全て私たちの汗水流して働いたお金でまかなわれていることを思うと・・・。 官僚のアホ共の減給と退職金などの減額はあって当然だと思うのだが。 震災後に助成金の上積みまでしていた官僚たちの頭の悪さ、常識の無さ、庶民感覚の完璧な欠如・・・・。
ほとんどの官僚たちは高学歴でおそらく裕福な家庭環境で育ったお坊ちゃまが多いでしょ。 そんなある一握りのエリート達で構成されている政府はある意味では共産主義国家の独裁的な政策を当たり前のように平気でやっている傾向がある。
飛行場、ダム建設、原発・・・公益法人など・・・。 どれほどの無駄とどれほどの馬鹿げた政策に国民のお金を費やすつもりか!!
プルサーマルのもんじゅはこれまでにすでに10兆円を超える予算が投入されてきた。 にもかかわらず、これまでまともに電気を発電することも無く今尚試験運転を続けるつもりでいる。 これって、普通の人間が考えたらトテモ出来ないことだと思うけどね。
やっぱり、官僚達は普通の人間じゃなく、ある意味では勉強が出来るだけのロボットか普通のことが出来ない障害者とも言える。
(ここで障害者といっているのは決して身体的、精神的な障害を持っている人達とは違います)
しかし、悲しいことにこの国はこんなな避けない政治家や官僚達に普通のことが言えない、出来ない国民でもある証拠。 各省庁へ就職できる学生や社会人はほとんど決まっていて、常に人より上に居ようとする意志だけを持っている人がほとんどだ。
学歴社会の怖さは、高学歴社会であればあるほど、ほとんど同じ種類の人間がピラミッドの上に位置する構造を持っている。
企業でも同じような構造は変わることも無く、いかに上への忠誠心をアピールし、所謂、気に入られる人間になることが出世や名声を手に入れる一番の近道となる。 実力主義とはいいながら、まだまだ本当にはそうでない気がする。正義や常識なんてものは出世やポストのためならいつでも投げ捨てることができるような人間を育てているような国は経済的な発展は成功するかもしれない。 ただし忘れていけないことは、人間の本質である愛情や慈しみ、人を愛すること、愛されること・・・。 そんな有るべき当たり前のものを削り落としてしまっているのではないか。
経済発展は幸せを保証するものでもなく、豊かな暮らしを支えるものでもないような気がします。 生きるために本当に必要なものはなんでしょうか? 安定した企業に勤め、広い一戸建ての家に住み、高価な車を所有し、連休には行楽地へ出かけ、週末は外食に出かけ、流行の服を着て、おいしいものを食べる・・・。 これって、本当に幸せなんでしょうかね。
じゃ他に何が幸せなんだ?・・・。 そんな質問が返ってきそうです。 でも、少なくとも、成功することだけが幸せであることでもないといえるのは確かです。 何故って、人間はいつか死んでいくものだから。 何が成功で何が失敗なのか・・・。 今生きていることが少なくとも幸せでない限り、幸せとはいえないでしょう。 失敗していても充実感や感動はそこにはあります。 少なくとも、この一瞬の連続が人生そのものであると私は思うのですけど。