私の父は、早くに亡くなったが、その父の面影に、私が最近、何とはなしに似て来ている事に、私自身、気付いて来た。
何も、親に似るのが、悪いと言っているのではない。ただ、私は、子供の幼少の頃は、むしろ、母に似ていて、母は美人さんの部類であり、私も、そういえるかは判らない断言はできないが、いわゆる、「ジャニーズ系」の顔立ちの子供であった。
私の子供の頃の体の体格は、父に似て、母からは「蚊トンボみたいだった」と言われる程やせていて、やせっぽっちであり、今とは真逆だった。今もそれ程には太ってはいないが。若干、少しのオーバーである。
父は色白であり、母は南国出身の私の祖父、母の父の血を受け継ぎ、色が黒かった。
それが、この間の、日蓮正宗無量山寿海寺でのお墓掃除の時、私は暑苦しいのが嫌で、上半身、Tシャツとベストの服で、除草やら、草むしりで集まった雑草の束を袋に入れたりしていた。
やがて休み時間となり、皆と一緒に、麦茶を頂いたり、アイスを頂いたりしていた時、或る方に、○○君(私の事)は、よく見ると色白だない(だねえ。郡山弁)。色の白いのは、七難も八難も隠すと言うからなあ、と言われた。
私は意外だった。子供の頃は、母に似て、色黒であり、夏の間はほとんど真っ黒、ブラック色の私であった。
それが、私の半そでシャツ、Tシャツが薄着のせいもあったが、この時、その御方、および、周りの方が、私が色白だと言う。
実際、父は、東北人であり、色黒の母とは違い、父の肌の色は、すさまじい程、白かった。そこも、最近、似て来ている。
後、父の目は、一重であり、母の好みのタイプは、この、一重まぶたの男性が、母の最愛のタイプであった。
こればかりは、母は譲れないらしく、私が二重なのを見て、すこしガッカリして、二重まぶたっていうのは、優性遺伝なのかねえ、と言って、私の目を、気にしていた。
母自身も、南国出身なので、二重なのである。そんな事を、私に要求されても、私も困ってしまう。
けれども、私が時々、何かのきっかけで、目が一重になる(そう見える)時は、大層、私をもてなすというか、その目が私は好きよ、と言って、私を褒めた。
結局、母もルックスで、父の性格など無視して、無理やり、結婚に踏み切ったのだが、母には、後悔はなかったようだ。
その後の、父の、反省の無い、我が儘な、自分本位の性格や、その後の交通事故に父は遭い、我が家は塗炭の苦しみに遭いながらも、母は無償の愛で、父を、幼い私を、必死に支え続けた。
結局、今は、母は素知らぬ顔をして、施設に安住して居り、そこに、たまたま、母の目の前に私が現れようものなら、非常な、大変な大喜びで、私を迎えてくれる。
私は、自身が、年を重ねる度に、父の面影を、私の心身に、感じざるを得ず、そこが、母の目の付け所、母は、私の背後に、父の面影、想い出を見ているのではないのか、との、私なりの考察、思慮、思いが少しある。
まあ、家族が、面会に来てくれるのは、施設のメンバーさんにとっては、寂しい毎日を、突然、明るい世界、今まで一緒に暮らして来た家族との対話となるので、施設の職員さんには、認知症の為、母は、私と会った事等は、その日のうちに忘れてしまう、短期記憶があいまい、とは仰るが、深く、心の奥底に、私との触れ合い、家族愛に、本当は深く感動はしているのだろう、幾ら認知症でも、私との子供以来の日々、母の魂までは、忘れ得まい、とこれは私の片想いかも知れないが、最近ひしひしと、思い致している。
以上。よしなに。wainai