福島の人って、私(自分)が、謙遜で、わざと、自分をへり下って、低くして語ると、それを、その事を、真に受けて、事実だ、実際そうなんだろ、そういう劣った存在が、お前自身なんだ、との、酷い受け付け方、受け取り方をされるので、こちらとしても、かなりガッカリ、ショックな気持ちである。
うちの母なんかは、母と私は、私が小さい頃から、私ら親子は、しょっちゅう、おしゃべりの花を咲かせた関係で、そんな、福島の人と、為(な)り、人柄を評して、母とその事、件で相談した事がある。
言っておくが、私ら親子は、関東の、母が東京、私が神奈川生まれである。
母もその点には、同情、同意した上で、母は頭が良いから、郷に入れば郷に従え、のことわざの通り、こっちに来てからは、自分からは、謙遜などは、絶対にしない、と言っていた。馬鹿馬鹿しいことだから、と。
こちらがバカを見ることだけは、避けたいから、あんたが言う意味も、最大限に判るよ、と言っていた。
そうして、私は、人一倍、一人っ子の、お人好しであり、それが元で、この土地では、人に付け入られる事も有り得るから、最大限、それには気をつけなさいよ、とも常々、言われた。
こちらの人に、自分から謙遜してモノを言うと、それを額面通りに受け取られ、こちらがバカを見る。これって、貴族文化や、武士道にも劣る。福島、特に、郡山は、貴族や武士が支配した町では無かったせいもあるのかも知れない。
元々、町人文化、侍などは余り居ない、ちょうど、大阪の様な町だったのではないのか?独特の、宿場町の郡山、という土地柄。
だから、ケチな人も多くいて、金に汚い人ばかりの印象を受ける。
福島県全体が、とは言わないが、実際に、自身が感じ取った実感なので、謙遜したら負けだ、との、こちらの土地では、自尊心の高すぎる人、プライドの高すぎる人、とにかく、大袈裟にモノを言う、えばり腐った人を多く見かける。
大体、ずうずう弁自体が、大袈裟でえばり腐って聞こえる。
それらの人には、謙遜とは、自分を見下し卑下する事だとして、一切、江戸、東京の文化、京都や奈良のようなみやびな、日本の古都の文化、等は、一切受け付けない、受け取られない、初めから、文化というものの無い、寂しい都市や、町村だな、という思いしか禁じ得ない。謙遜の、奥ゆかしさの、意味の分からない人々の総体、それが福島。
要するに、歴史の無い街。それが、郡山福島の実態。悲しい街の、一典型。
以上。よしなに。wainai