合唱曲『旅立ちの日に』
今日は、娘の中学の卒業式でした。
子供たちへの御褒美にように、空mo青く澄んでいました。
この学年、うちの娘ともども、本当に先生をてこずらせた学年です。
大騒ぎして、爆発して転がって、また立ちあがってまた自爆して・・・・
そんな子どもが結構いて、うちの娘も2年生の1年間をそんな風に過ごしました。
先生たちは、そんな娘に我慢ずよく接してくれました。
友達の事、部活のこと、自分の心の中での葛藤をいつしか乗り越えて3年生になりました。
そして今日、みんな元気に巣立ちました。
ツンツン頭の少年が、声をあげて泣いていました。
少女たちは、先生と一緒に満面のピースサイン。
先生たちにとっても、手がかかった分感慨もひとしおのようでした。
一連の表彰式や来賓の挨拶があって、ちょっと眠気に負けていたころに、在校生送辞。
そして、卒業生の答辞。
この答辞、生徒会長の男子が校長先生の前で、読み上げましたが、これがすばらしかった。
「千と千尋の神隠し」の千が、なにもかも人任せの子から、人任せではなく自分で未来を切り開こうと頑張っていくようになったこと。
親も知らず誰にも、どこの誰かも知られていない「顔なし」が、千に気ずいてもらったことで、千を頼ろうとし、気を引くためにいろんな災いを起こしてしまった事などを引用して、自分たちは、顔なしになってはいけない、自分の未来は、自分で開いていくのだということを、時に涙で声を震わせながら話しました。
この答辞で、あちこちからすすり泣きが・・当然私も感動です。
そのあと、子供たちが文化発表会の時から必死に練習して、真剣に取り組んでいた合唱がありました。
まずは国歌、横浜市歌、校歌。
そしてあの曲「旅立ちの日に」
これは、泣かせるために作ったような歌ですね。
子供たちの合唱うまい!!
次に「大地賛頌」
もう感動です。
最後に全校生徒で「ふるさと」。
雨に風につけても おもいいいずる ふるさと
涙止まらず、鼻をすする音があちこちから・・・
こんないきれいなコーラス出来るんだ。この子たちは。
一生懸命に歌わないと、こんなにきれいには聴こえないと思います。
ふざけたり、騒いだりしていても、やる時はやる。
先生たちもボロボロでした。
後で父兄だけを前に、学年主任の男の先生が、「教職を長年やっていて、今まで卒業式で泣いたことはありませんでした。・・・でも・・今年は、本当に感動しました…(絶句)歌っている、あの子たちの横顔を見ていたら・・・本当にどうもありがとうございました。」と、頭を下げられ、また涙です。
こんな大変な子供たちをよく見ていただいたと、感謝するのはこちららのほうなのに。
式の後、子供たちは中庭へ。
先生たちとわーわーきゃーきゃー。
そして、卒業生と先生たちがスクラムを組んで、何かを誓ったようでした。
最後のひと時です。
みんなキラキラ輝いていて、これからいろんな可能性を持って広がっていくんですね。
早咲きの桜も咲き始めました。
卒業おめでとう!
今日は、娘の中学の卒業式でした。
子供たちへの御褒美にように、空mo青く澄んでいました。
この学年、うちの娘ともども、本当に先生をてこずらせた学年です。
大騒ぎして、爆発して転がって、また立ちあがってまた自爆して・・・・
そんな子どもが結構いて、うちの娘も2年生の1年間をそんな風に過ごしました。
先生たちは、そんな娘に我慢ずよく接してくれました。
友達の事、部活のこと、自分の心の中での葛藤をいつしか乗り越えて3年生になりました。
そして今日、みんな元気に巣立ちました。
ツンツン頭の少年が、声をあげて泣いていました。
少女たちは、先生と一緒に満面のピースサイン。
先生たちにとっても、手がかかった分感慨もひとしおのようでした。
一連の表彰式や来賓の挨拶があって、ちょっと眠気に負けていたころに、在校生送辞。
そして、卒業生の答辞。
この答辞、生徒会長の男子が校長先生の前で、読み上げましたが、これがすばらしかった。
「千と千尋の神隠し」の千が、なにもかも人任せの子から、人任せではなく自分で未来を切り開こうと頑張っていくようになったこと。
親も知らず誰にも、どこの誰かも知られていない「顔なし」が、千に気ずいてもらったことで、千を頼ろうとし、気を引くためにいろんな災いを起こしてしまった事などを引用して、自分たちは、顔なしになってはいけない、自分の未来は、自分で開いていくのだということを、時に涙で声を震わせながら話しました。
この答辞で、あちこちからすすり泣きが・・当然私も感動です。
そのあと、子供たちが文化発表会の時から必死に練習して、真剣に取り組んでいた合唱がありました。
まずは国歌、横浜市歌、校歌。
そしてあの曲「旅立ちの日に」
これは、泣かせるために作ったような歌ですね。
子供たちの合唱うまい!!
次に「大地賛頌」
もう感動です。
最後に全校生徒で「ふるさと」。
雨に風につけても おもいいいずる ふるさと
涙止まらず、鼻をすする音があちこちから・・・
こんないきれいなコーラス出来るんだ。この子たちは。
一生懸命に歌わないと、こんなにきれいには聴こえないと思います。
ふざけたり、騒いだりしていても、やる時はやる。
先生たちもボロボロでした。
後で父兄だけを前に、学年主任の男の先生が、「教職を長年やっていて、今まで卒業式で泣いたことはありませんでした。・・・でも・・今年は、本当に感動しました…(絶句)歌っている、あの子たちの横顔を見ていたら・・・本当にどうもありがとうございました。」と、頭を下げられ、また涙です。
こんな大変な子供たちをよく見ていただいたと、感謝するのはこちららのほうなのに。
式の後、子供たちは中庭へ。
先生たちとわーわーきゃーきゃー。
そして、卒業生と先生たちがスクラムを組んで、何かを誓ったようでした。
最後のひと時です。
みんなキラキラ輝いていて、これからいろんな可能性を持って広がっていくんですね。
早咲きの桜も咲き始めました。
卒業おめでとう!
瀬谷区で数年前から行われている、在宅高齢者サポートネットワークに行ってきました。
今回は、ワールドカフェ方式をとり、メンバー間で今後のサポートネットワークで何をしていくべきかと言うことを話し合いました。
メンバーを4人ずつグループ分けして、模造紙に出てきた意見を書いていきます。
20分ごとに一人残って、シャッフルします。
残った一人は、新しいメンバーに今まで話していたことを伝え、また20分話し合います。
これを3回繰り返した後、ファシリテーターが意見をまとめていくというわけです。
この時はカフェ方式と言うことで、お茶やお菓子を食べながら自由に話し合っていきました。
・地域で高齢者を中心に、横のつながりを強くするための出会いの場所にする。
・医師との距離を縮めるための方法を考える。
・24時間365日在宅の老人の対応が出来るようにするべき。
・ネグレクトや、ヘルプを言えない、隠れた高齢者への支援を出来るようなネットワークを作る。
・人材育成をしていく。
・もっと多職種が話し合える場を作る。
・いろんな科の医師も呼んで、話し合うべき。
・1次、2次、3次救急のような対応が必要。
・ets・・・・
そんな話がでましたが、じゃあこれをどう実現させていくのか、それが問題ですが、今日はここまでとなりました。
はたして、どこまでが実現可能なのか?
私的には、すでに介護保険の流れの中に乗って支援を受けられている人は、ある程度問題が解決できる状況にあるわけですが、そこに乗れない人達、気ずかれずに自宅で放置されたり、困窮のためにサービスを受けられないなど、うまく介入できないケースなども平行して支援する方法を考えていくべきだと話しました。
たとえば、介護者が幼い子何人か抱えており、親の病状が悪化しても救急車に乗れない、とか逆に介護者が夜間急に具合が悪くなり救急搬送が必要になった。
などと言う場合に、現在どんな支援方法があるのか?
昼間なら何とかなることも、夜半ではどうにもならない事があると思うのです。
こんなとき、相談窓口がちゃんとあって、有償ボランティアでも飛んできてくれたら・・・
小規模多機能や、夜間対応のヘルパーなどと契約していない限り、現状ではお手上げになってしまいます。
こんな時に地域のつながりがあると、お互いさまで助け合えるのでしょうが、全く付き合いのない家庭も少なからずありますので・・・
こんな状況で、何から手を付けるのか、一歩でも前に足を踏み出せるのか、それが一番の課題ですね。
でも、瀬谷区の高齢担当は、よく頑張っていると思います。
今は、同じ方向を向いていると感じます。
お役所仕事だけでない、熱い思いも感じます。
この気風がずっと続けばいいのですが、担当者が異動したとたん尻つぼみにならないように、動かせない基盤を作らないといけませんね。
あ、そうそう。
私の肺の定期検診、今回も変化なくホッとしました。
数か所ある小さなすりガラス陰影は、なぜか1個消えていました。(5mm幅の間にあったのかも)
知らなきゃいいものを、見つかってしまったものはしようがありませんよね。
今のところ、悪いものにはなっていないみたいです。
今回は、ワールドカフェ方式をとり、メンバー間で今後のサポートネットワークで何をしていくべきかと言うことを話し合いました。
メンバーを4人ずつグループ分けして、模造紙に出てきた意見を書いていきます。
20分ごとに一人残って、シャッフルします。
残った一人は、新しいメンバーに今まで話していたことを伝え、また20分話し合います。
これを3回繰り返した後、ファシリテーターが意見をまとめていくというわけです。
この時はカフェ方式と言うことで、お茶やお菓子を食べながら自由に話し合っていきました。
・地域で高齢者を中心に、横のつながりを強くするための出会いの場所にする。
・医師との距離を縮めるための方法を考える。
・24時間365日在宅の老人の対応が出来るようにするべき。
・ネグレクトや、ヘルプを言えない、隠れた高齢者への支援を出来るようなネットワークを作る。
・人材育成をしていく。
・もっと多職種が話し合える場を作る。
・いろんな科の医師も呼んで、話し合うべき。
・1次、2次、3次救急のような対応が必要。
・ets・・・・
そんな話がでましたが、じゃあこれをどう実現させていくのか、それが問題ですが、今日はここまでとなりました。
はたして、どこまでが実現可能なのか?
私的には、すでに介護保険の流れの中に乗って支援を受けられている人は、ある程度問題が解決できる状況にあるわけですが、そこに乗れない人達、気ずかれずに自宅で放置されたり、困窮のためにサービスを受けられないなど、うまく介入できないケースなども平行して支援する方法を考えていくべきだと話しました。
たとえば、介護者が幼い子何人か抱えており、親の病状が悪化しても救急車に乗れない、とか逆に介護者が夜間急に具合が悪くなり救急搬送が必要になった。
などと言う場合に、現在どんな支援方法があるのか?
昼間なら何とかなることも、夜半ではどうにもならない事があると思うのです。
こんなとき、相談窓口がちゃんとあって、有償ボランティアでも飛んできてくれたら・・・
小規模多機能や、夜間対応のヘルパーなどと契約していない限り、現状ではお手上げになってしまいます。
こんな時に地域のつながりがあると、お互いさまで助け合えるのでしょうが、全く付き合いのない家庭も少なからずありますので・・・
こんな状況で、何から手を付けるのか、一歩でも前に足を踏み出せるのか、それが一番の課題ですね。
でも、瀬谷区の高齢担当は、よく頑張っていると思います。
今は、同じ方向を向いていると感じます。
お役所仕事だけでない、熱い思いも感じます。
この気風がずっと続けばいいのですが、担当者が異動したとたん尻つぼみにならないように、動かせない基盤を作らないといけませんね。
あ、そうそう。
私の肺の定期検診、今回も変化なくホッとしました。
数か所ある小さなすりガラス陰影は、なぜか1個消えていました。(5mm幅の間にあったのかも)
知らなきゃいいものを、見つかってしまったものはしようがありませんよね。
今のところ、悪いものにはなっていないみたいです。
在宅で療養している患者さんで、いざというときに診てくれる先生がいる場合といない場合では、私たちの動きも全然変わってきます。
透析クリニックが主治医だったりすると、昼間しかいないし、腎機能は診てくれるけれど消化器は今一つだったりします。
そういう方が夜間高熱を出しました。
もちろん予測指示などあるわけもなく、透析患者さんに勝手に市販の薬飲ませるわけにもいかず、そこのクリニックのバックアップの病院に電話しても、「診てあげてもいいけど、満床だから入院できないし、最初から入院できるところに行った方がいいですよ。」とか言われ体よく断られてしまいました。
以前入院していた病院にも同じことを言われ・・・
どうしようかとケアマネと相談。
ケアマネは、瀬谷の母と呼ばれる人。
とにかく、緊急にNOPとしてヘルパーさんを派遣してくれました。
これは介護保険ではなく、介護保険でできない事も請け負ってくれる「たすけあい」の業務としてです。(時給で動いてくれます)
救急車を呼ぶ時は、彼女がお伴をして、小さな子供がいる娘さんは残る手配でした。
そして、一段落したら、彼女を瀬谷の母がピックアップするという算段をしました。
ところが、行く病院が無いと言うことが分かりました。
救急車お任せでもいたしかたないのでしょうが、どこへ連れて行かれるやら、小さいな子どもを抱える介護者には不安です。
本人も、大丈夫だからといいはります。
でも、食事もとれず40℃近い高熱です。
ただでさえ予備力のない患者さんには、命取りになるかも・・
娘さんはただおろおろするばかり・・
結局、困った時のO先生。
顛末をお話ししたところ、学生との反省会中にもかかわらず、「いいですよ。一度クリニックによって、手持ちの解熱剤と抗生剤を持って診察に行きます。」と言って下さいました。
良かった~。
娘さんもとても喜んで下さいました。
こういう連携プレーが短時間でできるのが、この地域のいいところです。
すぐに動けるケアマネ、看護師、ヘルパー、往診医。
おかげさまで、解熱剤も処方して頂けました。
今後は、在宅往診医も視野に入れて、今後の事を考えていこうと、ケアマネさんと話しました。
いざというときに、頼れる横の連携は本当にありがたいものです。
・・が、今回はケアマネが瀬谷の母だったため、そこが主催のNPOたすけあい制度をすぐに導入することもできたし、O先生との普段の連携からお願いすることもできましたが、そんな条件がそろうとは限らないですよね。
これからの地域の課題として、誰でもが安心して在宅療養できるような、ホットラインがもっと濃く、幅広くできるようにするためのネットワーク作りをしないといけないですね。
明日の夜は、瀬谷区の在宅高齢者サポートネットワークです。
いろんな角度から提言していきたいとおもいます。
透析クリニックが主治医だったりすると、昼間しかいないし、腎機能は診てくれるけれど消化器は今一つだったりします。
そういう方が夜間高熱を出しました。
もちろん予測指示などあるわけもなく、透析患者さんに勝手に市販の薬飲ませるわけにもいかず、そこのクリニックのバックアップの病院に電話しても、「診てあげてもいいけど、満床だから入院できないし、最初から入院できるところに行った方がいいですよ。」とか言われ体よく断られてしまいました。
以前入院していた病院にも同じことを言われ・・・
どうしようかとケアマネと相談。
ケアマネは、瀬谷の母と呼ばれる人。
とにかく、緊急にNOPとしてヘルパーさんを派遣してくれました。
これは介護保険ではなく、介護保険でできない事も請け負ってくれる「たすけあい」の業務としてです。(時給で動いてくれます)
救急車を呼ぶ時は、彼女がお伴をして、小さな子供がいる娘さんは残る手配でした。
そして、一段落したら、彼女を瀬谷の母がピックアップするという算段をしました。
ところが、行く病院が無いと言うことが分かりました。
救急車お任せでもいたしかたないのでしょうが、どこへ連れて行かれるやら、小さいな子どもを抱える介護者には不安です。
本人も、大丈夫だからといいはります。
でも、食事もとれず40℃近い高熱です。
ただでさえ予備力のない患者さんには、命取りになるかも・・
娘さんはただおろおろするばかり・・
結局、困った時のO先生。
顛末をお話ししたところ、学生との反省会中にもかかわらず、「いいですよ。一度クリニックによって、手持ちの解熱剤と抗生剤を持って診察に行きます。」と言って下さいました。
良かった~。
娘さんもとても喜んで下さいました。
こういう連携プレーが短時間でできるのが、この地域のいいところです。
すぐに動けるケアマネ、看護師、ヘルパー、往診医。
おかげさまで、解熱剤も処方して頂けました。
今後は、在宅往診医も視野に入れて、今後の事を考えていこうと、ケアマネさんと話しました。
いざというときに、頼れる横の連携は本当にありがたいものです。
・・が、今回はケアマネが瀬谷の母だったため、そこが主催のNPOたすけあい制度をすぐに導入することもできたし、O先生との普段の連携からお願いすることもできましたが、そんな条件がそろうとは限らないですよね。
これからの地域の課題として、誰でもが安心して在宅療養できるような、ホットラインがもっと濃く、幅広くできるようにするためのネットワーク作りをしないといけないですね。
明日の夜は、瀬谷区の在宅高齢者サポートネットワークです。
いろんな角度から提言していきたいとおもいます。
今日は第2火曜日なので、めぐみ在宅クリニックでデスケースカンファがありました。
今日の事例は、ショート中に急変し、ショートで看取られたケースです。
もともと、末期癌で徐々に衰弱はしていましたが、ショート中突然脳梗塞と思われる症状で亡くなられたそうです。
この話の中で、看取りまで受け入れられる施設と、ちょっと医療処置があるだけで最初から拒否する施設との温度差は何なんだろうと言う話になりました。
看取りまで了承したこの施設の方いわく「どの先生でも受け入れるわけではなく、ケアマネさんや先生が、ちゃんと最後まで責任を持って診てくれることが分かっているからこその受け入れ」と言っていました。
そりゃあそうですよね。
私たちでも、組みたいチーム、組みたくないチームありますから。
以前にも書きましたが、ショートステイ中は、どんなに精いっぱいケアをしていても、亡くなってしまうと事故報告書を書かないといけないんだそうです。
事故じゃなくてもです。
もともと病状が悪化していて、いつ何があってもおかしくない時に、ご家族ののっぴきならない事情から、ショートステイをご利用になる時があります。
通常は、ショート中に何かあれば、救急車対応になってしまいますが、ちゃんと主治医がいて、診断書がかけるので病院に行くのではなく、そこで亡くなったらそのまま自宅に連れて帰りたいといい、それがかなって御家族はとても感謝されました。
確実に病状の悪化によるもので、誰のせいでもないのですが、この施設は事故報告書を出したうえに県庁まで呼び出されて訊問まがいの事もあったそうです。
結局、そういうことがあるから、施設としてはリスクを回避する為に、はじめから面倒な利用者は受けないのが一番、ということになるみたいです。
入所施設では、看取り加算がつくのに、ショートステイだと加害者扱い。
あまりにあれだめ、これだめが多くて、実際現場ではみんなが困っているのですが、ペナルティーばかりが際立て、これじゃ怖くて何もできなくなりますよね。
それでも、患者さんのために一肌脱ごうと頑張った施設や事業所が、理不尽に糾弾されるのだけは防ぎたいなと思いました。
そのほかにも、施設に寄っての温度差が大きいことたくさんありますが、それは次回にします。
なにしろ、瞼が重くて限界なので。
今日の事例は、ショート中に急変し、ショートで看取られたケースです。
もともと、末期癌で徐々に衰弱はしていましたが、ショート中突然脳梗塞と思われる症状で亡くなられたそうです。
この話の中で、看取りまで受け入れられる施設と、ちょっと医療処置があるだけで最初から拒否する施設との温度差は何なんだろうと言う話になりました。
看取りまで了承したこの施設の方いわく「どの先生でも受け入れるわけではなく、ケアマネさんや先生が、ちゃんと最後まで責任を持って診てくれることが分かっているからこその受け入れ」と言っていました。
そりゃあそうですよね。
私たちでも、組みたいチーム、組みたくないチームありますから。
以前にも書きましたが、ショートステイ中は、どんなに精いっぱいケアをしていても、亡くなってしまうと事故報告書を書かないといけないんだそうです。
事故じゃなくてもです。
もともと病状が悪化していて、いつ何があってもおかしくない時に、ご家族ののっぴきならない事情から、ショートステイをご利用になる時があります。
通常は、ショート中に何かあれば、救急車対応になってしまいますが、ちゃんと主治医がいて、診断書がかけるので病院に行くのではなく、そこで亡くなったらそのまま自宅に連れて帰りたいといい、それがかなって御家族はとても感謝されました。
確実に病状の悪化によるもので、誰のせいでもないのですが、この施設は事故報告書を出したうえに県庁まで呼び出されて訊問まがいの事もあったそうです。
結局、そういうことがあるから、施設としてはリスクを回避する為に、はじめから面倒な利用者は受けないのが一番、ということになるみたいです。
入所施設では、看取り加算がつくのに、ショートステイだと加害者扱い。
あまりにあれだめ、これだめが多くて、実際現場ではみんなが困っているのですが、ペナルティーばかりが際立て、これじゃ怖くて何もできなくなりますよね。
それでも、患者さんのために一肌脱ごうと頑張った施設や事業所が、理不尽に糾弾されるのだけは防ぎたいなと思いました。
そのほかにも、施設に寄っての温度差が大きいことたくさんありますが、それは次回にします。
なにしろ、瞼が重くて限界なので。
去年の10月ころから、ケアマネをあまり受けられなくなって、年末年始はケアマネだけよそに回してたりしたら、新患依頼が減ってきました。
で、2月からまた両方受けられることを言って回ったら、今どうにも身動きがとれないくらいになってしまいました。
その上、作業所の健康相談もまだまだ残っています。
セット(ケアマネ&訪問看護)での新患やら退院前訪問やら初回訪問やら会議やらなんやらで、書類整理の時間がとれず、かなりイライラしています。
さすがに、スタッフのスケジュールもびっしり埋まって、患者さんを振るのも大変になってきました。
こういう時に限って、長期に入院していた患者さんが、一斉に帰ってきたりするんですよね。
毎日訪問や頻回訪問も多くて、やりくりが大変ですが、ご依頼が減ることを考えれば、ありがたいことなので、此処は頑張らねばなりません。
患者さんあっての訪問看護ですからね。
それにしても、波がありすぎて管理者としては、患者さんが減っても心配、増えても悲鳴で平穏な日はいつくるんでしょうか??
そう言えば以前言われた「メディカルさんは、ターミナルや重症の患者さんしか受けない。」と言う噂は、未だに根強くあるようで、「それは違いますー!」と言う声がなかなか届かないみたいです。なんでそうなるのかなー??
今の私の望みは、苦手なケアマネ業務を一手に担ってくれる専任ケアマネさんが来てくれることです。
思うに、ケアマネ業務は向き不向きがあると思うんです。
特にあの書類の山。依頼票から実績報告・・
アセスメントや計画や担当者会議や、利用表の配布などなど・・・
苦手です~。
それがなかなかできないのに、新患さんばかり増えていく今、壊れかけてます。
何だか無駄な動きが多くなったり、思考がまとまらなくなっています。
1日、私に時間をください!と、お祈りしてみてもままならず・・・
なので、ブログの文もますますまとまらず・・・
ケアマネ業務をサクサクとこなせる人、尊敬してしまいます。
やっぱり、私は訪問看護師の仕事が一番合ってるんだな~と再確認しました。
(コードブルーは週末までお預けかなー見たいよー)
で、2月からまた両方受けられることを言って回ったら、今どうにも身動きがとれないくらいになってしまいました。
その上、作業所の健康相談もまだまだ残っています。
セット(ケアマネ&訪問看護)での新患やら退院前訪問やら初回訪問やら会議やらなんやらで、書類整理の時間がとれず、かなりイライラしています。
さすがに、スタッフのスケジュールもびっしり埋まって、患者さんを振るのも大変になってきました。
こういう時に限って、長期に入院していた患者さんが、一斉に帰ってきたりするんですよね。
毎日訪問や頻回訪問も多くて、やりくりが大変ですが、ご依頼が減ることを考えれば、ありがたいことなので、此処は頑張らねばなりません。
患者さんあっての訪問看護ですからね。
それにしても、波がありすぎて管理者としては、患者さんが減っても心配、増えても悲鳴で平穏な日はいつくるんでしょうか??
そう言えば以前言われた「メディカルさんは、ターミナルや重症の患者さんしか受けない。」と言う噂は、未だに根強くあるようで、「それは違いますー!」と言う声がなかなか届かないみたいです。なんでそうなるのかなー??
今の私の望みは、苦手なケアマネ業務を一手に担ってくれる専任ケアマネさんが来てくれることです。
思うに、ケアマネ業務は向き不向きがあると思うんです。
特にあの書類の山。依頼票から実績報告・・
アセスメントや計画や担当者会議や、利用表の配布などなど・・・
苦手です~。
それがなかなかできないのに、新患さんばかり増えていく今、壊れかけてます。
何だか無駄な動きが多くなったり、思考がまとまらなくなっています。
1日、私に時間をください!と、お祈りしてみてもままならず・・・
なので、ブログの文もますますまとまらず・・・
ケアマネ業務をサクサクとこなせる人、尊敬してしまいます。
やっぱり、私は訪問看護師の仕事が一番合ってるんだな~と再確認しました。
(コードブルーは週末までお預けかなー見たいよー)
在宅に戻ってくる方の、皆が皆覚悟を決めて帰ってくるわけではないのですが、「連れて帰りたい」思いばかりが先行して、あまり後先考えずに帰って来られる場合があります。
特にあと少ししか時間が無い。
帰るのなら、今しかない。
状況の中では、気持ちも焦るのはいたしかたないと思います。
でも、IVHポートが入り、バルンが入っていたりすると、家族指導がちゃんとできない事になります。
病棟看護師も一所懸命ボトル交換などを指導するのですが、これが怪しい。
カフティポンプに至っては、全然無理。さわれない。エアも抜けない。
バルンは、なんとか尿の破棄が出来るぐらい。
こういう状態で週末に退院となると、私たちもあわてます。
おむつ交換もできない御家族に、ヘルパーを帯で配置。(毎日同じ時間に貼り付けます)
訪問看護は医療保険で、やはり毎日配置。
ボトル交換はできると聞いていたのに、実際はやる気なし。
「訪問看護で全部やってくれるんでしょう?」
いやいや、本当は御家族が担えるところは、ご家族がしたほうが・・・とおもいつつ、こういうパターンはもう無理と判断。
毎日の訪問になってしまいますが、それもご希望なので、こちらでやるしかないですね。
そして、一週間後には、また入院させるそうです。
(病院では、いつでも戻ってこれる安心感を提供するために、約束手形のように入院予約を取ってくれることがあります。在宅に戻られて可能なら看取りまで、無理なら帰っておいでと言う心使いですね)
御本人は、やっと自宅に戻られて、穏やかに過ごされているのですが、またもどる事を何と思っているのか・・・
「病院、またもどるそうですね?」と聞くと「何で?」と本人。
夫は「そういう風に病院で納得したんだから。」と。
本当のところ御本人はどうなのか?
・・・でも、夫がもう限界なのかもしれません。
御主人の思いに関しては、なるべく沿っているのですが・・・。
大変な思いをして、妻も不安の中自宅に戻り、今はとてもいいお顔になっていますが、数日後にまたストレッチャーで戻るのは、はたして「妻の希望」をかなえた事になるのかどうか・・?
あとで、家族だけが満足だったということに、ならなければいいなと思っていしまいます。
もちろん、病院の選択は悪いわけではなく、現在の介護力ではその方がいいとは思うんですが、そこに患者さん御本人の気持ちが置いて行かれぬようにしたいと思っています。
まだ短いお付き合いとは言え、どうもしっくり在宅の良さを伝えられないのが、はがゆいです。
お見舞いの御親戚のかたが「病院にいるときは、本当に辛そうで、大丈夫かしらと思っていたのに、なんて良いお顔なんでしょう。やっぱり家がいいのねー。」何度もそう話しかけていたのですが、ご家族はどうおもわれていたんでしょうか・・・
もう少し、穏やかな時間が続きますように。
特にあと少ししか時間が無い。
帰るのなら、今しかない。
状況の中では、気持ちも焦るのはいたしかたないと思います。
でも、IVHポートが入り、バルンが入っていたりすると、家族指導がちゃんとできない事になります。
病棟看護師も一所懸命ボトル交換などを指導するのですが、これが怪しい。
カフティポンプに至っては、全然無理。さわれない。エアも抜けない。
バルンは、なんとか尿の破棄が出来るぐらい。
こういう状態で週末に退院となると、私たちもあわてます。
おむつ交換もできない御家族に、ヘルパーを帯で配置。(毎日同じ時間に貼り付けます)
訪問看護は医療保険で、やはり毎日配置。
ボトル交換はできると聞いていたのに、実際はやる気なし。
「訪問看護で全部やってくれるんでしょう?」
いやいや、本当は御家族が担えるところは、ご家族がしたほうが・・・とおもいつつ、こういうパターンはもう無理と判断。
毎日の訪問になってしまいますが、それもご希望なので、こちらでやるしかないですね。
そして、一週間後には、また入院させるそうです。
(病院では、いつでも戻ってこれる安心感を提供するために、約束手形のように入院予約を取ってくれることがあります。在宅に戻られて可能なら看取りまで、無理なら帰っておいでと言う心使いですね)
御本人は、やっと自宅に戻られて、穏やかに過ごされているのですが、またもどる事を何と思っているのか・・・
「病院、またもどるそうですね?」と聞くと「何で?」と本人。
夫は「そういう風に病院で納得したんだから。」と。
本当のところ御本人はどうなのか?
・・・でも、夫がもう限界なのかもしれません。
御主人の思いに関しては、なるべく沿っているのですが・・・。
大変な思いをして、妻も不安の中自宅に戻り、今はとてもいいお顔になっていますが、数日後にまたストレッチャーで戻るのは、はたして「妻の希望」をかなえた事になるのかどうか・・?
あとで、家族だけが満足だったということに、ならなければいいなと思っていしまいます。
もちろん、病院の選択は悪いわけではなく、現在の介護力ではその方がいいとは思うんですが、そこに患者さん御本人の気持ちが置いて行かれぬようにしたいと思っています。
まだ短いお付き合いとは言え、どうもしっくり在宅の良さを伝えられないのが、はがゆいです。
お見舞いの御親戚のかたが「病院にいるときは、本当に辛そうで、大丈夫かしらと思っていたのに、なんて良いお顔なんでしょう。やっぱり家がいいのねー。」何度もそう話しかけていたのですが、ご家族はどうおもわれていたんでしょうか・・・
もう少し、穏やかな時間が続きますように。
このところ、毎日のようにあちこちの病院を回っています。
これから退院する患者さんの、退院に向けての準備や今後の方針、当面の問題や解決策などを話し合ったり、面通しをしたりするためです・・・
これは、ケアマネとしても、訪問看護としてもごく一般的に行われるもので、ヘルパーさんや福祉用具相談員なども同席することがあります。
もちろん退院前に行きますので、在宅療養は始まっていず、退院後サービスが始まることを前提にみんな集まってくるわけです。
この退院前訪問ですが、医療保険適応の患者さんのみ、訪問看護師が病院まで行って関係者とカンファレンスを開いた場合は、「退院時共同指導料Ⅰ」という名前で、サービス開始後に請求できることになっています。
でも、介護保険対応の患者さんでは、全く内容が同じでも何も加算がありません。
ケアマネさんも、何度足を運んでもなにもありません。
近い病院ならまだしも、ちょっと離れた病院だと、交通費かけて時間かけて駐車場代も払っても、それはどこからも出てこないので、自腹もしくは事業所負担です。
それでもサービスにつながればいいんでしょうが、半日潰して話し合って、準備周到にして待っていると、直前に急変し退院できない・・なんてことも少なくないんです。
この場合は、医療保険の患者さんでも在宅が発生していないのだから、算定しようがありません。
これって、どう思います??
ケアマネさんなんか、何回も足を運んでいろんな相談に載っていたりしますが、実際はケアプラン料が増えるわけでも、なにか請求が出来るわけでもなく、まったくのボランティアです。
お金が欲しいとか、そういう話じゃなくて、こういう不条理な現状が多くの事業所を圧迫して、在宅の担い手のモチベーションを下げているような気がします。
結局、その対価を求めるとそれが全面的に患者さんに行ってしまう事に、誰よりも胸を痛めるのも現場の人間だという・・・
そういうところの、足元を見て決めているのかと勘ぐってしまいます。
だからと言って重症度の高い方や、いろいろな問題を抱えている方など、退院前訪問をしないのは、とても困ります。
退院指導をどこまでやってほしいか、病院から払いだしてもらえるものは何か、
残されている問題は何か、ご本人の受け止めや御家族の受け止め、かかわりなどがはっきりとしてくるので、受け入れ態勢を取るのには、とても重要になってくるんです。
現在は介護保険自体非常に厳しい状態ですが、現場の就労環境悪すぎます。
これじゃあ、悪循環になっちゃいますよね。
これから退院する患者さんの、退院に向けての準備や今後の方針、当面の問題や解決策などを話し合ったり、面通しをしたりするためです・・・
これは、ケアマネとしても、訪問看護としてもごく一般的に行われるもので、ヘルパーさんや福祉用具相談員なども同席することがあります。
もちろん退院前に行きますので、在宅療養は始まっていず、退院後サービスが始まることを前提にみんな集まってくるわけです。
この退院前訪問ですが、医療保険適応の患者さんのみ、訪問看護師が病院まで行って関係者とカンファレンスを開いた場合は、「退院時共同指導料Ⅰ」という名前で、サービス開始後に請求できることになっています。
でも、介護保険対応の患者さんでは、全く内容が同じでも何も加算がありません。
ケアマネさんも、何度足を運んでもなにもありません。
近い病院ならまだしも、ちょっと離れた病院だと、交通費かけて時間かけて駐車場代も払っても、それはどこからも出てこないので、自腹もしくは事業所負担です。
それでもサービスにつながればいいんでしょうが、半日潰して話し合って、準備周到にして待っていると、直前に急変し退院できない・・なんてことも少なくないんです。
この場合は、医療保険の患者さんでも在宅が発生していないのだから、算定しようがありません。
これって、どう思います??
ケアマネさんなんか、何回も足を運んでいろんな相談に載っていたりしますが、実際はケアプラン料が増えるわけでも、なにか請求が出来るわけでもなく、まったくのボランティアです。
お金が欲しいとか、そういう話じゃなくて、こういう不条理な現状が多くの事業所を圧迫して、在宅の担い手のモチベーションを下げているような気がします。
結局、その対価を求めるとそれが全面的に患者さんに行ってしまう事に、誰よりも胸を痛めるのも現場の人間だという・・・
そういうところの、足元を見て決めているのかと勘ぐってしまいます。
だからと言って重症度の高い方や、いろいろな問題を抱えている方など、退院前訪問をしないのは、とても困ります。
退院指導をどこまでやってほしいか、病院から払いだしてもらえるものは何か、
残されている問題は何か、ご本人の受け止めや御家族の受け止め、かかわりなどがはっきりとしてくるので、受け入れ態勢を取るのには、とても重要になってくるんです。
現在は介護保険自体非常に厳しい状態ですが、現場の就労環境悪すぎます。
これじゃあ、悪循環になっちゃいますよね。
このところ、独居の方が増えていますね。
独居と言っても、ほとんどの方が距離はともかくとして、家族や縁戚の方がいて、近所の方とも交流があって、具合が悪ければ病院へ、認知が進めば施設へと入られます。
でも、「最後まで、絶対家にいる。」と言う方も、実は結構いらっしゃるのですよ。
このブログでも、2回ほど書いた事がありますが、お一人は最終的にお子さんたちが泊まり込んでくれて、家族に看取られての暖かな最期でしたが、もう一人の方は本当にお一人で最後まで過ごされました。
痛みも苦しみも、どのように耐えていたのか。
全身をむしばむ病と、膿の流れ出る褥創を抱え、誰かが来た時だけ、わずかにストローから水を流し込んでもらうだけの、最後の数日。
壮絶な最期の選択を目の当たりにして、いまでも私の気持ちの中には、「もし自分だったら・・・」という恐怖がぬぐえずにいます。
今日、「一人で自分の部屋で死にます。」と言う方と、お話しをしました。
とても静かな方でした。
若いころに両親もなくし、兄弟もそれぞれ行方も分からず、結婚もせず、今は小さな古いアパートで、ひっそりと暮らされているのです。
「なるべく人に迷惑をかけたくないんです。出来るだけ、自分の事は自分でやりたい。」
「できなくなったら、その時は手伝って下さい。」
これから、痛みや吐き気や、苦しさが出てくるかもしれませんが、不安はないですか?
「痛みも、苦しみも出てくると聞いています。けれど、私が選択したことですから、覚悟はできています。次の日にみなさんが来ていただいた時に、昨夜はこうだったよ。と、お話しいたします。」
何だかお話しをしていると、その風媒や話し方から、浅田次郎の小説に出てくる「天切り松」を彷彿とさせます。
どんな人生を送られたのでしょうか、言葉の端はしに気使いも感じられます。
「両親の墓を建ててありますので、私が死んだらそこへ一緒に入れてくれるよう、知人に頼んであります。
幾ばくかの永代供養料を添えれば、ちゃんとやってくれるでしょう。」
いろんなことを、整理してあるようでした。
同じ人として生まれて、裕福な家庭で暖かい家族に囲まれて、死ぬまで何不自由なく暮らす方もいます。
逆に戦禍の中で生まれたり、ひどい逆境の中で育ったりする方もいます。
同じ一生・・なのにあまりにも違う一生。
真面目に、人に迷惑もかけずに、自分の事は自分でと頑張ってきた。
同じ頑張ってきても、守られて囲まれての最後と、たった一人での最後。
うまく言えないけれど、話を終えた後、胸が詰まってしまいました。
言葉にしようとすると、うまく伝えられないけれど・・・胸が詰まってしまいました。
私は、「出来る限り自分でできるうちは自分で、そして頼むと言って下されば、いつでもお手伝いします。そして、最後まで御自宅で過ごせるように、お手伝いさせていただきます。」とお約束をしました。
これから、彼の人生最後の舞台が、始まろうとしています。
独居と言っても、ほとんどの方が距離はともかくとして、家族や縁戚の方がいて、近所の方とも交流があって、具合が悪ければ病院へ、認知が進めば施設へと入られます。
でも、「最後まで、絶対家にいる。」と言う方も、実は結構いらっしゃるのですよ。
このブログでも、2回ほど書いた事がありますが、お一人は最終的にお子さんたちが泊まり込んでくれて、家族に看取られての暖かな最期でしたが、もう一人の方は本当にお一人で最後まで過ごされました。
痛みも苦しみも、どのように耐えていたのか。
全身をむしばむ病と、膿の流れ出る褥創を抱え、誰かが来た時だけ、わずかにストローから水を流し込んでもらうだけの、最後の数日。
壮絶な最期の選択を目の当たりにして、いまでも私の気持ちの中には、「もし自分だったら・・・」という恐怖がぬぐえずにいます。
今日、「一人で自分の部屋で死にます。」と言う方と、お話しをしました。
とても静かな方でした。
若いころに両親もなくし、兄弟もそれぞれ行方も分からず、結婚もせず、今は小さな古いアパートで、ひっそりと暮らされているのです。
「なるべく人に迷惑をかけたくないんです。出来るだけ、自分の事は自分でやりたい。」
「できなくなったら、その時は手伝って下さい。」
これから、痛みや吐き気や、苦しさが出てくるかもしれませんが、不安はないですか?
「痛みも、苦しみも出てくると聞いています。けれど、私が選択したことですから、覚悟はできています。次の日にみなさんが来ていただいた時に、昨夜はこうだったよ。と、お話しいたします。」
何だかお話しをしていると、その風媒や話し方から、浅田次郎の小説に出てくる「天切り松」を彷彿とさせます。
どんな人生を送られたのでしょうか、言葉の端はしに気使いも感じられます。
「両親の墓を建ててありますので、私が死んだらそこへ一緒に入れてくれるよう、知人に頼んであります。
幾ばくかの永代供養料を添えれば、ちゃんとやってくれるでしょう。」
いろんなことを、整理してあるようでした。
同じ人として生まれて、裕福な家庭で暖かい家族に囲まれて、死ぬまで何不自由なく暮らす方もいます。
逆に戦禍の中で生まれたり、ひどい逆境の中で育ったりする方もいます。
同じ一生・・なのにあまりにも違う一生。
真面目に、人に迷惑もかけずに、自分の事は自分でと頑張ってきた。
同じ頑張ってきても、守られて囲まれての最後と、たった一人での最後。
うまく言えないけれど、話を終えた後、胸が詰まってしまいました。
言葉にしようとすると、うまく伝えられないけれど・・・胸が詰まってしまいました。
私は、「出来る限り自分でできるうちは自分で、そして頼むと言って下されば、いつでもお手伝いします。そして、最後まで御自宅で過ごせるように、お手伝いさせていただきます。」とお約束をしました。
これから、彼の人生最後の舞台が、始まろうとしています。
「在宅療養を支える。」
私たちはよく言いますが、本当にそれが支えなのかどうかは、支えられる側に人にしかわからないんじゃないかと思います。
だから、自分たちで支えたつもりりでいても、本人たちにとっては、何ということもなかったり、返ってお節介だたりすることもあるんじゃないかと思うのです。
支えたかどうか、あるいは支えるかどうかは、意外と些細なことだったりもするんだなと、最近よく思います。
たとえば、
何だかケアマネや主治医に勧められて、あんまり嬉しくもなかった訪問看護。
お風呂にだって十分私が入れられたのに、危ないからって看護師が入れる事になった・・
身体の事やら、いろんなことに口を出して正直うっとうしいかも。
そんな雰囲気を醸し出していた奥様ですが、ある夜夫が便秘で苦しみだしてしまった。
出たくても出ない便。苦しむ夫。便秘で救急車はいいのかしら??
そんな時、
思い出した訪問看護の緊急電話にかけたら、夜だと言うのに飛んできて、浣腸かけてお尻に指まで入れて便を出してくれた。
とたんに、お父さんすっきりニコニコ。
その日から、訪問看護師はうっとうしい訪問者から、助けてくれる人に格上げされてしまいました。
そうかと思えば、一生懸命ひどい糜爛のストマを交換し、あれこれ工夫して何度も緊急出動して時間をかけても、「お金がかかってしょうがない」サービスになってしまったりします。
挙句、やっと御自分でもできるケアを工夫して指導して、皮膚がきれいになったとたん、これなら来てもらわなくてもできるから終了にしてください。とかいわれてしまったり・・
一生懸命工夫して頑張った割に、支えにはなれなかったのかと、がっかりしてしまったり。
(考えようで、自分でできるようにしたんだから、支えになったと言えるのかもしれないけど、じゃあおしまいね。はちょっとさみしい・・)
いろんなことが毎日あります。
その都度喜んだりがっかりしたり・・
認知が進んで、もの取られ妄想全開のおばあさん。
独居だし障害があるし、何とか支えてあげたいと東奔西走している担当看護師件ケアマネに向かって、「あのヘルパーは泥棒だ!信用できない!いったい何をやってるの!」
そんなことの繰り返し・・・
家の中は、誰にも触らせないゴミの山。何が埋もれているのやら・・
思い込みと勘違いともの忘れで、しょっちゅうケアマネを呼び出しけんか腰。
家族ですら、及び腰で今以上の面倒は無理と・・・
結局施設を探すしかない状態に・・・
支えたい気持ちが、届かない悔しさにがっくりの担当者。
じゃあゴミをどんどんかたずけて、相手の間違いを全部指摘して、盗まれたはずの腐ったお惣菜を並べたら・・それは、何の解決にもならないですよね。
独居でCOPDで、苦しくて苦しくて何度意識消失しても、絶対家で過ごしたい患者さん。
労作が酸素濃度をますます下げるから、1階で寝ましょうと言っても、絶対に2階で休む。
同じ病気で亡くなったお母さんの部屋には、どうしても寝たくないらしい。
(それはやっぱり、死への恐怖なのだろうか?)
何度もヘルパーさん増やそうと言っても、看護師さんの回数増やそうと言っても絶対ノ―。
お風呂も絶対一人で入るって言ってた人が、やっと今日「本当はお風呂、入れてもらいたいけど、苦しくて入れないんだよ。」と、担当看護師にぽつりと言ったとか…
それでも、入院は絶対しないと宣言。
支えたいと思ってるんだけれど、支えさせてもらえるのだろうか・・?
思いがかみ合えば、それが支えになるんだけれど。
それでも、やっぱり「支えたい思い」は、伝えていかないとだめなんです。
私たちは、あなたの力になりたいんだと。
私たちはよく言いますが、本当にそれが支えなのかどうかは、支えられる側に人にしかわからないんじゃないかと思います。
だから、自分たちで支えたつもりりでいても、本人たちにとっては、何ということもなかったり、返ってお節介だたりすることもあるんじゃないかと思うのです。
支えたかどうか、あるいは支えるかどうかは、意外と些細なことだったりもするんだなと、最近よく思います。
たとえば、
何だかケアマネや主治医に勧められて、あんまり嬉しくもなかった訪問看護。
お風呂にだって十分私が入れられたのに、危ないからって看護師が入れる事になった・・
身体の事やら、いろんなことに口を出して正直うっとうしいかも。
そんな雰囲気を醸し出していた奥様ですが、ある夜夫が便秘で苦しみだしてしまった。
出たくても出ない便。苦しむ夫。便秘で救急車はいいのかしら??
そんな時、
思い出した訪問看護の緊急電話にかけたら、夜だと言うのに飛んできて、浣腸かけてお尻に指まで入れて便を出してくれた。
とたんに、お父さんすっきりニコニコ。
その日から、訪問看護師はうっとうしい訪問者から、助けてくれる人に格上げされてしまいました。
そうかと思えば、一生懸命ひどい糜爛のストマを交換し、あれこれ工夫して何度も緊急出動して時間をかけても、「お金がかかってしょうがない」サービスになってしまったりします。
挙句、やっと御自分でもできるケアを工夫して指導して、皮膚がきれいになったとたん、これなら来てもらわなくてもできるから終了にしてください。とかいわれてしまったり・・
一生懸命工夫して頑張った割に、支えにはなれなかったのかと、がっかりしてしまったり。
(考えようで、自分でできるようにしたんだから、支えになったと言えるのかもしれないけど、じゃあおしまいね。はちょっとさみしい・・)
いろんなことが毎日あります。
その都度喜んだりがっかりしたり・・
認知が進んで、もの取られ妄想全開のおばあさん。
独居だし障害があるし、何とか支えてあげたいと東奔西走している担当看護師件ケアマネに向かって、「あのヘルパーは泥棒だ!信用できない!いったい何をやってるの!」
そんなことの繰り返し・・・
家の中は、誰にも触らせないゴミの山。何が埋もれているのやら・・
思い込みと勘違いともの忘れで、しょっちゅうケアマネを呼び出しけんか腰。
家族ですら、及び腰で今以上の面倒は無理と・・・
結局施設を探すしかない状態に・・・
支えたい気持ちが、届かない悔しさにがっくりの担当者。
じゃあゴミをどんどんかたずけて、相手の間違いを全部指摘して、盗まれたはずの腐ったお惣菜を並べたら・・それは、何の解決にもならないですよね。
独居でCOPDで、苦しくて苦しくて何度意識消失しても、絶対家で過ごしたい患者さん。
労作が酸素濃度をますます下げるから、1階で寝ましょうと言っても、絶対に2階で休む。
同じ病気で亡くなったお母さんの部屋には、どうしても寝たくないらしい。
(それはやっぱり、死への恐怖なのだろうか?)
何度もヘルパーさん増やそうと言っても、看護師さんの回数増やそうと言っても絶対ノ―。
お風呂も絶対一人で入るって言ってた人が、やっと今日「本当はお風呂、入れてもらいたいけど、苦しくて入れないんだよ。」と、担当看護師にぽつりと言ったとか…
それでも、入院は絶対しないと宣言。
支えたいと思ってるんだけれど、支えさせてもらえるのだろうか・・?
思いがかみ合えば、それが支えになるんだけれど。
それでも、やっぱり「支えたい思い」は、伝えていかないとだめなんです。
私たちは、あなたの力になりたいんだと。
どこの訪問看護ステーションでも、頭が痛いのが緊急当番です。
24時間連絡対応、やりたいけれど電話を持つ人が現れないステーションもあります。
管理者一人で緊急電話を持っているところもあります。
うちみたいに、常勤だけで持っているところもありますが・・・
でも、さすがに月の半分を緊急電話当番で拘束されるのは限界にきました。
ここ数年は、ターミナルや重症度の高い患者さんが急増したこともあり、緊急電話の回数はかなり増え、緊急出動やエンゼルケアのための出動もかなり多いのが現状です。
そこで、今回非常勤のスタッフにも、相談してみました。
当初話は錯綜し、ちょっと険悪なムードにもなりかけましたが、そこはうちのスタッフ。
出来る限りの協力をしてもらえる事になりました。
みんなで話し合った結果、緊急1番が常勤、2番が非常勤で回すことに・・・
今日も、実際どうするのかとか、これからのステーションの方向性とかを、腹を割って話し合うことが出来て、なんだか明るい未来が見えてきました。
そのため、これから初めて緊急電話を持つスタッフが、安心して持てるようにいろいろと調整しなければなりません。
実際、緊急電話が鳴らないような、また出動しなくて済むような患者さんへのアプローチを普段からしておくことが一番大事になってきます。
スタッフ一人ひとりが、意識的に患者さんの不安を軽減したり、レスキューの確認をしたり、ある程度の解決が御家族でもできるような指導をしておく事が大切だと再確認しました。
これは大至急訪問したほうがよいのか、様子を見ていいケースなのか?
救急要請するべきなのか、緊急訪問で間に合うのか?
急変時の対応方法は?
普段から患者さんと担当がよく話し合い、緊急カードに新しい情報をきちんと更新する。
そういう積み重ねが、お互いの負担を軽くするのだと思います。
またターミナルの方で、まだレスキューの指示が出ていないうちに、痛みや呼吸困難などが出る事があります。
こういう場合は、患者さんの持っている薬で、とりあえずしのぐことができる事もあります。
たとえば、レスキューが無くても、定時薬でコンチンやピーガードなどの麻薬のお薬を飲んでいれば、現在飲んでいる内服のミリ数も確認して主治医に相談をすると、定時薬から換算してレスキューに使うこともできます。(病院と違って、すぐにはそろわないので)
定時薬の麻薬は徐放性で、そのままだと吸収が遅いので、麻薬換算してたとえば半分量とか
3分の一量とかを潰して飲んで頂くとか。
今日も、初回訪問で伺った患者さんが、水を誤嚥していて呼吸困難の状態でした。
癌により左肺はエアが入らない状態での誤飲は、窒息状態に等しく、SPO2も70%前後でした。
頚動脈は怒脹し、血圧も70代と危険な状態でしたが、体位ドレナージを行いながら、軽く呼吸の補助を行いました。O2はMAXまで増量。
頂いているレスキューを確認したら、鎮静剤と抗痙攣剤の座薬はあるものの、呼吸苦にはオプソの処方でした。
でも、今誤飲して苦しんでいる方にオプソを飲ませるのは無理。
電話でI先生に報告をしたら、オプソ5mg注腸して下さい。とのこと。
そうか、その手があったかと、ピストンで5mg(2.5cc)を吸って、直腸から注入しました。
エア入りのある方の肺を上に、不規則な呼吸に合わせて補助をしていると、かなりの痰が出ました。
やがて、呼吸回数も落ち着き、肺にエアが入るようになると、SPO2も90パーセントまで回復。患者さんは眠りに入っていました。
夕方、スタッフが訪問すると、そのまま落ち着いた状態で眠られていたとのこと。
その間に、レスキューのアンペック坐も出していただけたので、今回は切り抜ける事が出来ました。
とはいえ、避ける事の出来ないお別れは、すぐそこまでやってきていることに変わりはないのですが・・・。
在宅には在宅の裏技を使いつつ、少しでも苦痛のないようにしてあげたい。
(うちにステーションではターミナルのかたの80%は、ご自宅でのお看取りなので)
こんな指示をくれる先生ばかりではないと思いますが、出来る限り考えて、臨機応変に対応することは、実際やってみて体得していくものなのだと思います。
うちのスタッフは、みんな患者さんへの情熱もあついし、いい仕事ができるので、きっとこれから緊急対応でも活躍してくれると思います。
24時間連絡対応、やりたいけれど電話を持つ人が現れないステーションもあります。
管理者一人で緊急電話を持っているところもあります。
うちみたいに、常勤だけで持っているところもありますが・・・
でも、さすがに月の半分を緊急電話当番で拘束されるのは限界にきました。
ここ数年は、ターミナルや重症度の高い患者さんが急増したこともあり、緊急電話の回数はかなり増え、緊急出動やエンゼルケアのための出動もかなり多いのが現状です。
そこで、今回非常勤のスタッフにも、相談してみました。
当初話は錯綜し、ちょっと険悪なムードにもなりかけましたが、そこはうちのスタッフ。
出来る限りの協力をしてもらえる事になりました。
みんなで話し合った結果、緊急1番が常勤、2番が非常勤で回すことに・・・
今日も、実際どうするのかとか、これからのステーションの方向性とかを、腹を割って話し合うことが出来て、なんだか明るい未来が見えてきました。
そのため、これから初めて緊急電話を持つスタッフが、安心して持てるようにいろいろと調整しなければなりません。
実際、緊急電話が鳴らないような、また出動しなくて済むような患者さんへのアプローチを普段からしておくことが一番大事になってきます。
スタッフ一人ひとりが、意識的に患者さんの不安を軽減したり、レスキューの確認をしたり、ある程度の解決が御家族でもできるような指導をしておく事が大切だと再確認しました。
これは大至急訪問したほうがよいのか、様子を見ていいケースなのか?
救急要請するべきなのか、緊急訪問で間に合うのか?
急変時の対応方法は?
普段から患者さんと担当がよく話し合い、緊急カードに新しい情報をきちんと更新する。
そういう積み重ねが、お互いの負担を軽くするのだと思います。
またターミナルの方で、まだレスキューの指示が出ていないうちに、痛みや呼吸困難などが出る事があります。
こういう場合は、患者さんの持っている薬で、とりあえずしのぐことができる事もあります。
たとえば、レスキューが無くても、定時薬でコンチンやピーガードなどの麻薬のお薬を飲んでいれば、現在飲んでいる内服のミリ数も確認して主治医に相談をすると、定時薬から換算してレスキューに使うこともできます。(病院と違って、すぐにはそろわないので)
定時薬の麻薬は徐放性で、そのままだと吸収が遅いので、麻薬換算してたとえば半分量とか
3分の一量とかを潰して飲んで頂くとか。
今日も、初回訪問で伺った患者さんが、水を誤嚥していて呼吸困難の状態でした。
癌により左肺はエアが入らない状態での誤飲は、窒息状態に等しく、SPO2も70%前後でした。
頚動脈は怒脹し、血圧も70代と危険な状態でしたが、体位ドレナージを行いながら、軽く呼吸の補助を行いました。O2はMAXまで増量。
頂いているレスキューを確認したら、鎮静剤と抗痙攣剤の座薬はあるものの、呼吸苦にはオプソの処方でした。
でも、今誤飲して苦しんでいる方にオプソを飲ませるのは無理。
電話でI先生に報告をしたら、オプソ5mg注腸して下さい。とのこと。
そうか、その手があったかと、ピストンで5mg(2.5cc)を吸って、直腸から注入しました。
エア入りのある方の肺を上に、不規則な呼吸に合わせて補助をしていると、かなりの痰が出ました。
やがて、呼吸回数も落ち着き、肺にエアが入るようになると、SPO2も90パーセントまで回復。患者さんは眠りに入っていました。
夕方、スタッフが訪問すると、そのまま落ち着いた状態で眠られていたとのこと。
その間に、レスキューのアンペック坐も出していただけたので、今回は切り抜ける事が出来ました。
とはいえ、避ける事の出来ないお別れは、すぐそこまでやってきていることに変わりはないのですが・・・。
在宅には在宅の裏技を使いつつ、少しでも苦痛のないようにしてあげたい。
(うちにステーションではターミナルのかたの80%は、ご自宅でのお看取りなので)
こんな指示をくれる先生ばかりではないと思いますが、出来る限り考えて、臨機応変に対応することは、実際やってみて体得していくものなのだと思います。
うちのスタッフは、みんな患者さんへの情熱もあついし、いい仕事ができるので、きっとこれから緊急対応でも活躍してくれると思います。
このところ、また急に忙しさが戻ってきました。
なんでこう、いつも偏るんだろうとぶつぶついながらも、なんとか仕事をこなしていかないといけません。
その割に、会議や作業所の健康相談廻り、退院前訪問などに時間を取られ、なかなか書類が作れません。
こんな時に、もっとうまく時間配分が出来ればいいんだけれど、2時間ほど留守にして戻れば、デスクの上には伝言メモやら、新患さんの依頼書やらがどっさり置いてあります。
幸いうちのステーションは、看護師のほとんどがケアマネも持っているので、セットでスタッフに申し送ることが出来るので、半分はお願いしています。
それでも・・居宅の書類と訪問看護の書類を抱えて、ステーション内をうろうろするわりに、今一つ仕事がはかどらないのは、ひっきりなしにかかってくる電話に反応して、その都度違う仕事が入ってくるためです。
は~。時間が足りません。
って、いうかもっと効率的に仕事が出来ないものかと、考えてしまいます。
明日は、業務内容を見直すスタッフミーティングがあります。
なんとかみんなで、効率的にしかもハイレベルな仕事が出来るように、話し合ってみたいと思います。
先週は緊急電話も少なく、緊急出動もありませんでしたが、今週は病状が思わしくない方もいて、新患さんも大変そうです。
これからまた、大波が来そうです。(うちの津波はこれからです)
土曜に管理者研修に行きましたが、どこの管理者もいろいろ頭を抱える事が多いようでした。
その中でも、緊急電話の持ち方は、どこのステーションでも悩みの種のようです。
他のSTの管理者と情報交換することで、共感することが出来るし、勇気ずけられます。
これから新年度を迎えるので、気を引き締めていい職場を作っていかないとと、思いました。
ところで、さっきテレビで「深いい話」を何となく聴いていたら、「うん」と納得する話がありました。
監察医で、著書も数多くある上野正彦さんのお話です。
彼は監察医として長年不審死などの解剖をやってきました。
通常の病理解剖と違い、監察医は警察が介入した不審死の御遺体を解剖して死因を解明します。
(私も学生時代、古ーい大学の校舎のはじっこにある、監察医務室の電話版のアルバイトを部活動命令でやらされて、めっちゃ怖い思いをしました。)
ですから、白骨死体やら、水死体やら、変死体やらとんでもない御遺体を解剖していくわけです。
その中で彼は「死とは、絶対的な無だ。あの世などは存在しない。」と考えていました。
何十年そう断言していましたが、退職後に長年家族として連れ添った愛犬が死にました。
その時、思わず死んだ犬に向かって、語りかけていたのだそうです。
「あの世に行ったら、私のジイとバアのところに行きなさい。とても優しい人だから・・・」と。
そう言っている自分に気がついたとき、彼は今までの考えを改め、こう考えるようになりました。[
「死は無ではない」
「死を語る時、矛盾なくしては語れない。」
それが、「死」であると。
いかがでしょうか?
みなさんにとって「死」とは、どんなものでしょうか?
ちなみに、そのあとで伊集院 光が監修した、高齢者の川柳で大笑いしました。
「昼寝中 家族に呼ばれた 救急車」
よっぽど熟睡してたんでしょうね。座布団10枚!
なんでこう、いつも偏るんだろうとぶつぶついながらも、なんとか仕事をこなしていかないといけません。
その割に、会議や作業所の健康相談廻り、退院前訪問などに時間を取られ、なかなか書類が作れません。
こんな時に、もっとうまく時間配分が出来ればいいんだけれど、2時間ほど留守にして戻れば、デスクの上には伝言メモやら、新患さんの依頼書やらがどっさり置いてあります。
幸いうちのステーションは、看護師のほとんどがケアマネも持っているので、セットでスタッフに申し送ることが出来るので、半分はお願いしています。
それでも・・居宅の書類と訪問看護の書類を抱えて、ステーション内をうろうろするわりに、今一つ仕事がはかどらないのは、ひっきりなしにかかってくる電話に反応して、その都度違う仕事が入ってくるためです。
は~。時間が足りません。
って、いうかもっと効率的に仕事が出来ないものかと、考えてしまいます。
明日は、業務内容を見直すスタッフミーティングがあります。
なんとかみんなで、効率的にしかもハイレベルな仕事が出来るように、話し合ってみたいと思います。
先週は緊急電話も少なく、緊急出動もありませんでしたが、今週は病状が思わしくない方もいて、新患さんも大変そうです。
これからまた、大波が来そうです。(うちの津波はこれからです)
土曜に管理者研修に行きましたが、どこの管理者もいろいろ頭を抱える事が多いようでした。
その中でも、緊急電話の持ち方は、どこのステーションでも悩みの種のようです。
他のSTの管理者と情報交換することで、共感することが出来るし、勇気ずけられます。
これから新年度を迎えるので、気を引き締めていい職場を作っていかないとと、思いました。
ところで、さっきテレビで「深いい話」を何となく聴いていたら、「うん」と納得する話がありました。
監察医で、著書も数多くある上野正彦さんのお話です。
彼は監察医として長年不審死などの解剖をやってきました。
通常の病理解剖と違い、監察医は警察が介入した不審死の御遺体を解剖して死因を解明します。
(私も学生時代、古ーい大学の校舎のはじっこにある、監察医務室の電話版のアルバイトを部活動命令でやらされて、めっちゃ怖い思いをしました。)
ですから、白骨死体やら、水死体やら、変死体やらとんでもない御遺体を解剖していくわけです。
その中で彼は「死とは、絶対的な無だ。あの世などは存在しない。」と考えていました。
何十年そう断言していましたが、退職後に長年家族として連れ添った愛犬が死にました。
その時、思わず死んだ犬に向かって、語りかけていたのだそうです。
「あの世に行ったら、私のジイとバアのところに行きなさい。とても優しい人だから・・・」と。
そう言っている自分に気がついたとき、彼は今までの考えを改め、こう考えるようになりました。[
「死は無ではない」
「死を語る時、矛盾なくしては語れない。」
それが、「死」であると。
いかがでしょうか?
みなさんにとって「死」とは、どんなものでしょうか?
ちなみに、そのあとで伊集院 光が監修した、高齢者の川柳で大笑いしました。
「昼寝中 家族に呼ばれた 救急車」
よっぽど熟睡してたんでしょうね。座布団10枚!