summer diary

日記らしきページ

バカが多くなった気がする

2020年11月12日 | Weblog
 今朝TVの情報番組では、「嫁」と呼んだある企業の社員のツイッターに嫁は女性蔑視だと言う意見が投稿されていて、それをTVで取り上げている事。
この女性蔑視だと言う女性人権なんたら?? 日本語ジェンダー学会なる人達もなんだかんだと理由を付けて女性蔑視なんとか・・・。
これは正直バカの骨頂だと言ってしまおう。
夫婦間でどのような呼び方をするかは他人がとやかく言うような問題ではない。
名前で呼ぼうが、妻、家内、嫁、伴侶、などなどさらには、旦那、夫、主人、などなど、他人に自分の配偶者をどのように伝えるのかは、その夫婦の問題であり、他人がどうのこうのと言うような問題ではない。
誰かがその呼び方が女性蔑視とか、男性蔑視とかいう感じ方をするのは、その人間の感性の問題で、その自分の感性や感覚が公の物であると勘違いしている典型的なバカである。
言葉は単なる意味や使用する場面だけで使われているものではない。
言葉にはその人間にしかない深い意味も含まれているのである。 詩人の言葉はその真骨頂で、恐らくは他人には理解できない物がそこには込められている。 言葉は公の場で通用しない物があるのは当然で、夫婦間や恋人同士、友達同士、会社の関係者間や上司、部下、さらには全くの他人に至るまで、あらゆる場面や状況によって、同じ言葉はその意味が変化するのである。
こうして、Twitterなどで、いちいち他人の言葉に反応するような事自体が異常な事だと理解できない人達は、適切、不適切などを自分の観念的な価値観を人に押し付けようとするバカに他ならない。
自分の妻や嫁をどのように呼ぶのかはそれこそその夫婦の問題である。
互いが理解している呼び方であるなら、どのような呼び方でも何も問題はない。 極端に言えば、お~~い! とか、 お前とか、ちょっと・・とかでも何も問題はない。
さらに言えば、自分の子供や親友などの間でも、どのような呼び方でも、お互いが理解できる範囲でならどんな呼び方でも良いのである。
そうした言葉はコミュニケーションツールの一つであり、その使用方法に法則は無いのである。
日本語も英語やフランス語をごちゃ混ぜにして使用することも今では違和感を覚えない程度に著名人や政治家でも平気で横文字を乱用する人も多々いる。
言葉は自由であり、言葉はとても大切な人間の疎通する為のツールだ。
時にはその言葉で他人を気づ付けることも多々あり、特にTwitterなどのSNS上ではそうした言葉によって自殺に追い込むような事もある。
これは言葉による武器化だろうと思うけど、これは受ける側が防御出来ない物ではない。 言葉を読まないならその言葉なんて物はただのゴミだ。
誰も反応しない言葉はすでに死んでいるのと変わりないだろう。
自分だけの私物ならどんな言葉を使用しようと勝手な事である。
それがSNS上にアップしても、他人に対する物でない限りはただの私語である。 まっ、ちょっと脱線したけど、要するに「嫁」と呼ぼうが、妻と呼ぼうが、家内と呼ぼうが、お~~と呼ぼうが、おいおいと呼ぼうが、それは他人がとやかく言うような物ではないし、他人の夫婦に対してその呼び方を云々すること自体が逆に問題だと思うのだ。
こうした行為(SNSの私語に関して攻撃や反発するような問題)が助長されると、他人に対する攻撃、誹謗中傷の要因と繋がるのである。
こうした事をもっと理解すべきで、他人がどのような言動をしても、それは自由な問題で、他人がとやかく言うような問題でもないし、言われた側も何を言われても特に反応したり、反発したり、弁明するような必要もないし、すべきことではない。
誰もが自分だけの感性や意見や信念を持っている。 地球の人口と同じぐらいに真実は存在するのである。 同じ人間はこの世には二つとない。
だから、言語に違いだけではなく、同じ言語でもその人間が持っている言葉の意味も全く違って居るのは当たり前の事である。
こんな当たり前の当然の事も理解できない人が、他人の話に対していちいちその言葉に対して定義する事自体がバカである。