東京オリンピックの談合事件の問題はオリンピック後には次々と発覚して、今日の紙面でも組織委の元次長、電通の社員3人などが逮捕されている。
この談合で400億円もの資金が使われているのであるが、そうした資金の正当性が失われた。 しかも、談合の裏には必ず不正な賄賂などがあり、全ての資金の原資は国民の血税なのだ。 こうした税金の支出に関してはこれまでも各省庁などもそうだが、膨大な税金を当たり前の物として捉えている姿勢が許せない。
数千億、数兆円というお金の感覚が完全に失せている。 なので、数百億とか数億とかの無駄はあっても当然だと言う意識がこうした談合だけでは無く、無策な政策も当たり前に進める事になる。
安部のマスクもそうだが、あれほどの無策、あれほどの愚策はあり得ない。 しかも、結果的に在庫状態になったマスクの保管にも年に数十億もの経費を当たり前に支出していた状態だった。 結果、廃棄処分をしたのであるが、その処分費用も数十億の資金使っている。
こうした例は相当数の政府の愚策で繰り返されていて、これは箱物でも多々ある。 さらに言えば、高速道路なども無駄に建設されていると思う道路が多くあり、当然だけど、使用頻度がほとんどないような田舎の高速道路は永遠にその費用償還は出来ない。 さらに、維持費用などを考慮すると、必要もない道路を無駄に、愚策に建設するような政府とゼネコンなどとの癒着そのものだ。
特に自民党は昔から建設業者など、ゼネコンなどからの支援や癒着が蔓延している。 これは田中角栄総理時代から特に地方や建設業者などへの仕事を与えるためにさまざまな箱物や道路、橋、ダムなどを乱立して建設してきた経緯がある。 こうした政府のこれまでの姿勢や仕組みがオリンピックなどの大きなプロジェクトなどで同じ手法が使われ続けていて、談合などは当然のようになっている。 談合と言うと、入札する大手ゼネコンなどの専売特許だった。 そうした政府主催の大型のプロジェクトなどはいろんな談合、賄賂、不明な資金の流れ、無駄な投資、無駄な経費がまかり通る。
これはまさしく、税金に対する意思が薄弱であり、国家に入る資金は当然の物とする姿勢だろう。
我々の一般的な普通の市民からすると、お金に関しての意識があまりにも乖離している。 こうした官僚、政治家、議員などなど、一般社会で当たり前に生活しているのだろうか? と疑いたい。
どんな人生を送ってきたのか? どんな環境で育ってきたのか? どんな教育を受けてきたのか? どのような国にしたいのか? 思想、信念を持っているのか? そうした個人的な自己形成だけでは無く、公務という仕事に対する意識はどうなっているんだろう?
一般企業とは全く異なる姿勢が求められている公務の仕事は所謂、奉仕する精神が最も重要な意識であると私は考えて居る。 何よりも、市民のためになる政策やそうした物を正確で公正、公平に履行する責務がある。
自分の立場や出世や名声などと言う物とは、本来は全くかけ離れている仕事なのである。