この週末は大学入試センター試験が全国的に実施されますね。
私の受け持ち生徒さんたちも受験します。
この中で悲喜こもごもになりそうな予想が立つのがちょっと怖い。
どうも男子の生徒君たちは精神レベルが女子に比べ幼いのか、
自分を客観視できない気がします。
女子3名のうち、1名は昨年4月に受け持ってから驚異の伸びを見せました。
11月初めからセンター試験の過去問題を制限時間を正確に測ってやってもらってました。
もちろんその実施年の全受験者平均点も考慮しながらです。
その彼女は一番初めからの点数で60点以上上がりました!
凄いでしょう???
先週火曜日の2011年の追試験問題では200点満点中190点弱でした。
これは私も取れないんじゃないかな???
彼女は多分このままいけば6月の英検で準1級も受かるのでは?と思っています。
ところが伸びがイマイチっていう部分をもつ生徒さんもいます。
この違いってなんだろうというと答えは歴然としています。
それは「単語と熟語を覚悟を決めて必死に覚えるかどうか」です。
もちろん理想は英語で書かれた小説や文章を楽しんで読めること。
でもそれはやはり綺麗ごとに終始するでしょう。
というのも、現在の国公立受験&合格を目指す現役高校生に
それだけ英文に浸れるほど時間はないから。
少ない時間で効率よく結果を出すこと。
そのためには幾つかの踏まなければならない手順があるように感じます。
30年近く英語を教えてみて、そして自分自身で英検を受けてきてみて
それはやはりあるなぁと思います。
正規の学校という場じゃない塾の使命は何か。
もう単純明快で、「学力を上げて数字を上げること」。
胡散くさいし、生臭いなぁ。
でも、これが達成できないってことは存在意義がないってことに繋がりますわ~。
仲間づくりとか、正義の意味とか、社会的スキルの確立とか、
学校の果たす役割は学力向上以外にいっぱいあるでしょう?
夫が何十年もかけてやってきた苦労をそばで見ていて
つくづく、
『こんなん、私、ムリやわ~』
と思って暮らしておりました(涙)。
それに比べると存在悪と言われるサブカルに属する塾の役割は単純でいいです。
ただ私なりに誇りをもって仕事をしているのも事実です。
それは、私より長く生きるだろう生徒の皆さんに
今より良い日本にしてくれるという希望を持たせられるようにすること。
ぶっちゃけ、自分の子供も成人した現在、
私の残りの人生は「余生」。
つまり余りの時間だと思った方がいい。
それをどう使うべきなのか。
64歳と1カ月ほどで亡くなった実姉の死に際してずいぶん沢山書物を読みました。
特別なにかの宗教を信心している訳でも
思想的な団体に加入している訳でもないけど、
せっかくの自分の余生はどうすると満たされたものになるのか。
それは自分のこのパート仕事で充足されるものなんだと気がついたわけです。
つまりこれからの若い世代に未来を託すこと。
自分が亡くなったあとも日本の社会が安定して安心して老いていけるようになること。
姉の主治医3名との意思疎通が叶わなかったことから
医療従事者の世界とは何か?と疑問が湧きました。
そこで思いつくままに読みだしたのが「久坂部羊」の作品。
ほぼ全て読みました。
医師とは生死が日々の生業になっている仕事ですから
心が鈍磨していくのは仕方ないのです。
そういう仕事でそれ相応の報酬がもらえるってのも当然ですよねぇ。
いや~、私には到底できない仕事だなぁって思います。
12日の日曜日に全県規模の中学生向け模擬テストが朝8時半から実施されました。
私は自動的に中学2年生の担当になっておりまして(汗)
むっちゃ寒い当日の朝、6時半に飛び起きて家事をすませて業務遂行。
その試験中の待ち時間内で読み終えたのが、『ブラックジャックは遠かった』。
久坂部氏は麻酔科医を父にもつ阪大医学部卒の医師の方です。
私と2歳違いですが、当時の阪大医学部の様子とか中々興味深くて面白いです。
でも彼の他の作品はあまり明るい内容ではない。
患者側の意識のままに医師が職務を行うのもかなり危ないことだと知りました。
彼の作品を読みながら自分なりに結論付けたことがあります。
それは誰もがさけて通れない自分の晩年を覚悟をしつつ
毎日を過ごすことはとても大切だということ。
明日突然に余命宣告を受けても「まぁまぁの人生だったからいいかな?」と
それを受容できる心の持ち方で生活していけること、かな?
私の仕事も医師や看護師などの医療分野に行くかもしれない人材の導入部を
受け持っています。
若くてやる気満々の若い人たちに希望がかなうようにしてやりたい。
彼らにはこの週末に持てる力のすべてをぶつけて戦ってきてほしいです。
私の受け持ち生徒さんたちも受験します。
この中で悲喜こもごもになりそうな予想が立つのがちょっと怖い。
どうも男子の生徒君たちは精神レベルが女子に比べ幼いのか、
自分を客観視できない気がします。
女子3名のうち、1名は昨年4月に受け持ってから驚異の伸びを見せました。
11月初めからセンター試験の過去問題を制限時間を正確に測ってやってもらってました。
もちろんその実施年の全受験者平均点も考慮しながらです。
その彼女は一番初めからの点数で60点以上上がりました!
凄いでしょう???
先週火曜日の2011年の追試験問題では200点満点中190点弱でした。
これは私も取れないんじゃないかな???
彼女は多分このままいけば6月の英検で準1級も受かるのでは?と思っています。
ところが伸びがイマイチっていう部分をもつ生徒さんもいます。
この違いってなんだろうというと答えは歴然としています。
それは「単語と熟語を覚悟を決めて必死に覚えるかどうか」です。
もちろん理想は英語で書かれた小説や文章を楽しんで読めること。
でもそれはやはり綺麗ごとに終始するでしょう。
というのも、現在の国公立受験&合格を目指す現役高校生に
それだけ英文に浸れるほど時間はないから。
少ない時間で効率よく結果を出すこと。
そのためには幾つかの踏まなければならない手順があるように感じます。
30年近く英語を教えてみて、そして自分自身で英検を受けてきてみて
それはやはりあるなぁと思います。
正規の学校という場じゃない塾の使命は何か。
もう単純明快で、「学力を上げて数字を上げること」。
胡散くさいし、生臭いなぁ。
でも、これが達成できないってことは存在意義がないってことに繋がりますわ~。
仲間づくりとか、正義の意味とか、社会的スキルの確立とか、
学校の果たす役割は学力向上以外にいっぱいあるでしょう?
夫が何十年もかけてやってきた苦労をそばで見ていて
つくづく、
『こんなん、私、ムリやわ~』
と思って暮らしておりました(涙)。
それに比べると存在悪と言われるサブカルに属する塾の役割は単純でいいです。
ただ私なりに誇りをもって仕事をしているのも事実です。
それは、私より長く生きるだろう生徒の皆さんに
今より良い日本にしてくれるという希望を持たせられるようにすること。
ぶっちゃけ、自分の子供も成人した現在、
私の残りの人生は「余生」。
つまり余りの時間だと思った方がいい。
それをどう使うべきなのか。
64歳と1カ月ほどで亡くなった実姉の死に際してずいぶん沢山書物を読みました。
特別なにかの宗教を信心している訳でも
思想的な団体に加入している訳でもないけど、
せっかくの自分の余生はどうすると満たされたものになるのか。
それは自分のこのパート仕事で充足されるものなんだと気がついたわけです。
つまりこれからの若い世代に未来を託すこと。
自分が亡くなったあとも日本の社会が安定して安心して老いていけるようになること。
姉の主治医3名との意思疎通が叶わなかったことから
医療従事者の世界とは何か?と疑問が湧きました。
そこで思いつくままに読みだしたのが「久坂部羊」の作品。
ほぼ全て読みました。
医師とは生死が日々の生業になっている仕事ですから
心が鈍磨していくのは仕方ないのです。
そういう仕事でそれ相応の報酬がもらえるってのも当然ですよねぇ。
いや~、私には到底できない仕事だなぁって思います。
12日の日曜日に全県規模の中学生向け模擬テストが朝8時半から実施されました。
私は自動的に中学2年生の担当になっておりまして(汗)
むっちゃ寒い当日の朝、6時半に飛び起きて家事をすませて業務遂行。
その試験中の待ち時間内で読み終えたのが、『ブラックジャックは遠かった』。
久坂部氏は麻酔科医を父にもつ阪大医学部卒の医師の方です。
私と2歳違いですが、当時の阪大医学部の様子とか中々興味深くて面白いです。
でも彼の他の作品はあまり明るい内容ではない。
患者側の意識のままに医師が職務を行うのもかなり危ないことだと知りました。
彼の作品を読みながら自分なりに結論付けたことがあります。
それは誰もがさけて通れない自分の晩年を覚悟をしつつ
毎日を過ごすことはとても大切だということ。
明日突然に余命宣告を受けても「まぁまぁの人生だったからいいかな?」と
それを受容できる心の持ち方で生活していけること、かな?
私の仕事も医師や看護師などの医療分野に行くかもしれない人材の導入部を
受け持っています。
若くてやる気満々の若い人たちに希望がかなうようにしてやりたい。
彼らにはこの週末に持てる力のすべてをぶつけて戦ってきてほしいです。
私、私学は別にして公立学校の先生はしんどいと思う。
なぜ私学は別なのかっていうと、私学は私の勤める塾と変わらないからです。
偏差値を上げるのが至上命令なところは全く同じです。
ビジネスなので、それは絶対にあると思うのですよね。
だからこそ楽しいこともあると思います。
塾でしかない放課後の世界はかなり自由で面白いです。
共稼ぎ世帯のお子さんたちには、私のところは「別宅の団らんの場」と化しています。
安心して「なんちゃってママorおばーちゃん」が丁寧に宿題も予習復習も見てくれるから。
ちゃんと役に立ってるなぁって思ったりしています。
ところで、何度も二重投稿の処理、ごめんなさい!
どうもiPadから投稿すると不正投稿の表示が出てしまうのが原因っぽいです。
なんでですかねぇ???
ついつい図に乗りすぎるので気をつけないと~~★
でも、嬉しいっす!
しかし、もうホンマに「おふくろの味」しかないのが強み(弱み)??
記事でも登場した久坂部羊氏が小説家デビューした作品「廃身用」の中でこんな一節が(驚)。
老人が生き生きと余生を過ごすには「カ行」が大切だっていうのですわ。
か・・・感動
き・・・興味
く・・・工夫
け・・・健康
そして、
こ・・・「恋」→えぇぇぇ~そうなんや!!
先週のEテレの「団塊ライフ」とかいうので
シニア世代のストーカー被害についてやってたんです。
9割がお爺ちゃんなんですよね(汗)。
恋しろって無責任やんねぇ(ぶつぶつ)。
どう思います???
自分が死んだ後に一体何を残せるのかと考えたら、生き方や人との関わり方が変わっていきますよね。
人間ってやはり周りの人の影響を受けますし、若い世代は尚更そうだろうと思います。
次の世代に何か良い物をバトンタッチしていけるといいですね!
再コメント(爆)↓
やはり自分の周りにいる人たちへ感謝できるかどうか。
変われるのは相手ではなく、自分だけ。
シルフさん、達観してるわ~。。。。。
ついていきます(爆)
すっごい寒い京都の冬の旅、ご苦労様でした。
はぁ・・・・・、寒すぎやろぉ???
実はね、姉の葬儀のごたごたの後から
このことをどう生かしていけば
彼女の願いとなるのか、その一点ばかり考えてましたわ。
命を賭けて教えてくれたんはナンやったんかな??
あの悪気はないけど、非常識な医者さんたちはなんであんな無神経すぎる対応やったん??
まぁ~出てくる出てくる疑問の「はてな」。
片っぱしから翻訳の講座もそっちのけで
関連の書物を何冊読んだかな???
ここ半月ほどで10冊以上を読みましたっけ。
その中で毎日を今日で終わって明日はないぞ、という気持ちで生きようという人たちがいるわけです。
東日本の震災後にも同様に思う気持ちをもつ人たちがいたんですね。
根拠もなく、今日と同じ明日が来るはず。
これはどうもそうじゃないと思った方がいい。
じゃぁ、どうすると毎日が楽しく悔いなく過ごせるか。
やはり自分の周りにいる人たちへ感謝できるかどうか。
変われるのは相手ではなく、自分だけ。
自分を変えていく覚悟が求められるねぇ。
うちは、僕ちゃんのこともあって、それを特にひしひしと感じるんですわ。。(あ瀬)
家族として、どう過ごしていくかとかね。。。
シルフさんのブログを読んで、
「ええ先生やな」と思いました(爆)
愛情深いな~。
私も今だったら、もうちょっと昔の自分より、生徒に優しくなれたかもや。。。
母親の気持ちがわかるしね。
メディカル。。。健闘祈ってます。。
わたしどうなるやら。。。(泣)