Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

動物は裏切らない、人は裏切る。仏教の人界・畜生界

2023年07月18日 06時32分03秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 平らかなるは人、争い食らうは畜生、と言った感じだが、私は、基本的に、昔、動物、ペットを飼っていて、動物達に裏切られた、といった感じ、印象など、みじんも感じた事などはない。
 むしろ、動物よりも怖いのが、人間だ。人は裏切る。これは、方程式のようなものだ。
 私は、今年の三月半ば位まで、福祉サービス、調理援助を受けていた。私の食卓には、彼女らヘルパーの作った料理で、毎回、毎度、テーブル、冷蔵庫が、埋められていた。
 それらを食べ、食する時代、時期が、ここ、母が施設に入った後、私が食事に困らないように、保健所もいち早く動いてくれて、その、サービス提供は、待ち時間なしで、私は享受が直ぐに受けられ、出来た。
 しかし、今年、春三月、私の、言葉使いのあや、反感を持たれる、いいがかり(と向こう、相手側は思ったのだろうが)を受けて、それら、ヘルパー会社二社が、一度に、我が家には、足を遠ざけ、私を無視に処するが如くに、それ以来、それら二社は、歩調を合わせて、私にサービス提供を停止した。
 私は、それでも、それら、ヘルパーさん達が、今まで通りに、又、思い直して、来てくれるものであろうと、期待して、毎日、毎週、首を長くして、待ち望んでいた。
 しかし、幾ら待っても、待てども待てども、それら、ヘルパーサービス部門の、お馴染みのヘルパーさん達は、その大元締めの、ヘルパーの上司、その会社の上役の指示通りに動き、動かされ、今の一度たりとも、もう二度と、対面、我が家で調理、料理に腕を振るってくれることも無くなった。
 私は、それら、今まで、調理に来てくれていた、月曜、木曜、土曜日を、約半月、一か月ほど、待ち望んで、私はその時間帯を、いつ来るのかと、今か今かと、幾ら待っても、らちが明かず、それら、下っ端ヘルパーさん、その総元締めの、ヘルパー事務所に、袖(そで)にされた。
 これ、ここに到って、この事態の重大、重要性に立たされ、気付いた自分は、これは、相当な、私自身が恨まれ、疎まれ、嫉まれ、嫌われているんだ、この関係性は、修正不可能なまでに、ぶち壊された、修繕不可能な事柄なんだと、理解・達観した。

 それで、担当の、私の福祉相談員、A相談室の、Sさんに、もう、これら、ヘルパー事業所との、契約は破棄する、と告げた。
 最初、契約は破棄する、とだけ告げたので、A相談室のSさんは、相談員、相談室との契約を辞めるのですか、と言われ、「とんでもない。これ以上、変な冗談、もう、私は、別れは嫌なんです」といい、それら、ヘルパー事業所との契約破棄を、申し込んだ。
 その後、その相談室のSさんは、私の家に、二社分の、申し送り、という、今まで、その一か月間に、私も捺印のうえで、それら、事業所との、サービスの提供の承諾書を、受け取りに来ただけで、それだけの関係性で、それら二社との、契約はあっけなく終了した。
 私は、もっと、契約を辞める時は、大袈裟な手続きが要るものとの、想像をしていたのが、実に、辞める時には、あっさりと辞められるんだなあ、との感を深くした。
 入会、入る時には、あれ程、実印を押す箇所も多く、署名までして、保証人まで必要だったのが、こんなに簡単に、関係性が解消されるのか、それまでの、お付き合いだったのだな、との念慮を深くした。
 とにかく、ヘルパー事業所の狂った暴力的暴言横暴に、こちらは悩まされ、一時は、本当に、私自身、自らの死を願い、考えた程の、死の念慮に捉われたその一か月間であったが、今となれば、何とバカらしい、自分の一人よがりな、勝手気ままな、怖れを人一倍いだいた、なんと弱虫の自分であった事かと、あの時は、あの頃の自分には、反省、の一言しかない。その時の憤まんやる方ない、そうして、「死にたい」という自責の念を、その相談室の相談員には、私は、個人的に漏らしていたが、今となっては、何と情けない、そんな、会社二社がいいように私をあしらったならば、この命を賭けてでも復讐するなり、法華経如来寿量品の「不自惜身命」であり、なんなりの、事後対策があったろうに、と思う。
 これら、仏子、仏様の子供、日蓮正宗の信徒をイジメると、ろくな事がない。自分に皆、還ってゆく。仏法の「還着於本人」の方程式によって、いつの間にか、それら、私、及び、宗門に盾突いた者共の人生の落伍、没落振りは、かなりのものだから、覚悟しておいた方がいい。それら、ヘルパー事業所、S福祉協議会ヘルパー部門・M光産業よ!
 私は、一生、これら二社を、渾身の限り、果てなく、恨み続ける。相手が、その存在を消し去り、藻屑のように、消え去るまでは。
 決して、今後一生、絶対に、金輪際、許しはしない。
 「汝、後生を畏れよ!」

※編集後記
 この恨みつらみを、今の私は、日蓮正宗伝来、秘伝の、「勤行唱題」、中でも南無妙法蓮華経の、真実のお題目の唱題によって、この汚い汚い、汚辱した最悪の生命の境涯を、もっとより高い次元の境涯へと、昇華させよう、と、人を恨むのは、私の境涯を下げに下げてしまい、法をも下げてしまう事に今、やっと気付き、考えを改めようと思いが至った。これがこれからの私の生きる道だ、と、思い直している現在の私のありのままの、率直な想い、気持ち、気概、感慨である。
 
 もう、なるたけ、人は、恨むまい。

以上。よしなに。wainai

今朝も勤行中に…小鳥が。

2023年07月18日 05時47分46秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 今朝、五時台に、朝のお勤め、日蓮正宗の勤行を致していた時、ムクドリか、ツグミなのか、あれは何鳥なのか、判らないが、私の外に置いてある、仏壇に近い、窓越しに、そこに私の自転車があり、そこのハンドルに、その、比較的中位の鳥さんが、しばらく、私の勤行の声に合わせて、さえずり、歌を歌いながら、私との声の競演となった。
 私が、鈴(リン)を鳴らすと、その鳥は去って行ったが、あの鳥も、法華経を、大好き、法を求めているんだなあ、と、他人事ならぬ、鳥ごととして、気分も一新して、畜生界としての、彼(彼女)の鳥の境遇を思い致していた。  
 鳥ですら、法を求める。人間は?十界のうちの、人界は、真ん中の、第五番目にあり、平らかなるは人、と言われている。 
 人間界に生まれて来るのも、容易じゃない。前世で、余程の善徳を積まない限り、この世に人間として生まれ得ない。
 けれども、この末法悪世に、我々が生まれて来たと言う事は、余程の、前世で成仏を遂げられずに、修行がてら、余程の悪党として、生まれて来た、とも、仏教では、矛盾するようだが、説いている。末法悪世の荒凡夫、と。
 とにかく、前世からの、罪障消滅の為に、この世で善行を積み、自行化他行、自ら、ちゃんと、法華経、御本尊様に朝な夕な、勤行唱題に努め、その車の両輪の如くに、折伏化他行にもいそしむ。
 これが、日蓮正宗信徒としての、矜持(きょうじ)、仁義、義務と権利、もっともやらなければならない、非常に大事なことである。
以上。よしなに。wainai