俵万智が著作の、短歌集、「サラダ記念日」を、電子版で、読み終わった。
この頃は、1987年の、正にバブルの頃であり、私も、新聞等に、この作者、俵万智さんの、サラダ記念日という本がバカ売れだ、という話題で持ち切りの時代に、丁度その頃は、中学生や高校生、という多感な頃を、私も生きていた。
だから、大体の時間軸、時代的な背景が判る。この時代は、今よりも日本が、国としても、非常に輝いていた、あの頃、あの時代…。昭和から平成にかけての、新聞紙上を目で追ってみても、どこもかしこも、好景気に酔い痴れて、浮かれ騒ぎの時代だった。
この騒ぎに、私は一人、追い抜かれ、追い越され、少しも良い身分、良い気持ちになんかは、ちっとも味わい預かれなくて、一人、寂しく、時代に背を向けていたような、私であった。
それでも、この時代にも、私なりに、息を弾ませてでも、生き抜いていたのであって、決して、今となり、恥じる必要もない。むしろ、私にとり、雌伏時代ではあったが、勉強にも血肉にもなった時代であった。
そんな時代を駆け抜けた、俵万智さんの、青春がいっぱい詰まった、正に時代を彩った、作品群である。俵万智さんが、こんな歌人として振舞っているが、実は、この当時、神奈川県立橋本高校の教師をやっていた、と、自作の、この本にもその一首が載っているが、二足のわらじを履いていた方だった。
何とも、私にとっても、俵さんは、当時、早稲田を出ていたし、高校の先生もしてと、かなり、それらは当時の新聞等で知ったが、うらやましい、新感覚の歌人だなあ、と思った。
あれから、何十年。今、その当時を思い出し、この、実際には、電子書籍だが、読み通すと、時代の背景、歌の秀逸さ、等々が滲み出ている。
私の苦かった青春と共に、この本には、人の当たり前の生活、日常の大切さを、身をもって、教えられた、作品であった。総じて、読後感は、良好であった。
以上。よしなに。wainai