今日は、先日来、ここで取り上げている、A相談室長の、K田氏が我が家に午後、来た。
そうして、こちらから、昨日、無事、そろばんのアマゾンでの注文をキャンセルした事を告げた。
それから、私のお金の使い方を、その方は説教為された。
その前から、この、私の目の前にある白いヤマハのピアノを見つめて、そうやって一人で皆決めてしまって、その後、私がヤマハピアノ教室もキャンセルした事等を考慮して、それだって、やる前に、相談してから決めても良く、買うのが早かったのだ、という。
しかし、私にとっては、この、やがて、88鍵のピアノが必要になる、との、そこの教室の男性店員に言われるまでもなく、自分もその内にと考えていた事なのだ、と言った。
そうして、昨日今日の、あの算盤騒ぎも、私の全ては思い付きによるものだ、というと、その女性相談長は、思い付きは辞めましょう、という。
それだったら、と私は言い、食い下がり、全ての私の人生は、「思い付き」で成り立っている、と私は強調して、語った。
このピアノにしたって、それら、これら、人生上、安高、安積高校や法大、法政大学を受けたのだって思い付きだし、日蓮正宗に入って、今までの創価学会との決別を誓った七年前にしたって、これですら、思い付きと言えば、思い付きだ。
だから、何も、私が思い付いたのを、そう、目くじら立てる必要はないのではないのか?というと、その相談員長は、お金が絡むから、とは言うが、結局最後は、ぐうの音も出ずに、その論は引っ込めた。
しかし、せっかく買ったのだから、そのピアノの、曲が何か一曲弾けるようにしたら、と勧めるのだが。
私は言った。結局、私は思い付きでこのピアノを始めた。しかし、よーく考えると、男がピアノなんて、何て「キザ」なんだろうと、思い始めているんだ。良ーく考えれば、このピアノは今ここにあるが、その、ヤマハのピアノ教室に言われなければ、本当にここには無かったはずだし、その、全ては思い付きだと語った。
それに、私は、大体において、ピアノなんて弾いている男が私は男としても世間体からしても、キザで許せないと思うし、認められないし、大嫌いだ、とまで言い放った。
そうすると、その女史は、ピアノに飽きてしまった、嫌いになったってことかねえ、と言い、私は、暴論かも知れないが、そんな風に、率直に思った事を言った。
私は例え話で、「もしもピアノが弾けたなら」という歌を歌った、「西田敏行」さんが、歌の上ではピアノが弾けないのに、実際は、歌いながら弾いていた事共を語り言い募り、ああいう人が弾けば様(サマ)になって、カッコよい、となるが、私なんかが弾いたって、誰もカッコよい、などとは思うまい、ともうこれは、駄々をこねる子供同然である。
それに対して、K女史は、wainaiさん(私)の方がカッコ良いと思うよ、何もそこまで言わなくても、と言いつつ、もう手に負えないと思ったのか、これにて終わります、と言って、うちを出て行った。
そうして、そうやって私のお金の使い方に注文ばかり付けたがる、それら福祉関係者達が、何ともやり切れない、極論を私がここで述べなければ、私としてもやり切れない、元も子もない、と思い、酷い日になったものだと、今日の福祉相談室によるモニタリングは、ここに幕を閉じたのであった。
以上。よしなに。wainai